◆ 2話 ◆
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
お兄さまと一緒にパンを食べ終えると、ショッピングモールへ戻った。
女の子ってショッピングが大好き。
ショッピングって、とっても楽しい。
欲しいものを手に入れるんだから嬉しくなるのは当たり前。けれど、欲しいものを探すだけも期待で胸がワクワクするし、ただ何となく見て回るだけでも、ああ、あんなのがあるんだ、次はこんなのが欲しいな、あの人が着てる服ってこの店で買ったんだ…… とかとか、新しい発見がいっぱいでぜんぜん飽きずに楽しめちゃう。
そんな楽しいショッピング、好きな人と一緒なら有頂天になるのも当然で、綾名はさっきまでの暗い気持ちをどこかに忘れてしまったようで。
「うわあっ! ねえお兄さま見て見て! このワンピース可愛いくありません? 前から欲しかったんですよっ、5割引ですって!」
それに今は3月末。
春の装いで埋め尽くされたお気に入りのブティックに「決算直前! 最終売り尽くし大バーゲン」の赤い文字がサンバを躍る。
「綺麗なピンクだね。綾名に似合うんじゃないか? 買っちゃえば?」
「ええ~っ、買えませんよ! 5割引でも1万円しますからね。わたしもお兄さまを見習って倹約修行に励まなきゃいけませんし」
「まあ、そうかもな」
「あっでも、こっちもいいなっ! う~ん、でもちょっと地味目かしら?」
「そんなことないって。綾名って大人びてるからシックなのもピッタリはまる」
「お兄さま口上手い! 店員さんみたいですよ? でもやっぱり我慢ですね~」
綾名の財布にはそれなりのお金がある。家が借金背負ったと言っても、住んでる屋敷や所有する不動産が抵当に入っただけで、すぐさまの影響は出ていない。しかし、それがどういう意味かは綾名にもちゃんと分かっている。要するにこの金は借りた金なのだ。
「そうだ、次はお兄さまの服を見ましょうよ! さっきからわたしばっかり見てますよね」
「いいよ、別に欲しいものとかないから」
「わたしが見たいですっ、お兄さまの服! え~っと」
向かいの店はヤングカジュアルな女性服、お隣さんは婦人向けのブティックでその向こうには婦人下着の専門店…………
綾名は辺りを見回すけれど、レディースの店しか見当たらない。
「このモールは女性向けばっかりなんだよ」
「ホントですね、以前はメンズもあったのに……」
綾名は何気に翔太の青いカジュアルシャツに手を伸ばす。
そうしてその襟元を軽く引っ張ると形を整えた。
「……へんだった?」
「いいえ。その服、よく似合ってるなって」
自分でもどうして襟を整えたのか分からない。でも何となく、ふたりの距離がちょっとだけ近くなった気がした。
お兄さまの少し照れ気味な「ありがとう」を聞くと、首を傾げてにこりと微笑む。
「お兄さまは何か見たいものとかありますか?」
「そうだな…… 2階の本屋、かな」
「あっ、いいですねっ! 文芸部ですものね! ねえ、どんな本を読むんですか?」
「あ、えっと、何でも。けどラノベが多いかな」
「ラノベはわたしも好きですよ! 『マリアさまに恋してる』とか面白かったな」
ライトノベル、略してラノベ。表紙が萌えるイラストで飾られる若者向けの読み物と言えばいいのだろうか。コウモリは鳥か動物か? 隣のおばさんはゴリラか人間か? と言う風に分類と言うものは案外難しいもので、小説のジャンル分けも簡単そうで難しい。
綾名が口にした『マリアさまに恋してる』は表紙も萌えるイラストでラノベと言えばラノベなのだが、本屋さんでは『女性向け』のコーナーに置かれることがほとんどだ。いわゆる『少女小説』。だから綾名もちょっと違うかな、とは思ったけれど、話を合わせようと頑張ってみた。
「それってアニメになったやつ? あれ、原作ラノベだったの?」
「そうですよ。わたしアニメの方は見てませんけど」
「へ~え、読んでみようかな」
「では早速、2階へGOです!」
エスカレータで上った先には専門書も充実している大きな本屋さんが広がっている。
「こちらです」
綾名は颯爽として雑踏を進む。立ち居振る舞いの美しさは淑女のたしなみ。「お兄さま」の前で恥ずかしい姿は晒せない。まして今はデートの真っ最中なのだ。胸を張りラノベのコーナーを華麗にスルーすると目標はその少し先にあった。
「ここですっ!」
「んなっ?」
BL?
耽美?
ロマンス?
淑女……??
「って、ここって女性向けコーナーじゃん!」
完全に引き気味のお兄さま、心の中で綾名は謝る。ごめんなさい、確かに少し恥ずかしいですよね。だって女のわたしでもちょっと恥ずいもん。でもね大丈夫、わたしが一緒だから。周りの目なんか気にしないで! ねえ負けないで! そう言う気持ちで彼に半歩近づくと、にっこり笑顔で本を探した。
「えっと…… あ、これこれ!」
もう出版してかなり経つその本はシリーズ化もされた人気作だからだろう、未だに本棚にあった。綾名は大好きなその本を抜き出し翔太に手渡す。しかし本はビニールで密封されて内容を見て貰うことは出来なかった。ただ、表紙はセーラー服を着た女子高生ふたりが仲良く絡んでこっちを見ている少女マンガ風イラストで、どこからどう見ても百合っぽくて「この本は女性以外は手にするべからず」と激しく訴えかけていた。
「マリン文庫って少女向けレーベルだよね」
「そうですけど。お兄さまはこう言う小説は読みませんか?」
「うん、読んだことない。ってか、普通の男子は読まないんじゃないかな」
「でも面白いんですよ、一度目を通すだけでもしてみません? そうだ、今度家から持ってきてお貸ししますよ?」
綾名は少し躍起になる。
確かに男の人は読まなそう。でも面白いんですよ。一度でいいから読んで欲しいなあ。きっと一気に読んじゃうから。そんな気持ちを視線に乗せて翔太を見つめる。
「まあそうだな。綾名のお勧めだし、ともかく色々読んでみるのもいいかもな」
「そうですよっ、じゃあ他のお勧めも一緒にね!」
「それはありがたいな」
綾名は嬉しくなって自分の本棚を思い浮かべた。あれもよかった、これも読んで欲しいな。そんな本がいくつか脳裏に浮かび上がる。勿論、あの本はさすがに品性疑われるかも…… ってのもあるけれど。
「今度いっぱい持ってきますねっ! その代わりって訳じゃありませんが、お兄さまの本も読ませてください」
「ああ勿論。でも男性向けばっかだから綾名に面白いかは知らないぞ」
「面白いに決まってます!」
翔太が本を棚に戻すと、綾名はその手にすっと触れてみる。
「えっ」
黙って彼を見上げると少し上気しているようにも見えて、わたしって案外大胆なんだな、と自分に驚く綾名。
「次、いきませんか?」
「あ、うん」
「青柳くん?」
「あひゃっ??」
女の人の声がした。
お兄さまは素っ頓狂な声を上げると繋いだばかりの右手を放す。
声の主は優等生風な赤毛の長いツインテール。
「赤峰さん?」
「どうして疑問形なのよ」
淡いピンクのシャツにチェックのスカート。
赤峰と呼ばれたその女性は翔太と綾名を交互に見ている。
「いや、赤峰さんもこんなとこで何してるの?」
「こんなとこって、ここ本屋さんでしょ? 参考書を買いに来たんだけど。それより青柳くんこそ、デート?」
「えっ……」
綾名と翔太、一瞬ふたりの目が合った。
「あ、紹介するよ、彼女は春日綾名さん。僕の、妹」
75点の答えかな、と綾名は思った。まあまあ合格点。ここで「違う違う、そんなんじゃないよ」なんて言われたら拗ねてその手を摘み上げていたかも知れない。
「妹さん? 青柳くんってひとり暮らしよね」
ひとり暮らし? 仕事でいつもいないけどお母さまとふたり暮らしでしょ?
と綾名は思ったが黙っておいた。
「あ、ああ。妹って言っても血縁はないんだ。幼馴染み、みたいなものかな」
紹介された綾名は軽く会釈をすると。
「はじめまして、春日綾名です。今日はわたしがお願いして一緒にお買い物をして貰っています。どうぞお見知りおきを」
綾名が頭を上げると、赤峰も自己紹介をした。
赤峰塔子。
翔太と同じクラスで仲良しだと言う彼女はいかにも真面目で聡明そうな目をしていた。派手さはないけど綺麗な顔立ち。
赤峰は一言二言、学校の話題を翔太と交わすと、笑顔で手をあげ去っていく。
「ごきげんよう」
会釈をして彼女を見送りながら、綾名は不思議な、胸の奥がずんと重くなるような感覚に襲われる。
「ねえ、塔子さまとはどういうご関係?」
「クラスメイトだけど。彼女はクラス委員で勉強も出来るしあの通り見た目もいいからモテるって噂」
訊き方が悪かったのかしらと、綾名は質問を変える。
「塔子さまはお兄さまの恋人なのですか?」
「んぶほっ!!」
突然咳き込んだ翔太は、綾名を見ると笑い出した。
「それはない。まあ仲良くはして貰ってるけどね」
「そうなのですね。でもあの方はお兄さまがお母さまと一緒に暮らしてること知りませんでしたよ?」
綾名はちょっと得意げにお兄さまを見上げる。
しかし、戻ってきた答えに綾名は絶句した。
「母は二年前に死んだんだ」