崩御
バサリ、と重たい音を立てて、白い衣が翻る。夕闇に沈み始めた薄暗がりを裂くように、空に近い場所で、その白が舞った。
「王の魂よ! お戻りください!」
叫びと共にまた一つ、薄闇の中で踊る白を、少年は目を瞠って眺める。
(――嘘だ)
この儀式の意は、明らかだ。王が――少年にとっては父親が亡くなったということを、端的に示す現実だった。
だが、少年はそれを簡単には受け入れられなかった。
確かに、父王は今朝も顔色が優れなかった。
『大丈夫だ、弘暐。いつものことだろう?』
『威張ることじゃないだろ、父上』
おどけたように言った父を詰ったのは、ほんの半日と少しだけ前のことだというのに。
(こんなに、急に)
「世子〔皇太子〕様」
こちらに気付いた内官〔宦官〕の一人が駆け寄ってくるのと、白い衣が三度宙を舞うのは、ほぼ同時だった。
王の居所である大殿の屋根から衣が放たれ、それを下で待っていた内官が受け取る。衣を抱えた内官が急いで大殿へ入っていく後ろ姿に、ホンウィは迷わず続いた。
「世子様!」
背後から、止めるような声がするが、構わなかった。
内官と女官たちが頭を下げる日常の光景が、今は遠い。女官の手で開かれる扉の中に、勢いよく駆け込む。
「世子様」
扉に背を向けていた大臣たちが、一斉にこちらへ視線を向けた。
彼らの向こう側、部屋の一番奥に布団が敷かれている。その布団に横たわった人物に、内官が抱えていた衣をそっと掛けた。
枕元には、王の主治医である御医が、悄然と頭を垂れている。
震える足を叱咤し、ホンウィは父の傍へ歩み寄った。
膝を突いて、顔まで覆われるように掛けられた衣を、そっと剥ぐ。
衣の下から現れた父の顔は、ただ眠っているだけに見えた。
「……父上……」
だのに、目を閉じた父は、もう呼び掛けに答えてくれない。
父上、ともう一度呼んで、今度は身体を揺する。けれど、結果は変わらなかった。
「……嫌だ……父上」
「世子様」
「起きてくれよ、父上。いつもの、ことなんだろ?」
臣下たちがいる、ということは、ここはこんな時でも公式の場だ。だが、ホンウィは素の口調で父に訴える。取り繕うことなど、できやしない。
「嘘だ……」
今朝は、元気一杯とまではいかなかったものの、それでも話をしていたのに。
(俺を見て、困ったみたいに笑って……)
『さあ、もう行きなさい、ホンウィ』
言って、父が頭を撫でてくれたのは、今朝のことだ。まだ、あれから一日も経っていない。
『終日、ここにいるわけにはいかないだろう? 大臣たちだって、私への謁見を控えてくれているのに』
離れるんじゃなかった。
そう思った途端、たちまち目の中に涙の幕が張る。
こうなると分かってたら、今日が最期だと知っていたら、今日一日くらいずっと一緒にいて、手を握っていたのに。
あっさりと溢れ出た涙が頬を伝う。絹の常服に滴が落ちる音が、やたら大きくその場に響いた。
それでいて、その音はどこか遠くから鼓膜を震わせたような気がした。
父上。
そう言ったのか言わなかったのか、それすらもう認識できない。
いつの間にか、姉夫婦や叔父たちが駆け付けたのにも気付かず、ホンウィは父にしがみついて慟哭した。
©️神蔵 眞吹2018.