第十三章 深奥の入り口
「何故ここへ集められたのか、分かっておるな」
司憲府の、やや広めの取調室へ集められた四人を、睥睨するように見つめて、ホンウィは口を開いた。白いチョゴリとパジに身を包んだ彼らは、各々椅子に、両手と両足を赤い縄で拘束されている。
周囲の壁には、見ただけで恐ろしくなるような拷問道具が掛けられていた。室内には軍士が八人と、コン、ポフムも待機している。
「殿下。恐れながら、まったく分かりませぬ。何の召集でしょうか」
怖ず怖ずといった口調で訊ねたのは、カン・メンギョンだ。
「何。先王殿下が亡くなられた朝、そなたたちが思政殿の南回廊で何の話をしていたのかを確認したくてな」
「ならば、普通に訊いてください! このように縛られては、まるで罪人の尋問ではありませぬか!」
「その通りだが?」
「殿下!」
「それでなくても、そなたは一度虚偽の証言をしているのは分かっているのだ、カン・メンギョン。一度嘘を吐いた者は、その後いくらでも嘘を吐く。信用できないと考える私は間違っているか?」
ホンウィは、冷ややかにメンギョンを見据えた。しかし、メンギョンは厚顔にも「恐れながら」と返す。
「わたくしは、虚偽の証言などしておりませぬ」
「ほう? ならば、先王殿下が亡くなられた日の朝、南回廊で何を見たのか、もう一度答えてみよ」
「わ、わたくしは……南回廊で御医と領議政様、左議政様が談笑しているのを見ました」
覚えず、冷笑が漏れる。
「それは嘘だと、とうに調べが付いている。ゆえに、領議政と左議政は放免されたのだ。知らぬわけではあるまい?」
「ア、安平大君様もご一緒でした!」
「虚偽に虚偽を重ねるか。先日は、安平叔父上の名前など、そなたは出していなかったではないか」
「も、申しそびれたのです」
「言いそびれただと?」
「はい」
メンギョンの視線は、またしても左へ泳いでいる。
「あ、相手は王族ですゆえ、迂闊なことを申してはと……」
「掌令」
ホンウィは、メンギョンを遮り、久し振りに会うポフムに目を向けた。
「はい、殿下」
「そなた、確かこの数日、メンギョンの見張りで含元殿の前にいたな」
「左様です」
「そなたが見張りに立ってから今日までに誰か、メンギョンを訪ねた者はいないか?」
すると、ポフムはどこか躊躇する様子を見せる。
「……恐れながら、殿下」
「何だ」
「この場で、申し上げてもよろしいのでしょうか」
「構わぬ。ここは事実を明らかにする場だからな」
ポフムは尚も数瞬、逡巡していたが、やがて躊躇いがちに口を開いた。
「……首陽大君様がお見えでした」
「それは、いつのことだ」
「三日前です」
(三日前……)
確か、首陽がスニたちを訪ねていたのも三日前だ。これは一体何を意味するのだろう。どの道、いい傾向とは言い難い。
「首陽叔父上以外に、誰か訪問者は?」
「都承旨様の奥方と、お子様方が一度、差し入れに見えられました。ほかには、どなたもおいでになっていません」
「そうか。大司憲」
「はい、殿下」
「先刻は訊きそびれたがな。安平叔父上の当日の不在証明は取れているのか?」
「はい。安平大君様は当日のその刻限、確かにご自宅においででした。奥方やご側室、奴婢たちにも確認が取れております」
すると、メンギョンが声を荒らげた。
「そのようなモノは証明でも何でもございませんぞ、殿下! 妻や奴婢なら、身内も同然! 口裏を合わせることなど、造作もありますまい!」
しかし、コンは構わず続ける。
「同時刻には、李賢老殿もお訪ねになっていたとか」
「イ・ヒョルロ? 初めて聞く名だな」
「安平大君様の文人仲間だそうです。ほかにも、安堅殿、朴彭年殿、金守溫殿などがご一緒だったと確認が取れております。次の詩歌会のお話し合いをされていたようで」
「パク・ペンニョン?」
知った名前が出て来て、ホンウィは思わずその名をなぞった。
「パク・ペンニョンをご存知で?」
「ああ……世子時代に講師を務めて貰ってた。今は集賢殿の副提学だったな。祖父様や父上にも可愛がられてたし……」
それに、パク・ペンニョンは、永豊君の義父である。永豊君の正妃が、ペンニョンの三女なのだ。
ちなみに集賢殿とは、高麗時代からある官庁で、国家政策の議論や、学問研究などを担当する部署だ。
「それで? 親しい友人の証言も、口裏を合わせていると申すのか?」
「そっ、それは……」
「その日の内に父上は亡くなられた。安平叔父上が、父上の死因を心底病死だと思っていらしたとしたら、取り調べが来るなどと予見はできないと思うぞ。そなたならどうだ。本当に死因が病死だと思っていたら、取り調べ官の来訪は予想できるのか?」
ついにメンギョンは押し黙った。
「……恐れながら、殿下」
代わりのように、この場でスヌィが初めて口を開いた。
「申し上げてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「殿下は、どのような答えがお望みで?」
「望む答えだと?」
「左様です。先刻から殿下は、都承旨の証言を潰すようなことばかり仰っている。我々の言うことが信用ならぬのでしたら、最初から罪状を決めて、裁かれればよいではありませぬか」
「それでは真相の究明にはならぬだろう」
スヌィに、呆れたような流し目をくれたホンウィは、「大司憲」とコンに水を向ける。
「はい、殿下」
「例の病理日誌と、そなたの調査結果をこれへ」
「は」
コンは一礼し、その手に先刻から携えていたものを、恭しくホンウィに差し出した。医女のヨ・ガリョンが命懸けで記した日誌と、調査結果と思しき冊子である。
ホンウィはそれを受け取ると、スヌィとピョン・ハンサン、チェ・ウプの前に並べる。
「この数日、ここにいる大司憲、及び掌令と司諫院の右献納も加わって調査してくれた結果だ。それと、こちらはそなたたちの部下に当たる医女の一人が残した記録。目を通してみろ、と言っても、拘束されておらずとも手に取るとは思えぬから、私の口から話そう」
一旦、間を置くように言葉を切る。椅子の背もたれに背を預け腕組みし、彼らから見えない角度にある足も組んだ。
「これまで、御前会議の場では散々上った話題ゆえ、私には聞き飽きた感があるがな。そなたたちはその場にいなかったから、初めて聞く話やも知れぬ。台諫と義禁府の調べによれば、そなたたち先王殿下の主治医班は、医術書にある腫れ物に対する処方とは真逆の治療を施し、先王殿下を死に追いやった。その診療過程は、医女が書き留めた日誌に克明に記されている。まず、何故そのような治療を行ったのか、真意が知りたい」
顎を引くようにして、正面からスヌィを睨み据える。すると、彼は意外にもまっすぐにこちらを見つめ返した。
鋭いようで、淡々とした目だった。
「真意などございません。ただ、我々は真心と、持てる医の技術を尽くして、先王殿下の治療に当たりました。我々の力が及ばず、このようなことになったのは非常に残念ですし、申し訳なく思います」
「しかし、思政殿の南回廊で目撃されたそなたは、首陽叔父上と都承旨と共に談笑していたそうではないか」
「談笑など、滅相もない」
「では、その場で医術書を見直していたという証言は、どう説明する?」
「御医となった今も、わたくしは初心を忘れぬことを大事にしております。折に触れ、医術書を見返すのは当然の義務でございますれば」
「思政殿の南回廊で、首陽叔父上と都承旨とは何を話していた?」
「先王殿下のご容体が思わしくなかったので、今後の対応を協議しておりました」
「それにしても、すぐに議政府へも報告しなかったのは、どういう腹積もりであった?」
「必要ないと思ったまでです。すぐに回復なさるものと、我々もそうなるよう手を尽くしました」
「だが、医女の手記には、正しい治療とはまったく逆のそれが施されたと、はっきり書いてある。それについてはどう説明する?」
「どの医女が書いたものかは存じませぬが、彼女の思い違いでしょう。我々はきちんと適切な治療をいたしました。力及ばず、先王殿下が亡くなられたことは、お詫び申し上げます」
舌打ちしそうになったが、どうにか堪えた。
(……クソッ……埒が明かねぇ)
公平な立場で聞けば、スヌィの返答にはまったく無理がなかった。切り込む隙さえ見つけられない。
その時、スヌィがまるでホンウィの微かな焦りと苛立ちを読んだように、クスリと小さく笑った。嘲りが籠もっていると、嫌でも分かる。
「何がおかしい」
ホンウィは、腹部に力を入れるようにして低く落とす。スヌィは、「いえ」と言いつつも唇の端を面白そうに吊り上げた。
「ですから、殿下の欲しいお答えを伺ったのです」
「何?」
「わたくしは今、真実ありのままの事実を申し上げておりますのに、殿下はご納得いかないご様子。なれば、そこにある拷問道具で、そこに立っている軍士たちに、我々を拷問するよう申し付ければよろしいではないですか。さすれば誰かが、苦痛のあまり、殿下の欲しいお答えを口にするかも知れない」
「何だと?」
「そなたっ……いくら何でも口が過ぎよう!」
ホンウィがぶち切れるより早く、キレた者がいた。ポフムだ。
彼は、スヌィの横に滑るように歩み寄ると、机に掌を叩き付けた。
「どなたにモノを申していると思っている!」
バン! と派手な音が上がるが、スヌィはピクリともしない。
「この国の国王殿下だと承知しているが?」
「きっさま……!」
「掌令」
目の前で先に、自分以外の者が爆発した所為か、ホンウィは逆に冷静になれた。
「そなたこそ、この場を何と心得ている。少し慎め」
「しかしっ……!」
言い募ろうとするポフムと目線が合う。彼は、ハッとしたように目を見開いたあと、口を閉じた。
「……申し訳ございませぬ。つい……」
「よい。次から気を付けよ。記録を続けてくれ」
「は」
ポフムは軽く頭を下げると、握り締めていた冊子をそろそろと元通りに戻す。
「さて。話を戻そうか、チョン・スヌィ」
「は」
「そなたの先程の問いに答える前に、もう一つ訊きたい。そなたも三日前、首陽叔父上と会っているな」
それまで淀みなく答えていたスヌィが、この問いには瞬時、言葉を呑むようにして押し黙った。だが、それは本当に一瞬のことだった。
「……何のお話をされているのでしょう」
「とぼけなくてもいい。そのあとすぐに、永豊叔父上も訪ねたはずだ」
「覚えがありませぬ」
「左様か。なれば、私は白昼夢か幻影でも見たということになるのかな」
「は?」
「私もその場にいた。首陽叔父上が資善堂から出て行くのを、この目ではっきりと見たのだが?」
できるだけ、淡々と見えるように意識してスヌィに視線を据える。
けれど、スヌィは相変わらず動じた様子を見せず、うっすらと微笑した。
「……白昼夢か幻影でございましょう。まして殿下は、お父君を亡くされて間もありませぬ。お疲れなのでは」
「だが、資善堂でそなたたちの見張りをしていた軍士という目撃者もいる。この件に関しては、言い逃れはできぬぞ」
「できねばどうされると仰せです」
は? と言いそうになって、ホンウィは危ういところで口を噤む。
(落ち着け)
折角ポフムが先にキレてくれてぶち切れずに済んだのに、ここで怒鳴り散らしては、色々と台無しだ。
軽く深呼吸して、改めてスヌィと向き合う。
「どういう意味だ」
「お訊きしているのは、わたくしです。何がそんなに納得いかないと申されるのですか」
「そなたの返答、すべてだ」
「何故です。矛盾などは一切ないはず」
「確かに、そなたがこれまで凡庸以下の働きしかして来なかったのなら、納得したであろう。だが、そなたのこれまでの実績と、あまりに食い違いすぎる」
すると、スヌィが再び動揺した表情を見せる。それを逃さず、ホンウィは言葉を継いだ。
「そなたが頭角を現したのは、確かお祖父様の代だったな。私がまだ、母上の胎内にいた頃に、錦城叔父上が大病を患った。ほとんど危篤状態までいった、当時十四歳だった叔父上に懸命の治療を施し、救ったのがそなただったと聞いている」
「……過分なお言葉です。わたくし一人の力ではございません。ほかにも大勢の医官が治療に当たり、錦城大君様を救う為、尽力しました」
「さもあろう。だが、その功で、そなたは内医院に取り立てられ、その後お祖父様の命で複数の医術書編纂にも携わっている。お祖父様の主治医班に組み入れられたのが、お祖父様が亡くなる三年前だ。お祖父様が亡くなられた為に、一度免職になったが、錦城叔父上の口添えもあって、その年の内に内医院へ復帰している。いくら王子の口添えがあったとて、それなりに優秀でなければ、先王の逝去後、年内に復職は叶うまい」
スヌィは、今度はひどく複雑な表情になり、初めて視線を逸らした。
「そなたが編纂に関わった医術書には、父上のことがあってから目を通した。『医方類聚』は、まだ編纂の途中のようだな」
「は……いえ。あれはあれで完成しております」
「そうか。門外漢が余計な口出しをするようで悪いが、あれはちょっと膨大過ぎないか?」
「は?」
取り調べから趣旨がズレたように感じたのだろう。スヌィはもとより、その場にいる全員が目を丸くしてホンウィに注視した。
「あ、いえ、その……どういった意味で?」
「言葉通りだ。分量が多過ぎて目移りする感がある。片っ端から医術の知識を学ぶには適していようが、基礎知識のない一般人がとっさに参考にするには改良が要るのでは、という話だ。まあ、折角纏めたモノを廃棄しろとまでは言わぬから、少し考えてみてくれ」
「はあ……」
「とにかく、書いたもの一つ取っても、そなたの優秀度合いが分かる。今日になるまでに、実は医官が一人、そなたの弁護に来た」
「医官……?」
それまで黙っていたコンも、首を傾げる。
「殿下。それは、いつのことで?」
「昨日の、終業時間直前だ。承元伍と名乗った。典医監の提調だと言っていたな」
典医監とは、医薬品管理部署である。提調というのは、官庁の長を指す役職名で、その官庁は典医監に限らない。
ホンウィは、コンに向けていた視線をスニに戻した。
「お祖父様と父上、そして錦城叔父上や典医監提調も認めた医術の腕が、父上の死の直前になって突然腐ったとはどうしても思えぬ。どこからどう見ても優秀な医官が、あのような過誤を犯すなど、どう考えても腑に落ちぬのだ」
スヌィは、上げていた視線を再度伏せている。
「スン提調は、そなたの医術の天才振りをいたく褒めていた。あの者の言葉をそのまま言うと、『あの天才が、治療を誤るなど有り得ぬことです。そして、診察と病の特定を誤ることも同じくらい有り得ない。だとしたら、チョン御医の意思とは違うモノがあるとしか考えられません』だそうだ」
あれだけ饒舌に受け答えしていたのが一転、スヌィは完全に沈黙した。
「正直、私もそう思う。そなたの実績と、此度の父上への治療の齟齬が不自然すぎるくらいだからな」
「……何か……確たる証拠があって、申されておられるので?」
「今のところは状況証拠だけだ。そなたの言う“確たる証拠”というのが、何物にも犯されぬ絶対的な証拠という意味なら、ないと答えるほかないが」
瞬時、その場が静まり返る。
「……スヌィ」
「はい、殿下」
「頼むから、本当のことを教えてくれねぇか」
口調が変わった所為だろう。スヌィのみならず、コンとポフムを除く全員が、弾かれたように顔を上げ、再度ホンウィを注視した。
「……本当の、ことと仰いますと」
「父上が亡くなった日の朝と三日前、首陽叔父上と何を話した? 何でわざと、意図的に治療を失敗するようなことしたんだ」
スヌィは、何度目かで視線を落とす。その表情は、やはり淡々としている。
「スヌィが答えられないなら、メンギョンでもいい。本当は首陽叔父上と何を話した?」
メンギョンのほうが分かり易く目を逸らし、何とも表現し難い苦渋の表情を浮かべた。
「ピョン・ハンサンか、チェ・ウプでも構わないぜ。治療時の内容なら、あんたたちでも話せないこたぁねえだろ」
名指しされた両名は、戸惑ったようにホンウィを見た。次いで、何かを伺うようにスヌィを見る。
しかし、当のスヌィは、目線を落としたままだ。
「あの、殿下」
そこへ、コンが口を挟む。
「ん」
「恐れながら、その……お言葉遣いが」
「ああ。いいんだ。ここは今から私的な場だから」
ホンウィは、行儀悪く肘を突いて、プラプラと手を振った。
「は?」
「私的……でございますか?」
ポフムとコンが、口々に問う。
「そ。俺は医者の医療過誤で父親を亡くした哀れなガキで、治療に当たった医者にその理由を個人的に問い質してるトコだ。よって!」
言いつつ、ポフムを指さした。
「今こっからの先の会話は記録すんなよ。俺がいいって言うまでな」
「はっ、はいぃ!?」
目を剥くポフムに構わず、ホンウィは視線をスヌィたちに戻す。
「ってわけだから、こっからの会話が公になることはねぇ。これなら話してくれるか?」
スヌィを始めとする四人は、一様に唖然とした顔つきだ。どの点に驚いているのか、ホンウィとしては心当たりが多過ぎて特定する気にもなれない。
「……では、その前に、わたくしの先程の質問にお答え頂いても?」
やや疲れた表情で、最初に口を開いたのはスヌィだ。
「あんたの質問?」
「左様です。何故、拷問を始めぬのです。痛め付けて、ご自分の望む答えを言うよう、強要すればよろしいではないですか」
「それでもあんたは、話してくれる気がまったくなさそうだけど?」
問いを返せば、スヌィは、言葉を押し戻されたように、一瞬沈黙する。
「……もちろんです。殿下こそ、わたくしの問いにお答えくださる気はないのですか」
「嫌いだから」
「は!?」
あっさり言うと、スヌィは目を一杯に見開いた。これは、彼以外の三人も同様だった。皆、一様に再度唖然としている。
容疑者のみならず、その場にいる全員も、ほとんど同じ顔をしていた。
「あっ、あの……恐れながら、殿下」
そんな中、そろりと手を挙げたのは、コンだ。
「何」
「伺ってもよろしいでしょうか」
「何を」
「嫌い……というのはその、どういう……」
「言葉通りだよ。拷問加えんのが気が進まねえって言ってんの」
またもや刹那、室内が静寂に包まれる。が、果敢にも言葉を継いだのは、やはりコンだった。
「お、お言葉ですが、殿下! 拷問なしで取り調べが成立するとでもお思いですか!?」
「じゃあ訊くけどな。痛め付けた相手から得られる情報が全部正しいって保証がどこにある?」
冷ややかな流し目をコンにくれると、彼は息を呑んだように唇を引き結んだ。
「さっき、スヌィが言った通りだ。捕まった人間が、拷問されて吐くことが正しい場合ってのは、一割もありゃいいほうだろ。残りの九割は、苦痛に耐え兼ねて嘘の自白をするってのが大半だ。それで陥れられる人間が、年間何人いると思ってる?」
「し、しかし……」
「その辺り、ほかでもねぇ冤罪を防ぐ為の官庁である司憲府がどー考えてんのかは、改めて聞かせて貰ったほうがよさそうだな。けど、今、俺は父上の治療をシクってくれた上にまんまと死なせてくれた医者に、苦情申し立ててるトコなんだよ。ちょっと黙ってろ」
「は……あ」
何をどう言ったらいいか分からない、という表情で、コンは小さく頭を下げる。
それを見届ける間も惜しく、ホンウィはスヌィたちに向き直った。
「で?」
「は?」
状況に付いて来れていないのか、スヌィは間抜けな声を出す。
「は? じゃねぇよ。教えてくれんのくれねーの?」
「な、何を」
「だから、わざと治療を間違った理由だよ。できれば動機も」
「……拷問されても吐く気はない、と先刻申し上げたように思いますが?」
スヌィの言葉遣いも僅かに崩れる。それを聞いて、ホンウィは、唇の端を不敵に吊り上げた。
「なるほど」
「何です?」
「いや? 吐く気はねぇってことはだ。何かあるってのは吐いたも同然だと思ってさ」
「ッ……!」
これまで淡々としていたスヌィの表情が、明らかに変わった。しまった、と彼が思ったであろうことは一目瞭然だ。
しかし、直後には彼はフイと視線を逸らせてしまう。
ホンウィも黙って、スヌィと、時折左右へ目線をずらし、メンギョン、ハンサン、ウプを見るが、しばらく誰も口を開く気配はなかった。
やがてホンウィは、はあっ、とこれ見よがしに溜息を吐く。
「……なあー。この中に、ちょこっとでも思いやりのある奴はいねぇわけ?」
スヌィ以外の三人が、顔を上げた。そこには、『思いやり?』『どういう意味?』とデカデカと書いてある。
「だってさー、考えてもみろよ。腫れ物なんて、初期治療さえしっかりすりゃ治るよーな病でさぁ、あっさり父親亡くしちゃった俺の身になって考えてくれる奴、いないの? 四人も大人が雁首揃えてんのに? これで母上が生きてりゃまだ救いもあるけどよぉ。上は十五歳、下は十歳の姉弟が孤児になっちゃったんだぜ? かわいそーにって手ぇ差し伸べてくれる優しい大人はいねぇわけだ。あーあー、世知辛いとは思ってたけど、ホンット救いようのねぇ世知辛さだよなー」
俺泣いちゃうっ、と止めに泣き真似をするように、ホンウィは両手に顔を伏せた。
ちょっと白々しくやりすぎたか、と、チラリと両手の指の隙間から覗き見ると、やはりスヌィ以外の三人は、分かり易くオタオタしている。彼らはしきりに、ホンウィとスヌィの間で、忙しく視線をウロウロさせた。
「……あ、あの、殿下」
「知ってどうなさるのです」
口を開き掛けたメンギョンを遮るように、スヌィがはっきりとした言葉を発する。
「……どうって?」
ゆっくりとした動作で掌を下ろすと、ホンウィは背もたれに元通り背を預け、腕組みした。
「仮に、我々が事実を申し上げたとしましょう。その事実により、先王殿下の真の死因が明らかになったとして、その先は?」
「そりゃあ、然るべき罰を与えるに決まってるだろ。本当に裏があるんならな」
無意識に側頭部を掻き上げようとして、指先に触れた翼善冠の感触に、手を元に戻す。冷えた目線でスヌィを見据えるその姿は、十歳の少年と思えないほど艶っぽく、それでいて威圧感があった。
「……ただ、どうするかは、話を聞いてからだ。現時点では推測だけど、俺もスン提調の意見に同感だぜ。仮に、故意に治療を誤ったとしたら、それは多分あんたの意思じゃない。強要されたなら、なるべく拷問もしたくない。どうせ吐くなら、痛い目見ない内のほうがいいだろ、お互いに」
「真実を知ったからと言って、先王殿下が生き返るわけではないでしょう」
「そんなことは分かってるよ。仮にあんたらが悔い改めて心から懺悔して、事実を暴露したとしても、時間は戻らねえ。だけど、父上が亡くなられたことに、いくらか折り合い付ける材料にはなるからな」
「殿下の、心のあり方の為に、協力しろと?」
「まあ、そう言われちゃ身も蓋もないけど、その通りかもな」
クスリ、と自嘲気味な笑いが漏れる。
そんなホンウィを、スヌィは相変わらず淡々とした目で見つめた。
「報復を、お考えではないのですか」
「報復されるようなこと、したのか」
問いに問いを返すと、スヌィは何度目かで言葉に詰まったような顔をした。
そしてまた、沈黙が降りる。しかし、ホンウィはその沈黙を引き延ばさなかった。
「……なあ。あんたたち、子どもがいるかどうかは知らねぇが、両親はいるんだろ。どっちかの親が急に、初期治療さえ誤らなきゃ怖くもねぇ病で死んだら、原因を知りたいと思わねぇのか」
「そっ、それは……」
弱々しく言ったのは、やはりメンギョンだ。
彼は口を開いたあと、何かを伺うようにチラリとスヌィを見る。
「あんたたちの中の頭はスヌィみたいだから、スヌィにもう一度訊く。どうしたら、真実を語ってくれる?」
スヌィは、いつしか落としていた視線を上げると、やはり無表情で口を開いた。
「わたくしは、先程真実を語りました。それがすべてです」
「おーい、さっきはほかに事実があるよーなこと、言ってなかったか? 俺が感じた矛盾点についてもいちいち指摘したと思うけど。もっかい言わなきゃダメか? それとも、スン提調をここに呼ぶか?」
「どうせ事実を知ったところで、殿下は正当な裁きなど下せません」
「何だと?」
「正当な裁きが下らぬのなら、我々がすべてをかぶっても同じことでは?」
「ンなもなぁ、聞いてみないのに分かるわけねーだろ。いー加減、憶測で決め付けんのやめろよ」
「……憶測と決め付けで生きておられるのは、どちらだか」
スヌィの口から、またも嘲るような笑いが漏れる。
「どういう意味だよ」
「所詮、医学に携わる者は技術者です。技術者がこの国では軽んじられているのは、殿下もご存知でしょう。困ったら縋るクセに、我々を卑しいと蔑んでいる。蔑んでいる者たちをいくら踏み付けても、痛くも痒くもないはずでは?」
スヌィの顔に、陰惨な笑いが刻まれた。
©️神蔵 眞吹2018.




