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第五章 重なる証

『カリョン? こんな時間に、どうしたの』

 その日――景泰キョンテ三年五月十四日〔西暦一四五二年六月十日〕の午前中に訪ねて来た友人に、ヒョンソンは目を丸くした。

 今日は非番だとは聞いていなかった。

 三日から、国王がずっと床に臥せていて、休む暇もないと会う度に言っていたのだ。

『ごめんなさい、仕事中に。少しだけ、いい?』

 この惠民局ヒェミングクまで駆けて来たのだろうか。彼女の息は上がっている。

 疑問に思いながらも、少し待つように言って、医女長に短時間だけ仕事を離れる断りを入れた。

 休憩室でいいかと訊ねると、人に聞かれないほうが有り難いと返ってきたので、宿舎の自室まで彼女を伴って戻った。

 部屋へ入るなり、カリョンは思い詰めた表情で、手にしていた包みを差し出した。

『お願い。これを預かって欲しいの』

『これは?』

『診療日誌よ』

『診療日誌?』

『そう。殿下の』

『でっ、殿下!?』

『シッ! 大きな声出さないで!』

 低い声で鋭く落とされて、ヒョンソンは慌てて口を掌で押さえた。

『……まさか、持ち出したとか言わないよね?』

『違うわ。個人的に付けてたの。預かってくれない?』

『ええ?』

 何で自分が、と反射で思った。

 たとえカリョンが個人的に記録したものでも、国王の病状を記した日誌だなんて、国家機密に等しい。そんな危険なモノ、手元に持っていたくない。

 何事かあったらどうしてくれるのだ、と恨みがましい目で友を睨め付けてしまう。

 するとカリョンは、申し訳なさそうに微笑した。

『……ごめんね。でも、あなただから預けるの。あなたが一番信用できるから』

 そう言われてしまうと、嫌とは言えなくなる。

『それにしても、どうして急に』

『理由は近々分かるわ。それにこれは、殿下が三日に臥せられてから今日までだけの記録だから』

『三日から? 今までのじゃなく?』

『そう。私に何かあったら、これを何とかして世子セジャ様にお渡しして』

『世子様に?』

 眉根を寄せて、それより重要な言葉にハッとする。

『何があるって言うの?』

『ヒョンソン』

『ねぇ、カリョン。あなたに何があるの。危険なことをしてるの?』

 その問いに、カリョンは答えてくれなかった。

 ただ、部屋を辞する前に、ヒョンソンを一度抱き締めて、じゃあねと言っただけだった。


***


「……その日の内に、先の殿下が崩御されて、世子様が即位されて……治療を受け持っていた主治医班が義禁府ウィグムブへ投獄されたと聞いたの」

 ヒョンソンの友・カリョンも、大殿テジョン担当だった。

 気になって、先王が亡くなった翌日、内医院ネイウォンへ訪ねてみたら、案の定、カリョンは先王の死の責任の一端を問われ、義禁府へ連れて行かれたと知った。

「それですぐ、義禁府へ行って面会させてくれるように頼んだの。見張り付きで少しだけならって許可を貰って……」


『どうして……どうして、あなたがこんなことに……何もしてないのに』

 もう泣きそうになりながら言うと、カリョンは寂しげに笑って首を振った。

『仕方ないよ。大殿の担当になるってことは、こういうことだもの』

 この国の医療関係者にとって、王の玉体を診る権利を持つということは、名誉である。と同時に、王の死に際しては、仮にその死が寿命であっても責を問われるという、理不尽な宿命をも併せ持つ。まさに、諸刃の剣なのだ。

 それを、カリョンはよく分かっていた。

『でも……でも』

 牢で顔を合わせたカリョンは、すでにボロボロだった。拷訊コシンと呼ばれる拷問を受けたのは、明らかだった。

 何の罪もない、自分の職責に忠実だった彼女が、なぜこんな目に遭わねばならないのか。ヒョンソンには、どうしても納得できなかった。

 ついに泣き出したヒョンソンを、宥めるように見つめたカリョンは、格子を握ったヒョンソンの手に自身の手を重ねた。

『それより、頼んだこと、お願いね』

 見張りの軍士クンサに聞こえないようにとの配慮だろう。ほとんど耳打ちだった。

『でも……でも、どうやって』

 この国は、医療関係者に限らず、技術職者は扱いが低い。

 いなければたちまち困るクセに、両班ヤンバンや王族などの特権階級層は、医官を含めた技術職を“卑しい”と蔑んでいる。

 まして、医女は医療に携わるとは言え、その最下層だ。

 そんな身分にある自分が、どうしたら世子に――当代の王に目通りが叶うというのか。

 聡明なカリョンのことだ。その辺りも、承知していると言うように頷いて言った。

『無理は承知でお願い。何とか考えて。信じられるのは、あなたしかいないの』

『カリョン』

御医オウィ様は、多分罪を逃れようとなさるわ。あんなに間違った治療をなさっていたのに、一向に改めもせず、取り調べでもお認めにならず……』

 その時、背後から声が掛かった。

『おい。そろそろ時間だ』

 有無を言わさず、軍士に後ろから肩を引かれ、無理矢理立ち上がらされた。

『カリョン!』

『私は大丈夫よ。だから、頼んだわね』

『カリョン!』

 その場から引きずられるように歩かされる間も、ヒョンソンは友の名を呼び、彼女に手を伸ばし続けた。


「……そのあとは?」

「……義禁府から放り出されて、翌日は会わせても貰えなかったわ。それで今朝……義禁府で人が死んだから検死に来いって言われて……」

 ヒョンソンの頬に、新しい涙が幾筋も伝う。

「ひどい……! 何でカリョンがあんな死に方しなくちゃいけないの!? 何も悪いことしてないのに、どうしてッ……!」

 室内に響くヒョンソンの嗚咽を、ホンウィは黙って聞いていた。

 痛いほど分かる。大切な人が、天寿で亡くなるならともかく、何かで無理矢理生を終わらされるなんて、こんな納得できないことはない。

 ホンウィは、包みに目を落とし、結び目をほどいた。

 中には、厚さが三分の一寸〔約一センチ〕ほどの冊子が三冊分入っていた。

 一番上にあった冊子を取り上げて開く。

 無地の紙が線で二分割され、左側に御医、チョン・スヌィが施した治療、右側に、医術書に書かれた一般的な治療と、恐らくカリョン個人のものと思われる所見が記されていた。

 ホンウィの整った顔立ちが、みるみる内に険しく歪んだ。

 二日目からもう、不適切な診療が施され、それによって父の容態があれよと言う間に悪化していく様子が、詳細に書かれている。

 冊子を戻し、その上に置いた手をきつく握り込んで、叫び出しそうになるのをどうにかこらえた。

(こんな)

 こんなことが、国王の寝所で行われていたのか。こんな、杜撰ズサンな治療が意図的に施されているなんて、誰が思うだろう。

 ましてや、チョン・スヌィは、祖父の代から重用されてきた、名医の呼び声も高い医官だった。そんな医官が、間違った治療をするはずがないと、誰もが思っていたに違いない。

(なのに、こんなこと)

「……カリョンは」

「……え?」

「カリョンは……御医が間違った治療をしていたと……罪を逃れようとすると、確かにそう言ったんだな」

 落ちた声は、普段より低い。

 冊子に落ちた視線を上げることもできなかった為、ヒョンソンがどんな顔で自分を見ていたか、ホンウィには分からない。

「え、ええ……」

 ただ、戸惑ったような涙声が、鼓膜を震わせた。

 瞬時、目を閉じる。ここで感情のままに激昂してはダメだ。

(落ち着け)

 自身に言い聞かせたあと、ゆっくりと目を開く。

「……この記録は、必ず俺が殿下に届ける。だから、あんたはすぐに都を離れるんだ」

「えっ?」

 一拍の間ののち、「どういうコト?」と問いが返る。

「あんたは、言ったな。カリョンとの面会の時、見張りがいたと」

「え、ええ」

「どんな奴だったか、覚えてるか?」

 顔を上げて視界に入ったヒョンソンは、少し考える仕草をして、首を横に振った。

「……ごめんなさい、そこまでは……」

「だよな」

 当時のヒョンソンの精神状態を考えれば、無理からぬことだ。

「とにかく、このままじゃあんたも危険だ」

「それってどういう意味なの」

「カリョンは、口を封じられたんだ。チョン・スヌィの処方の真意を隠したい誰かにな」

「えっ……」

「急いで支度しろ。必要なモノは現地で調達させるように手配するし、惠民局には納得いくように通達しておく」

「で、でも、支度って言っても……それに、あたし行く当てなんかない」

「両親とか親類は?」

 分からない、と眉尻を下げたヒョンソンは首を振った。

「あたしは……物心付いた頃から、漢城府ハンソンブ官婢クァンビだった。七歳の時、医女候補として徴用されて、医女養成所で育ったの。親はその頃からいなくて……カリョンだけが唯一の家族だった。血の繋がりはなかったけど、姉妹も同然で」

「つまり、カリョンも天涯孤独なんだな」

 コクリ、とヒョンソンは何度目かで頷く。

「分かった。しかるべき時まで安全な場所にかくまう。最低限のモノだけまとめてくれ」

「然るべき時って」

「もしかしたら、あんたの証言が要る時があるかも知れない。だから、そんなに遠い所へは避難させられない。でも、あんたの身の安全は必ず守れるようにするから」

「か、必ずって、何でそんなことが言えるのよ。カリョンは義禁府の牢にいたのに殺されたのよ!?」

 至極もっともな指摘に、ホンウィは一瞬答えに窮する。

「それ言われると痛いけど……それでも今ここを離れれば、都に居続けるよりは安全だぞ」

「そ、それは……」

 今度はヒョンソンが反論を失くしたらしい。あからさまに目を逸らして視線を泳がせる。だが。

「あんたは、カリョンの無念を晴らしたくないのか」

 問うと、ヒョンソンはハッとしたように表情を強張らせた。

「答えろよ。カリョンがあんな死に方したのが納得いかないって言ったじゃないか。大事な姉妹なんだろ? 無念を晴らしてやりたくないのか」

「そ、そんなの決まってるじゃない! カリョンはあんな殺され方するような子じゃなかった! こんな不条理、そのままにしておくなんて嫌よ!」

「だったら支度しろ。今から都を発つ準備に掛かる」

 これで、彼女の心は決まったらしい。

 新たに溢れていた涙を拭い、決然とした目をして頷いた。


***


 ヒョンソンを養父の家へ預け、ホンウィは一度宮殿へ戻った。

 養父宅を出た頃、時刻は申時シンシの正刻〔午後四時〕を回っていた。まだ周囲は明るいが、外出禁止を報せる鐘が鳴る人定インジョンの時間まで、あと一時辰(シジン)半〔三時間〕ほどだ。

 養父の家のある南村ナムチョンから宮殿・景福宮キョンボックンまでの、直線にしておよそ半里〔約二キロ〕と四町〔約四百三十六メートル〕の距離を、ホンウィは早歩きで帰った。

 養父は武官を引退して久しいし、養父宅には厩を設置するような広さの余裕はない。早い話が、馬を調達する伝がなかったのだ(もっとも、例によって、国王だということを全面に押し出せば別だろうが)。

 宮殿の正門である光化門クァンファムンに面した通りから、建春門コンチュンムンまで二町と十八(けん)〔約二百五十メートル〕、建春門から居所の康寧殿カンニョンジョンまで二町と十八間ある。

 小走りで建春門に近寄ると、顔なじみの門番が、何とも複雑な表情をした。

 もし、彼が親戚の年長者だったら、「また外に行っていたのかい」とか、「しようがないな」などと言って、小言の一つもくれるところだろう。

 ただ、一部の者は、ホンウィが宮殿の外で育ったことを知っている。この門番もその一人だ。

 ふらっと宮殿の外へ出掛けたからと言って、特に咎め立てられるようなことはない。

 無言で通して貰い、そこからは全力で駆けた。

 何しろ、格好が格好だ。下手をすれば摘み出され兼ねない。

 直線で行けば二町十八間の道のりだが、所々に見張りの兵や、まだ帰宅していない大臣やらが歩いている。特に今日は、資善堂チャソンダンの表に人だかりができていた。

 ポフムが、頼んだ通りに医官たちを護送してくれたのだろうが、当のポフムでさえ、あれだけ目くじらを立てていたのだ。ほかの大臣たちの反応は、想像にかたくない。

 人目を避けて資善堂の裏手を通り、水刺間スラッカン〔宮廷料理場〕の横を通り抜け、裏の窓から康寧殿へ入った。

 手早く普段着である常服サンボクに身を包み、髪の毛を適当に翼善冠イクソングァンに突っ込む。そうして、見苦しくない程度に身支度を整え、表の扉をそっと開いた。すると、その間合いで、振り向いた大臣と目が合う。

 なり、彼はせかせかとした足取りでこちらへ歩み寄った。

「殿下! どちらにおいでだったのです!」

「あ、ああ、すまない。私に用だったのか?」

 しれっと改まった口調で言い、ホンウィは完全に扉を開ける。

 広縁に出ると、宮の前に控えていた内官ネグァンの一人が、いそいそと近付き、沓脱石の上にあった木靴モッカを支えた。履き口が高い靴なので、誰かに支えて貰うか、自分一人で履く時は無精せずに座るかしないと上手く履けない。これが、ホンウィは少々苦手だった。

 どうにか靴に足を押し込み顔を上げると、赤い官服を着た大臣は、手近まで来て頭を下げたところだった。

 相手は、見覚えのある壮年の男だ。確か、都承旨トスンジのカン・メンギョン――今日の午前中に、叔父の口から名を聞いた男、その人である。

「殿下。恐れながらお伺いします。チョン御医以下の医官たちを資善堂に留置するよう命じたのが殿下だというのは、誠でございますか?」

「それがイ・ボフム掌令チャンリョンの申したことなら、誠だが」

 それが何、と続けそうになって危うく思い留まる。

 一方、ホンウィの答えを聞いた途端、メンギョンは卒倒しそうな顔つきになった。

「なっ、なっ、何故なにゆえそのようなことを――」

「王宮のほうが安全だからだ。異存はないであろう?」

「あります! この上なく!」

 唾を飛ばしそうな勢いで言われて、ホンウィは顔をしかめた。

 しかし、メンギョンもホンウィに負けない渋面になっている。実年齢は四十過ぎのはずだが、実際にはあと数年分、年を取って見えた。

「第一、何を以てしてこのような……納得行くように、理由をきちんとご説明くださいませ!」

「……それもそうだな。分かった。皆を思政殿サジョンジョンへ集めてくれ」

 メンギョンは、まだ何か言いたげな顔をして、薄い唇をプルプルと震わせていた。だが、口からは「承知致しました」とだけ答え(但し、言いたいことを全部我慢していると言わんばかりの低い声音だったが)、一礼してきびすを返した。

 それを見送ったホンウィは、傍にいた内官に、至急イ・ボフムとチョ・ウォヌィ右献納ウホンナプを呼ぶよう言い付け、自分も歩き出した。


***


「殿下のおなり!」

 二刻〔約三十分〕後、思政殿の広間へ集まった大臣たちは、内官の声に一様に頭を下げる。

 部屋へ入って、向かって右側の通路から、ホンウィは玉座に登った。

 ホンウィが腰を下ろす間合いを見計らったように、大臣たちが顔を上げる。と、待っていたと言わんばかりに、早速ファンボ・インが噛みついた。

「殿下。恐れながらお尋ねします。資善堂に先の殿下の主治医たちを幽閉するよう命じたのは殿下だというのは、誠でしょうか?」

「そうだ。今日は何度も同じことを質問されるのが面倒だったゆえ、皆にこうして集まって貰った」

 頷いて正面を見ると、大臣たちが一斉に口を開く。

「何故そのような……」

「前例のないことです! よりによって罪人の取り調べを王宮でなど」

「すぐに罪人たちを義禁府へ戻すべきです!」

「殿下! どうかお考え直しくださいませ!」

「どうか、お考え直しくださいませ、殿下!」

 黙れ、と叫び返したい衝動をどうにかやり過ごすと、ホンウィは朝議の時よりもずっと早い段階で、執務机を蹴飛ばした。

 ガァン! という派手な音が、朝議時の何倍もの甲高さで響く。蹴り飛ばされた机は、勢い余ってひっくり返った。机に積まれていた上訴の山がてんでに吹っ飛び、きざはしの下へぶち撒けられる。

 その場は、あっという間に静かになった。

「……そなたたち、こちらの説明を聞こうという気はないのか?」

 地を這いずるような、低い声がその場に落ちた。口調は穏やかだが、声の温度は氷点下だ。

 俺がガキだからってナメてんじゃねぇだろな、と危うく続けそうになって、すんでで飲み込む。一つ間を置くように深呼吸すると、改めて口を開いた。

「その気がないのなら、今すぐにこの場から立ち去っても咎めはせぬぞ。但し、あとで個人的に質問してきても一切答えぬからそう思うのだな。この場に残った者に訊くのももちろん禁ずる。個人的に教えてやった者も厳罰に処すゆえ、左様心得よ」

 凛と告げると、大臣たちは一様に視線を逸らした。

「もう話をしても構わぬだろうか?」

 ややあってから、傍に控えていたメンギョンへ冷えた流し目をくれると、彼は「結構でございます」と重々しく言って頭を下げる。

「さて、皆も気にしている通り、本日資善堂に、先の殿下の診療に当たった医官たちを移した。あくまでも、裁きが決まるまでの措置だ。私が直接、イ・ボフム掌令に命じた」

「……殿下。理由をお尋ねしてもよろしゅうございますか」

 そろりと静かに切り出したのは、キム・ヂョンソだ。

「理由は、医官たちの身の安全の為だ」

「医官たちの……でございますか」

「左様だ。そなたたちの内のどれだけが把握しているかは分からぬが、今朝方、大殿テジョン担当だった医女三名が、遺体で発見された。義禁府の牢でな」

 反応はそれぞれだった。

 隣に座した大臣と顔を見合わす者、ヒソヒソと囁き合う者、一人目を伏せ眉根を寄せる者――

 だが、驚いた顔は一人もない。把握していながら、誰一人ホンウィに報告に来なかったということだ。ポフム以外は。

「王である私への報告を怠った議政府ウィジョンブの罪は、追って沙汰する。だが、義禁府で囚人が殺害されるなど、それこそ前代未聞、由々しき事態だ。当日、見張りを担当していた武官二人も殺されたとなれば尚更だ」

「恐れながら、殿下。我々は決して報告を怠ったわけではありません」

 再度、静かに言ったキム・ヂョンソ――チョンソに目を向け「そうだな」と頷く。

「本日、私が中々捕まらなかったというのが理由なら、私が詫びなければならぬ。そうなのか?」

 すると、チョンソは「いえ……」と歯切れ悪く言って目を伏せた。

「そうではなく……ただ、我々はお父君を亡くされたばかりの殿下に負担を掛けまいとしただけで」

「ほう? それはそれは、配慮に感謝すると言わねばならんな。だが、今後そのような気遣いは無用だ。すべてきちんと報告するように。分かったら話を戻そう。義禁府の警備不行き届きの件だ」

「殿下! 恐れながら、警備不行き届きなどと」

 顔色を変えたのは、ファンボ・インだ。だが、ホンウィは冷ややかに返した。

「不行き届きでなければ何だ? 外部からの侵入を易々と許し、あまつさえ囚人と牢番を殺害され、挙げ句まんまと逃がした。これが、不行き届きでなくて何と言うのだ」

「そ、それは」

「特に医女たちは、積極的に医官の不正を告発していたと聞く。にも拘わらず拷訊コシンを受け、その殺されたのはどういうわけだ」

 反論を失ったらしいインは、悔しげに唇を噛んで俯く。

「殿下。恐れながら、医官が不正を犯したとは、いかなる意味でしょうか」

 代わりに、やはりチョンソが冷静に訊くべきことを訊ねた。

「そうか。調査の周知徹底ができていないのは、私の職務怠慢であったな。すまない」

 小さく顎を引き、顔を上げる。

司憲府サホンブの掌令イ・ボフムと、司諫院サガヌォンの右献納チョ・ウォヌィは来ているか」

 誰にともなく問うと、「はい、殿下」と出入り口付近の内官が頭を下げた。

「先刻から、表で待っております」

「そうか。こちらへ通せ」

「はい」

 しずしずと内官が後退して、程なく入れ替わるように青い官服を着た二人連れが入室する。

 その場に整然と座した大臣によって、通路のようになった中央に歩を進めた二人は、部屋の中ほどまで来て礼をした。

「よく来てくれた。イ・ボフム掌令、チョ・ウォヌィ右献納」

「光栄至極に存じ奉ります」

「恐れ入ります、殿下」

 二人は口々に言って、頭を少しだけ上げる。顔は伏せたままだ。

「さて、早速だが、先日私にした報告を、この場にいる者たちにもしてやってくれ。新しい情報があれば併せて頼む」

「承知いたしました、殿下」


©️神蔵 眞吹2018.

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