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第三章 最初の忠臣

「なっ、何だ貴様!」

 馬で義禁府ウィグムブに乗り付けると、見張りの兵があからさまに不審そうな叫びを上げた。

 今のホンウィは、赤地に、龍の意匠のと呼ばれる丸い縫い取りの入った、王としての装束を着ていない。

 木綿で仕立てた、青を基調とする上下で、前腕部とふくはぎを布と紐でまとめた姿だ。下手をすると、その辺のゴロツキのように見える。いつもサントゥを結ってある長い髪は、うなじの上辺りで結い上げてあった。

 滅多に宮殿に出入りしない下位の武官に、即位したばかりの王の顔など分からないだろう。

 元より、分からないように平民に近いナリをしているのだし、この格好のほうがホンウィにはむしろ馴染んだそれだった。このほうが、気楽だとも言える。

 ともあれ、その辺をいちいち説明してやるつもりはない。

 喚き続ける兵士を一顧だにせず、ホンウィは馬から飛び降りた。腰の辺りまで伸びた艶やかな黒髪が、馬の尾のように翻る。

 手近にいた兵士に、有無を言わせず手綱を預けると、義禁府の中へ駆け込んだ。

惟月ユウォル様! こちらです」

 あとから追い付いてきたポフムが、背後から呼ばわる。

 『ユウォル』は、ホンウィのあざなだ。

 字とは、身分や年齢が下の者が、目上の者に呼び掛ける際に使われる名だ。この国では、目上の者をいみな〔本名〕で呼ぶのがとんでもない無礼ということになっているので、王族や両班ヤンバンなどの特権階級層の人間は、大抵、諱のほかに字や号など、複数の名前を持っている。

 とにかく、外では字で呼ぶように念押ししても、普段から顔見知りだと、どうしても『殿下』と呼びたがるやからが多い中、ポフムは中々優秀と言えた。

 振り返り、彼に付いて辿り着いた先は、義禁府に併設された遺体安置所だった。

 昼間なのに、室内は薄暗い。壁の隙間から入る陽光と、室内に灯された蝋燭ろうそくだけが光源だ。

 場所柄の所為か、異臭がするような気がして、ホンウィは思わず顔をしかめた。

「ユウォル様」

 ポフムに呼ばれ、入ってすぐ左手にある扉の中へ足を踏み入れる。

「検死は終わっております。彼女らが亡くなったのは、昨日の夜から今朝に掛けてだそうです」

 示された先には、白布の掛けられた遺体が三体、安置されていた。

「見ても構わないかな」

「どうぞ」

 許可を得ると、無造作に布をめくる。

 向かって一番左手の女性の顔を見て、ホンウィは、その痛ましさに表情を歪めた。とても、見られたものではない。説明するのも惨い顔になっている。

「……ひどいな……」

 続いてめくった、中央に横たわっていた女性は、検死を終えて清められた所為か、別段変わったところはないように思えた。右端の女性も同様だ。

 三人は、清潔な白い上衣チョゴリとチマ〔くるぶしまで丈のある巻きスカート〕を身にまとっている。

「彼女たちの名前は?」

「はい。向かって一番左が、大殿テジョン担当の医女長で、陰智彦ウム・ジオン。年は四十。真ん中が韓相鈺ハン・サンオク、二十五歳。向かって一番右端が呂嘉蓮ヨ・ガリョン、二十三歳。ヨ・ガリョンは先頃、医女の最終試験に合格し、内医院ネイウォン〔王室の医療機関〕へ配属されたばかりだったとか」

「……そうか……」

 いよいよ、本格的に仕事を始めるところだったのだろうに。

 三人とも、ホンウィは初対面だったが、突然命を絶たれた無念さは、察して余りある。

「……三人とも、不審死に間違いないな?」

 確認するまでもない、というのはウム・ジオンの遺体を見れば明らかだったが。

「はい」

「ハン・サンオクとヨ・ガリョンの致命傷は?」

「ハン・サンオクは心の臓を一突きにされ、ヨ・ガリョンのほうは逆袈裟に斬り上げられていたそうです。もっとも、私は直接見たわけではありませんが」

 開国以来、儒教を国是としたこの国では、男女の別が厳しくなってきた側面がある。

 今回のように、女性の被害者が出た場合でも、男が、伴侶でもない女性の身体をみだりに見るようなことは許されない。そこで、医女が検死をしたり、五衛オウィ〔主は国防機関。警察業務兼業〕に勤める茶母タモ〔官公庁に属する下働きの女性〕が捜査に関わったりもする。

「……ともあれ、殺しってことを隠す気もねぇわけだな」

「隠す意味を感じなかったのでしょう。先王殿下が崩御されて捕らえられた時点で、三名とも健康状態に異常はありませんでした。それが、たった三日で三人揃って死亡したら、外傷がなくとも不自然すぎますから」

 ポフムの説明を聞きながら、ホンウィは瞬時、目を伏せて弔意を示す。

 彼女たちの家族は、先日、父を失ったホンウィと同じ思いをするのだ。それを考えると、胃が捩れそうな気がした。

「加えて、相手は医女ですから、毒薬などを盛ったとしても思惑通りに殺せないと考えたのかも知れません」

「なるほど。薬物の専門家でもあるもんな」

 ホンウィは、彼女たちの遺体に、元通り白布を掛け直す。

「父上の弑逆しいぎゃくを指示した奴がやった、と考えるのは早計か?」

「いいえ。恐らく、ユウォル様の思っていらっしゃる通りでしょう。現在も、義禁府ではチョン御医を始めとする主治医班の取り調べは続いておりますので」

「慌てて彼女たちの口を封じたってことは、父上の死因が病じゃないって白状したようなモンだな」

「左様です。この三名は、他の医官たちに比べると、積極的に診療状況などを証言しておりましたから。それによって真相が明らかになるのは、黒幕の本意ではないのでしょう」

「それにしても、こーんなあからさまに、“殺害しましたよ”って言ってんだ。犯人の目撃証言とかはあるんだろうな?」

 チラリと流し目をくれると、ポフムの目が泳いだ。

「……ないのか」

 思い切り眉根が寄ってしまう。自然、口調にも険が混じり、ポフムは益々、身の置き所に窮したような顔をした。

「いえ……争う声や音を聞いたという者はございました。しかし、何しろ重罪人の集まる場所ですから、そういう諍いのようなことは茶飯事らしく……」

「早い話が、犯人を見た奴はいない、と」

「申し訳ございません。医女が遺体になっているのを、朝になって見つけたとかで……」

「異常な音を聞いてながら駆け付けない義禁府の管理状況って、どうなってんだ?」

「職務怠慢は、司憲府サホンブでもすぐに厳しく追及するよう、大司憲テサホン〔司憲府の長〕様にも、私から進言いたします。しかし……」

「しかし?」

「しかし……牢番も殺されておりますので、一方的に義禁府だけの非を責めるのもどうかと……」

「……嘘だろ……」

 ホンウィは、天を仰いで、掌で顔を覆った。次いで、怒鳴り散らしたい衝動をどうにか堪える。

 ポフムに義禁府の警備体勢の是非を問うても、何の解決にもならない。彼は、司憲府の掌令チャンリョンだから、管轄が違うのだ。

 はぁー、と、今日だけで何度目になるか分からない溜息が口を突く。

 けれども、溜息を吐いて明後日の方向を見ていても始まらない。

 もう一度、息を吐いて頭を切り替える。

「……分かった。彼女たちの検死を担当したのは?」

惠民局ヒェミングクの医女たちです」

 惠民局とは、民間向けの国営医療機関だ。

「その医女たちに話は聞けるか」

「聴取は終えておりますが」

「じゃあ、あんたの聴取の結果は、あとで聞かせて貰う。俺も、彼女たちに直接話が聞きたい」

「承知いたしました」

「それと、殺された牢番の遺体は?」

「ご覧になるのですか?」

「もちろんだ。そっちも検死は済んでるんだろ?」

「はい」

 こちらです、と言って扉を開けるポフムに従って、ホンウィは一度、医女たちの遺体が安置された部屋を出た。


 見張りの軍士クンサ〔下位の武官〕二人の遺体は、遺体安置所出入り口入ってすぐの、広い部屋の一角に横たえられていた。

「左が孫仁勲ソン・インフン軍士、三十五歳。右が伊永豪イ・ヨンホ軍士で、三十八歳です」

 やはり、医女たちと同じように掛けられていた布を剥ぐと、こちらも遺体の清めまで終わっている。彼らも白いチョゴリとパジ〔ズボン〕を身に着けていた。

 ソン・インフンと紹介された男のほうは、喉元に傷がある。風穴が空いているように見えた。刺突の痕だ。

 イ・ヨンホには、特に目立った外傷がないように思える。

「こいつの致命傷は?」

「身体にございます。袈裟懸けに一太刀と、とどめに脇腹に刺突の痕が」

「仮にも、武官職に就いてた奴を二人相手にして、合計三太刀で片を付けたってことか……」

 だとしたら、刺客が相当な手練れか、さもなければ彼ら二人が大した腕でなかったか、だ。

「刺客が二人以上ってことは?」

「考えられぬことではありませんが、それでは騒ぎが大きくなる可能性もあります。私が刺客を送る者なら、それは避けたいでしょう」

「だよな……」

 傍に、彼らが持っていたであろう槍も安置されていた。

 ソン・インフンの使っていたらしい槍には、目立った傷などは見られない。斬り結ぶ間もなく殺されたのだろう。

 だが、イ・ヨンホのほうに置かれた槍は、真っ二つになっていた。折れ口が、綺麗な平面になっている。刃物で斬ったのでなければ、こうはならない。

「ちなみに、こいつらの腕は分かるか?」

「いいえ。私も彼らとは初対面ですので……」

「そっか」

 仕方がない、とホンウィは肩を竦めた。一応訊くだけ訊いてみただけで、答えが得られることは最初から期待していなかった。

 二人の遺体に、布を戻す。

「医女たちが拘束されてた牢を見せて貰ってもいいか」

「構いませんが……何の為に」

「どういう場所を二人で見張っていたかを確認したい」

「分かりました」

「悪いな、管轄外なのに」

 すると、ポフムは目を見開いた。

「何だ?」

 彼のこういった反応は、初めて会った時にも見ている。

「いえ……」

 ポフムは、伏せた目を泳がせると「何でもありません」と答えた。

「何でもないことはないだろ」

 ホンウィはチラリと視線を走らせる。周囲に人がいないのも、気配がないのも確認した上で、彼の胸倉を前触れなく掴んで引き寄せた。

「……王命だって言ったら?」

 声をひそめて彼の耳元へ落とすと、彼はかすかに身を震わせた。

「答えろよ、王命だぜ。俺、何かおかしいこと言ってるか?」

 職権濫用、という単語が頭をよぎったが、敢えて無視する。そのに、ポフムは「いえ」だの「その」だのと口ごもり、視線をさまよわせていた。

 だが、ホンウィの『職権濫用』にあらがすべは見つからなかったらしい。程なく、ポフムは白旗を揚げた。

「……それでは、僭越ながら申し上げます。ユウォル様は何と申しますか……臣下をご自分と平等に思っておられませんか?」

 ホンウィは、目を丸くした。同時に、ポフムの胸倉から手が離れる。

「……思ってちゃダメなのか?」

「いえ、ダメだとまでは申しませんが……」

「じゃあ、いいじゃねぇか。ってか、何でそんなこと気にするんだ?」

「いえ、その……管轄外のことをさせて詫びたりするのは、平民同士や、両班ヤンバン同士……いわゆる、同格の者同士なら当たり前ですが……殿下は、すべての民の父です。命じればそれで済むというのに」

「目の前にいる人間を思いやれない奴が、民の父を名乗る資格はねぇと思うけどな」

 投げるように言えば、ポフムはハッとしたように目を上げた。

 その視線をヒタと捉え、ホンウィは淡々と続ける。

「まあ、俺なんかまだ十歳過ぎたばっかで、自分自身の子どももいねぇのに、『民の父』なんて言われてもピンと来ないけど」

 覚えず、苦笑が漏れる。

「対等に扱って、何がいけない? 王族だろーが両班だろーが平民だろーが、同じ人間じゃないか。賤民でも奴婢でもそうだ。身分が相手を踏み付けていい理由にならないだろ」

「殿……いえ、ユウォル様」

「よしんば、『民の父』だから命じれば済むってんなら、父親なら我が子でも都合を無視していいってのか。違うだろ? 母親共々、この世に送り出してくれたことは感謝しなくちゃいけねぇけど、それとこれとは別問題だ。子どもは親の所有物じゃないし、意のままに動く分身でも人形でもない。両親とは、あくまで別の人間なんだからな」

 ホンウィを見つめ返すポフムの表情は、かなり複雑だった。

 自身のこれまでの価値観とはまったく違うことを言う相手に、どんな言葉を返したらいいか分からない。しかも相手は、年端もいかぬ少年である前に、この国の王であるという現実に、ただ戸惑うしかない。

 今のポフムの心情を言葉にするなら、こんなところだろうか。

 ホンウィは、再度苦笑した。

「……まあいい。両班階級で育って来た奴に言っても、理解が得られない考え方なのは知ってる。ただ、あんたの疑問に答えただけだから、気にするな」

 肩を竦めてきびすを返し掛け、牢の場所を知らないことに気付く。

「それで? 牢へは案内して貰えないのか?」

 顔だけ振り向けて言うと、ポフムは再び我に返ったような顔で背筋を伸ばした。

「はっ、はい、すぐに! こちらです」

 慌ててホンウィの前に出たポフムが、遺体安置所の扉を開き、ホンウィを先導する。

「ああ、そうだ。念の為に訊くけど、ほかの医官たちは無事なんだろうな」

 ポフムの背に続きながら訊くと、彼も前の話題を引きずらずに頷いた。

「はい。今のところは」

 ホンウィは、また小さく溜息を吐いた。

(今のところは、か)

 随分、頼りない返事だ。

 今から義禁府の警備を強化したところで、結果に違いはないかも知れない。遅かれ早かれ自白される恐れがあると、今はまだ見えない『黒幕』が判断すれば、刺客は医官たちにも送り込まれるだろう。

 だが、何らかの手段は講じるほうがいい。それも、たった今すぐにだ。

(どうするかな……)

 あれこれ考える間に、案内を請うた牢の前まで着いた。


 義禁府の牢は、典獄署チョノクソ〔留置場〕とは違う。

 典獄署は、官庁全体が『牢』としての役割を担っている為、割と警備が厳重だ。対して、義禁府は警備が厳重でないということはないだろうが、官庁の性質はあくまでも『王族の犯罪を裁く』ことや、『重罪人の取り調べ』、それに付随する捜査である。併設された牢は、取り調べ中の罪人の為の、仮宿に過ぎない。

 もっとも、二つの官庁に共通して言えることもある。

 それは、警備は『囚人が逃げ出さないようにする(もしくは、脱獄などを手伝う妙な来客を防ぐ)為のモノ』であって、『外敵の襲撃を防ぐ為のモノではない』ことだ。

 それを、義禁府の牢を実際に目にした瞬間に痛感した。

 医女たちが留置されていたのは、女性用の牢だった。

 一時留置の仮宿の所為か、牢は格子が剥き出しで、中庭に面していた。

 ざっと見て、表面積は横幅十六(けん)〔約三十メートル〕、縦幅十一間〔約二十メートル〕くらいである。実際に牢として使われているのは、敷地の両脇と奥に建っている、幅三間〔約五・四メートル〕ほどの建物のようだ。

 そうそう国事犯や、それに類する重罪人が出ない所為もあるのか、一度に収容できる人数は多くなさそうに見える。

 そして、留置されていた医女たちが死んだ今、牢には囚人が一人もいない。

 その牢の一角、向かって左手の牢の扉は、申し訳程度に赤い紐で結わえられていた。医女たちが殺された時、鍵が破壊されたのだろう。

「……この広さを二人で見張ってたのか?」

 思わず、呆れた声が出てしまう。はっきり言って、杜撰ずさんすぎだ。

「死角が多すぎだろ。襲ってくれって言ってるようなもんじゃねぇか」

「……とは言え、囚人は当夜、医女たちだけでしたので……」

「にしたって……まさか、普段からそうなんじゃねぇだろうな」

「早急に調査します」

「頼んだ。ただ、あんたが全部一手に引き受ける必要はねぇぞ。倒れたら元も子もねぇんだからな」

「は。お気遣い、傷み入ります」

 かしこまった答えを聞きながら、ホンウィは空を仰いだ。

 振り返って、牢の屋根に視線を落とし、次いで反対側に目を転じる。

 その先には、義禁府の塀があった。高さは、目算で二間〔約三・六メートル〕弱。ホンウィ自身がここを一人で襲撃するとしたら、助走を付けるか、踏み台があれば、飛び越えるくらい訳ないだろう。

 そして、侵入する際、倒すべき相手の正面に出るような間抜けな真似はするまい。

 ぶっつけ本番は無謀すぎるから、義禁府内の立地、当夜の牢番の腕や人数を細かく調べてから実行に移すに違いない。

(……だとしたら、内部の犯行か、でなきゃ手引きした奴がいるか……)

「ポフム」

「はい、ユウォル様」

「この裏手には、何がある?」

「宿直棟を挟んで、男の囚人の牢がありますが」

「構造は、ここと大体同じと思って間違いないか?」

「恐らく」

「主治医班は今もそこに?」

「はい」

 一通り聞いて、ホンウィは一度口を閉じて、目を落とす。

「……あの、ユウォル様?」

 沈黙を不審に思ったのか、ポフムが小首を傾げて、気持ち、ホンウィの顔を覗き込んだ。しかし、ホンウィは頓着せずに問いを重ねる。

「現時点での主治医班の聴取状況は分かるか?」

「はい。主治医班の内、現在、曹敬智チョ・ギョンヂ全仁貴チョン・イングィ金吉浩キム・ギロ趙興周チョ・フンジュ鄭次良チョン・チャリャン宋瞻ソン・チョムの六名は、実は先王殿下が臥せられた五月三日から、ご寝所へ入っていないことが判明しています」

「つまり、三日からの診療内容を、喋ろうにも喋れないってことか」

「左様です。ですが、仮にも殿下の主治医班に組み込まれておきながら、殿下のご病状を把握していなかった責任は重いので、台諫テガン〔司憲府と司諫院の総称〕としては、棍杖コンジャン〔平たい棒で叩く刑〕九十が相当と結論を出しております」

「念の為に訊くが、執行の許可はまだ降りてないよな?」

「無論です。議政府ウィジョンブへの報告と相談が済んでおりませんし、何より殿下のご裁可も頂かなければ」

「分かった。議政府に報告する時は、先に俺のほうに来てくれ。報告の場に立ち会う」

「承知いたしました」

「で、ほかの医官は?」

「チョン・スヌィ御医オウィはもちろんですが、ピョン・ハンサンとチェ・ウプも、口が重かったのが一転、今は処方も治療も正しかったの一点張りです。先王殿下が回復されなかったのは、ひとえに先王殿下ご自身の生命力の問題であったと……しかし、腫れ物治療の基本から大幅に外れた治療であったことは、先日も殿下に申し上げた通りです。彼らが本気で、自らの治療を正しかったと申しているとしたら、国王殿下の主治医の上位三名としてというより、医官そのものとしての資質に問題がございますので、御医の打ち首は当然として、ほかの二名も棍杖百と免職、及び、都から三千里以上離れた地方への流刑を申し付けるのが相当かと」

「それも、台諫だけの結論だな」

「はい」

 ホンウィは、再度息を吐いて、口元に手を当てた。

 考え込む時の癖だった。目を伏せると、白い頬に長い睫の陰が落ちる。

 ポフムが、所在なげに身じろぎした頃、ホンウィは顔を上げた。

「ポフム」

「はい、ユウォル様」

「王宮に戻るぞ。牢にいる全員を引っ張ってな」

「ぜ、全員ですか?」

「ああ。先王殿下の診療に当たった医官全員だ。少なくとも、ここで夜明かしするより王宮のほうが安全だからな」

「し、しかし」

「何か支障でも?」

「いえ……予定にないことですので、大臣たちが何と申しますか」

 ホンウィは、やや呆れたように目を細めた。

「頭固いな……あんた、いくつだよ」

「え、は、はあ、四十五になりますが」

「じゃあ仕方ねぇな。そろそろ人生後半に差し掛かろうってトコだから、考え方ある程度凝り固まってても」

 はあ、と吐息を漏らして側頭部に手を当てる。

「けど、今後も俺の治世下で働くんなら、ちったあ柔軟になって貰わないとやってけねぇぞ。何せ俺は、この夏の誕生日が来てもまだ十一だからな。祖父じい様の年まで生きるとしたら、これから四十年くらい国王やってるはずだから、ちょうど今のあんたの人生分より少ないくらいか。今までのやり方全部捨てろとまでは言わねぇが、まあ……そうだな。父上の埋葬済むくらいまでは、お試しのつもりで見守ってくれねぇか」

 ポフムの心情は分からなかった。

 ただ、彼はかすかに瞠目し、やがてユルユルと真顔になった。かと思うと、左膝を突き、立てた右膝に手を置く。左拳を地面へ立て、深々と頭を下げた。

「司憲府掌令イ・ボフム、謹んで御命に従います」

「いや、だからそんな改まらなくってもいいんだけど……」

 やや引き気味になりながらも、ホンウィもそれ以上は言わなかった。

 瞬き一つで思考を切り替えると、「行くぞ」と彼を促す。彼も、「はい」と答えて、キビキビと立ち上がった。


©️神蔵 眞吹2018.

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