第六章 審議
「先日私にした報告を、この場にいる者たちにもしてやってくれ。新しい情報があれば、併せて頼む」
「承知いたしました、殿下」
改めて一礼したポフムが口を開く。
「去る五月十四日、薨去された先王殿下の治療に、重大な過誤があったことが判明しました。その辺りは、皆様もお聞き及びかと存じます。問題は、これが故意であったか否かです。調べた結果、残念ながら故意であった可能性が濃厚と、台諫では見ております」
「何か、決定的な証拠でもあるのか?」
胡乱な表情を浮かべて問うたのは、右参賛・李思哲だ。
「いいえ。本人たちは未だ、診断も治療も正しかったと申しております。ですが、医術書に正しい治療法が載っている以上、それは言い逃れと推定せざるを得ないでしょう」
「可能性だの推定だの、随分あやふやな話だな。それで医官の罪を問えるとでも?」
「しかし、明らかな罪状もございますぞ」
この時まで黙っていた、義禁府の提調・桂相弼が口を開いた。
「結果的に、先王殿下が亡くなるような重病であったにも関わらず、御医は議政府や六曹〔政府上層部の一つ〕との連携を怠り、独断で治療を続け、殿下を死に追いやった。この罪はいかがです? 本人の証言は関係ないと思われませんか」
「しかし、本人たちが“治療が正しかった”と申しているのなら、先王殿下のご病状は、さして重篤ではなかったのでしょう。議政府や六曹に報告するまでもなかったという判断にほかなりませぬ」
「本気で仰っているのなら、聞き捨てなりませぬな」
それまでその場にいなかった声が割り込んだ。
大臣たちが声のほうへ顔を向け、ホンウィも視線を上げる。
出入り口から入ってきたのは、ホンウィから見て大分年輩の男だった。赤い官服を着ているところからすると、堂上官だろう。
見た目は、今年六十九になるキム・ヂョンソよりもやや若いくらいに思える。
男を見て、ポフムとウォヌィは一礼した。
周囲の反応に頓着なく、男は真ん中の通路の半ばで足を止め、頭を下げる。
「殿下には先触れもなく、御前失礼致します。お初にお目に掛かります。わたくし、司憲府の大司憲・奇虔と申します」
「ああ……そなたが」
ホンウィは、鷹揚に頷いた。
「確かに会うのは初めてだな。だが、名は聞いたことがある。私の曾祖伯父であられる、この国の二代目王殿下のご側室・奇淑儀の兄上だと」
ホンウィの曾祖父・太宗の先代・恭靖王は、祖父・世宗が即位した翌年に亡くなった。彼は在位中、曾祖父が実権を握っていた関係なのか、正式な王としては認められておらず、諡号がない。
だが、二代目の王は、ホンウィの言ったとおり、太宗の兄に当たる。淑儀というのは、王の側室の位の一つで、品階は従二品だ。
「恐縮でございます」
コンは目を伏せた。
「それで? そなたは先刻資善堂の周りにはいなかったようだが、どこから騒ぎを聞きつけて参ったのだ?」
「部下のイ掌令が、先王殿下の医官の聴取のことで呼び出しを受けたと聞きましたので、共に参りました。しかし、わたくしは直接呼ばれておりませぬゆえ、外で控えておりましたが……」
言いながら、コンはチラリとサチョルに目をやった。
「あまりにも道理に外れた者が殿下をお悩ませしていると思うと、この老体、どうにも我慢が利きませんでな」
サチョルは、瞬時コンと目を合わせたが、フイと視線を逸らした。
「なるほど」
クスリと思わず苦笑が漏れる。
「では、せっかくだ。台諫の結論を、そなたが報告せよ」
「はい、殿下」
コンは瞬時目を落とすと、顔を上げた。
「それでは、申し上げます。チョン・スヌィ前御医には打ち首、ピョン・ハンサン、チェ・ウプ両医官には棍杖百と都から三千里以上離れた地への流刑、チョ・ギョンヂ、チョン・イングィ、キム・ギロ、チョ・フンジュ、チョン・チャリャン、ソン・チョム各医官には棍杖九十が相当と存じます。尚、各医官は当然ながら、医官としての地位剥奪も、台諫としては求刑致します。罪状は、チョン御医以下ピョ医官、チェ医官には、明らかな故意による治療過誤、ほか六医官には、先王殿下の医療班に加わりながら、詳しいご病状を把握できていなかったことでございます」
「そうか」
ホンウィは頷いて、サンピルに視線を転じる。
「キェ提調」
「はい、殿下」
「義禁府の意見はどうだ?」
「義禁府の意見も、大方台諫と変わりませぬ。また、先に申し上げたことと重複になりますが、義禁府と六曹との連携を怠り、独断で殿下を治療し、死に追いやった罪状も付け加えていただければと」
「横暴です!」
興奮のあまりか、サチョルが立ち上がる。
「先にも申しましたが、そのようなことはすべて、状況から見た推察ではありませんか! 本人たちは正しい治療をしたと申しております! とても、何らかの意図があったとは思えませぬ!」
唾を飛ばさんばかりに喚き立てたあと、サチョルはホンウィに向き直り、頭を下げる。
「殿下。どうかご善処くださいませ」
対して、ホンウィは冷ややかにサチョルを見つめ返した。
「右参賛の意見にも一理はある。だがほかにも、私が個人的に、重要な証言を得ている」
すると、大臣たちが一斉にこちらを注視する。サチョルも目を見開いたが、直後には静かにホンウィを見据えた。
「恐れながら、殿下。その証言とは、一体誰の証言でしょう」
ホンウィは、鼻を鳴らして返す。
「それはこの場では申せぬ。現に一度、重要な証言をしていた医女が三人、殺害されているのでな。それもあって、残りの医官を王宮へ連れて来たのだ」
「ですが、殿下。そもそも、医女とは卑しい者です。その者たちの証言を、どこまで信用してよいやら」
心底嘲るような主張に、ホンウィもまた嘲笑をその目に浮かべた。
「ほう? 何を指して、彼女らを卑しいというのか。身分か? それとも、女人であるということか?」
しかし、ホンウィの瞳に宿った光に、サチョルは気付いていないらしい。至極真面目に、「両方でございます」と答えた。
「なるほど。卑しい者たちの証言は、信用できぬと?」
「左様です、殿下」
「では訊こう。そなたを生んでくれた母君は、男か?」
意表を突き過ぎた問いだったらしい。サチョルは「は?」と思い切り間抜けな声を出して、口をあんぐりと開いた。
「答えよ。身分は脇に置いて、そなたを生んでくださった母君は、男か女人か?」
「……お、男には子を生むことはできませぬゆえ……」
「消去法で行くと女人だな。では、卑しい女人から生まれたそなたも卑しいという結論になる。いや、そなただけではないな。この場にいる全員がだ。私も含めてな」
「い、いえ、そのような……」
「私は誤魔化すのが不得手だから率直に言うぞ。医女も医官もここにいる大臣も、王である私でさえも、等しくただの人間だ。生まれ持った身分によって、差別される謂われはない。ただ、これは個人的な見解だし、今ここで論じることではない。が、卑しい者の証言は信用できぬなどと不届きなことを申す輩がいるゆえ、はっきり言っておこう。私に証言した者が、たとえ奴婢でも、白丁〔李氏王朝時代の最下層の身分〕だとしても、私はその証言を重んじる。それが仮に、先の殿下を治療した者たちを庇う証言だとしても、聞き入れて一考する。これについての異議は一切聞かぬ。皆も、肝に銘じよ」
先刻、ホンウィが執務机を蹴り飛ばした直後よりもその場が静まり返る。痛いほどの静寂がその場に落ちた一瞬ののち、今度は広間は騒音に包まれた。
「殿下! 今のお言葉は聞き捨てなりませんぞ!」
「身分秩序を否定することは、この国の根幹を揺るがします! ご撤回ください!」
「ご撤回ください、殿下!」
(……だから、この場で論議することじゃねぇって前置きしたのに、とことん人の話聞かねぇクソジジイどもだなっ)
と、もう少しで口から出そうになったが、何とか呑み込む。しかし、ぶっち切れるのはもう時間の問題だ。
(くそっ)
チラと目を投げた先にある執務机はひっくり返っており、もう一度蹴飛ばすことで大きな音を立てるという役には立ちそうにない。
溜息を吐いた。
この間に、落ち着きを取り戻したのかそうでないのか分からないが、大臣たちは打って変わって整然と、「どうかご撤回くださいませ、殿下ー」と斉唱し、頭を下げるという動作を、延々と繰り返している。
うるさい黙れ、と叫ぶのと、この執務机を階の下まで叩き落とすのと、どちらが効果的だろうか。
瞬時迷った末に、後者を選んだホンウィは、さっさと立ち上がった。
「大司憲! 掌令と右献納も脇に退いてろ!」
大臣たちの斉唱に負けない大音量で怒鳴ると、ひっくり返った机の脚を掴んだ。
刹那、コンとポフム、ウォヌィはこちらの意図を正確に察したらしい。素早く後退した。特にコンは、その年に見合わぬ素早さだ。
それに半ば感心しながら、ホンウィは掴んだ脚を持って、机をもう一度放り投げるようにひっくり返す。
机の脚が、放物線を描くと同時に、一瞬その場は静かになった。次いで、机が無理矢理階を降る音が響き、大臣たちが身を縮める。
机が転げて来そうな射程――つまり最前列から三人目くらいまでに座っていた大臣たちは、各々、思い思いの格好で退避した。
幸い、というべきか、机は大臣たちを巻き込むことなく階を転げ落ち、いくらか行った床の上で停止した。
「……頭は冷えたか、ザル耳どもが」
はっ、ともう一度息を吐いて、ホンウィは広間の大臣たちを睥睨した。
「よいか。まったく耳を素通りしたようだから、もう一度言うぞ。その議題は今この場で論ずることではない。申したき儀があれば、後日、上疎でも何でも好きに提出するがいい。場を改めるなら、私も誠実に議論に応ずる。今この場で議題になっているのは、先王殿下の担当医たちの処遇だ。分かったか」
しかし、返事はない。水を打ったように静まり返った広間は、今なら針を落とす音さえ聞こえそうだ。
「どうして返事がない。聞こえなかったのか。私は何度、同じことを言えばよい?」
低く落とすと、大臣たちはビクリと硬直し、ガバッとばかりに平伏した。
「いっ、いえ! 申し訳ございません」
「承知いたしました、殿下!」
「承知いたしました、殿下」
コンたちを除く大臣たちが、全員、一斉に頭を下げる。
これで、心から承知した者が何人もいないのも分かっていたが、取り敢えずこの場が収まればいい。
「……では、審議を続けよう」
三度、吐息を漏らして、ホンウィは元通り王座に座った。もちろん、机は戻さないままでだ。
元々の位置から退避した大臣たちは、避難した先の床にやむなく座り直している。
「とは言っても、状況証拠だけはもう十二分にそろっていると言えよう。あとは、本人たちに事実を確かめれば、容疑は確定する」
「……しかしながら、殿下」
そろりと探るように切り出したのは、退避した大臣の内の一人であるチョンソだ。
「もし、故意に治療を誤ったのが事実だとして、動機は何でしょう。チョン御医がまさか、先の殿下に個人的な恨みがあったわけでもありますまい」
「そこも、これから確認する。何とか、父上の埋葬が済むまでにはケリを着け……いや、処分を確定させたいな」
「恐れながら、殿下。今一つ、確認させていただいても?」
「申してみよ」
「その間、本当に罪人を資善堂で寝起きさせるのですか?」
「それは、今後の義禁府の管理次第だ」
チラリとサンピルに視線を投げると、彼は恰幅のよい体型を器用に縮こまらせた。
「キェ提調」
「……はい、殿下」
「この会議の冒頭にも言ったと思うが、昨日の深夜から未明に掛けて、義禁府に捕らわれていた医女三名と、牢番二名が殺害されている。義禁府の中でだ。そこのイ掌令の調べでは、争う声が聞こえたにも関わらず現場へ誰も駆け付けなかったらしいな。その辺、管理体制はどうなっている?」
サンピルは、唇を噛んで俯いた。だが、そうして彼が沈黙していたのは、短い間だった。
「……言い訳のしようもございません。すべては義禁府を管理するわたくしの不行き届きです。ゆえに、かようなお願いをするのも厚かましいのは重々承知ですが……猶予をいただけませぬか」
「何の猶予だ」
「医女と牢番の遺体が見つかってから、まだ一日も経っておりません。こちらも今、当夜、ほかにもいた宿直の者を聴取しております。必ず、犯人を見つけ出しますので、この件……医女と牢番殺害の件は、わたくしにお任せくださいませんでしょうか。この件のわたくしへの処罰は、そののちに然るべく」
言い終えると、サンピルは決然とした表情で顔を上げる。
その目を、ホンウィはヒタと見つめ返した。
「……それは、医女と牢番を殺した下手人を見つけ捕らえる、という意味だと解釈してよいか?」
「御意にございます」
「分かった、いいだろう。気の済むようにやってみよ」
「感謝いたします、殿下」
「しかし、殿下! 今の話から推察するに、キェ提調にも責任がございます!」
反駁の声を上げたのは、やはりサチョルだ。
「言わば、罪人に事件の捜査を任せるようなモノで……」
「失態の尻拭いを自分ですると申しているのだ。構わぬだろう」
「殿下!」
「くどいぞ、右参賛」
冷え切った声音で落とすと、それにサチョルは言葉を押し戻されるように口を閉じた。
「不満があるならこの場から去って貰って一向に構わぬ。申すまでもないが、義禁府は重犯罪者を扱う部署だ。それなりに、人事にも気を配っているだろう。まして、今の官庁の役人はほぼ、父上の代に就任した者ばかりだ。キェ提調も確か、父上の治世時にその座に就いたのだったな?」
サンピルに目を向けると、彼は「はい、殿下」と頷き目を伏せた。
「父上が信頼なさった者を、私も信じる。それに、そんなに心配なら右参賛。そなたも捜査に加わればよいではないか」
「は?」
またしてもサチョルが、間抜けな声を漏らす。
「……え、あの、しかし……わたくしは議政府の所属で管轄がまったく……」
目線をウロウロと泳がせて言い訳を始めるのへ、ホンウィは思わず舌打ちしそうになった。
(何だかんだ言って、調査に加わるのが嫌なら口出ししなきゃいいのに……メンドクサい奴)
は、と小さく息を吐いて、「無理にとは言わぬ」と返した。
「ただ、義禁府の囚人殺害の件は、キェ提調に一任することとする。これは、決定事項だ。これ以上の異議は聞かぬ」
今度は、サチョルのほうが舌打ちしそうな顔をして、ホンウィを思い切り睨んだ。その間合いで目線が合ってしまった為か、彼は慌てて目を逸らす。
内心は別として、彼がこれ以上反論しないと見て取ると、ホンウィは改めて大臣たちすべてを視界に納めるように顔を上げた。
「……ともあれ、先の殿下薨去の件に関しては、状況証拠、それによる台諫と義禁府の求刑は纏まったと思っていいだろう。あとは、本人たちがどう供述するかによるが、それはこの場で我々がいくら議論しても進展することではない。夕刻の会議はここまでとする。囚人の留置場所は、追って周知するゆえ、沙汰を待て。以上だ」
締めて立ち上がったホンウィは、「ああそれと」と付け加えて、広間に視線を投げる。
「領議政と左議政は、一緒に執務室まで来てくれ。少々、確認したいことがあるのでな」
「承知いたしました、殿下」
「承知いたしました」
怪訝、という顔をした二人が、それぞれに了承の意を示す。
「それと、都承旨もだ。立ち会いに、大司憲と掌令、右献納も同席して貰えるとありがたい」
「は、はい、殿下」
「分かりました」
***
執務室へ戻ると、ホンウィは執務机の前へ腰を下ろした。
丸い机のほうは、人数分の席がなかったのだ。
「すまないな。ご老体二人を立たせたまま、話を聞かせることになって」
チョンソとコンに目線を向けて言うと、二人はパチクリと目を瞬かせ、次いで互いの目を見交わした。
「ご配慮、傷み入ります、殿下」
例によって、静かに頭を下げて言ったチョンソに対し、コンは豪快な笑顔を浮かべた。
「殿下。わたくしはこう見えてもまだ若うございますよ。お気遣いは無用でございます」
胸を張って言ったコンに、「ほう?」とホンウィは面白がるような声を上げた。
「では、失礼だが、大司憲はいくつになる?」
「二十を越えたばかりでございます」
「……さすがに嘘だろ」
胡乱な視線を向けると、コンはまたにっと笑った。目尻に、笑いジワが寄っている。
「無論、冗談ですよ。実年齢は七十になりますが、気持ちはいつも若いつもりでおりますゆえ」
「その心持ちはよいことだと思うが……意外だな。左議政より上だったのか」
「おや。では殿下には、わたくしはいくつと思し召されましたか?」
「そうだなぁ……そう訊かれると、左議政よりうんと下とは思ってなかったな。けど、五つくらい下だと思ってた」
「ははは。恐縮でございます」
「……して、殿下。我々に確認したき儀とは」
話題が一段落したと見たのか、インがそろりと口を挟む。
言われて、ホンウィも頭を切り替えた。
と同時に、昼間、首陽叔父から言われた一言が、頭をよぎる。
『――何らかの思惑で人を殺めた者が、その思惑を質されて素直に答えると思うか』
(……思わない。けど)
回想の首陽に答えながら、チョンソとインを見る。
状況証拠なら、もう十二分にそろっている。さっき、大臣たちに言った通りだ。これ以上の証拠固めは、最早復習のようなモノである。
「ある筋からの情報なのだが、父上が亡くなられた日の朝、領議政と左議政は、思政殿の回廊で、チョン・スヌィ御医と談笑していたらしいな。事実か?」
すると、二人はそろって「えっ?」と言いたげな表情で首を傾げた。そして、互いの顔を見合わせる。
「恐れながら、殿下。わたくしは身に覚えがございません」
「わたくしもです。御医と顔を合わせたのは、先王殿下が亡くなられる少し前のことで」
二人の顔は、恐ろしいほど真剣だった。とてもとても、嘘を吐いたり、誤魔化そうとしている顔ではない。
「左様か。この中に当日、二人を思政殿の回廊で見た、という者がいるのだが」
言って、チラリとメンギョンに目を向けると、彼はあからさまに視線を逸らした。
それは一瞬のことで、よく注意して見ていなければ、気付かなかっただろう。だが、視線を元に戻したように見えても、彼の目はその後もウロウロと落ち着きなく左右に動き、しきりに目を瞬かせている。
(……嘘吐きはコイツのほうか)
以前、養父に聞いた『嘘を吐いている人間がとる行動』に、面白いくらい合致している。
ホンウィは、表面上は顔色を変えずに、「分かった」と言って続けた。
「では、念の為に確認するが、当日のその時間、そなたたちはどこにいた?」
「正確には、何時くらいの話でしょうか?」
チョンソが、例によって淡々と訊ねる。
「そこまでは聞いていないな。何時だった? 都承旨」
「えっ」
「え、まさか……都承旨がそのように?」
チョンソとインの視線を浴びて、メンギョンは僅かに狼狽えた様子を見せた。
「え、いえ、その……」
言いながら、右手で頬を掻き、左の上方向へ目を泳がせる。
「わたくしも人伝に聞いただけです。確か……その、巳時の正刻〔午前十時頃〕過ぎだったかと……」
「都承旨」
「はい、殿下」
答えつつ、メンギョンは手を下ろし、顎を引く。
「時にそなた、利き手はどちらだ?」
「は?」
まったく脈絡のない質問に、メンギョンの目が丸くなる。
「は、あの……右、ですが」
「左様か」
「それが何か」
「いや、いい。気にするな」
ホンウィは手を振って言い、腕組みをして背もたれに背を預ける。
(……てことは、時間も嘘か、本当に覚えてないかのどっちかだな)
人は嘘を吐く時、もしくは嘘の作り話をする時、利き手の反対側斜め上に視線が泳ぐらしい、というのも養父から教わった。
(なら、安平叔父上が一緒にいたって言うのも嘘か……でも、コイツは何の為にそんな嘘を言ったんだ?)
こうなると、父の死にメンギョンが一枚噛んでいるのも、九割九分九厘間違いない。そうでなければ、彼が偽証する理由がないからだ。
けれども、ホンウィはひとまず、メンギョンの追及を後回しにした。話を戻すべく、チョンソとインに目を戻す。
「だそうだ、領議政に左議政。巳時の正刻……その前後でもいいから、どこで何をしていたか教えてくれぬか」
「左様ですな……」
ふむ、と考え込んだチョンソが先に口を開く。
「その刻限ですと、とうに出勤しておりましたゆえ、議政府におりましたな。いつもの執務に就いていたかと……」
チョンソが言えば、インも頷いた。
「わたくしもです。議政府のほかの官員に訊いていただければ分かります」
議政府の建物は、光化門の正面に延びた通りにあり、光化門を背にして見ると、向かって左側に建っている。
そこから、宮殿の思政殿までは、三町と四十間〔約四百メートル〕ほどだ。
「そうか。掌令」
「はい、殿下」
「明日にでも、議政府に確かめてくれるか」
「承知いたしました」
ポフムが頷くのを確認し、ホンウィは「で、都承旨」とメンギョンに視線を転じた。
「はい、殿下」
「もう一度確認するぞ。そなたは、領議政たちが巳時の正刻に、思政殿の回廊にいたというのを、人伝に聞いたのだな?」
「左様です」
「それはおかしいな。私に情報をもたらしてくれた者は、そなたが直接目撃したような口振りだったが」
「恐れながら、殿下。それはその者が、勝手に勘違いしたのではありますまいか」
ホンウィは、内心で舌打ちした。
さすが、腐っても承政院の長を務めるだけのことはある。簡単には引っかからない。
「ちなみにその頃、そなたはどこにいた?」
「どこと仰せられても……わたくしも出勤しておりましたので、仕事場に……承政院におりましたよ」
「ということは、宮殿の敷地内にはいたわけだ。領議政と左議政が御医と談笑していた現場を目撃していても不思議はないな」
「殿下……申した通り、わたくしは人伝に聞いて」
「では、そなたにその情報を伝えたのは誰だ?」
「え」
メンギョンは瞬時、固まったように見えた。
©️神蔵 眞吹2018.