◆ 1話 ◆
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(綾名とデート!)
電車に乗ったふたりは、そのまま大阪環状線沿いの繁華街へと向かった。
「なあ綾名、僕なんかとでいいの?」
「だってデートって、その…… 好きな人とするものでしょ?」
「えっと、それって……」
「わたし、初めてなんですよ、デートって。お兄さまは?」
「あ、えっと、僕も初めて、かな?」
「何ですかその疑問形。さては経験者ですね? まあ2つも年上だし仕方ないです」
彼女の全てを見透かすような大きな瞳に見つめられると翔太の心臓がまた跳ね上がる…… 今日はこれで何回目、いや何十回目なのだろう? 今度会うときはちゃんと手帳に正の字をメモりなが数えよう。
「じゃあ、そんな経験者のお兄さまに今日のデートはお任せしますね」
「お任せって……」
「ほら一言にデートって言ってもお食事したりショッピングしたりカラオケしたりホラー映画を見たりお化け屋敷に行ったり、って色々あるんでしょ?」
「怖いの好きなんだ」
「大っ嫌いです」
一緒に笑いながら翔太は考える、綾名はなぜデートをせがんだのだろう?
一条を好きになれなかった、それは見ていて分かった。だから楽しいことをして気を紛らわせたいのだろう。だったら相手は僕でいいのか? 仲のよい友達とかを呼び出した方が楽しいんじゃないか? いや、もしかしたら相手は誰でもよかったのかも知れない。もしそうだとしたら僕は何をしたらいい? どんな言葉を掛けたらいい? 嫁ぐ相手に幻滅した少女の気持ちを翔太はあれこれ想像すれど考えれば考えるほど分からなくなっていく。
「じゃあもうお昼だし、まずはご飯を食べようか?」
「はいっ!」
電車を降りると繁華街の雑踏をかき分け街一番のお洒落なショッピングモールへと向かった。
行き交う若い男どもはみんなみんな綾名に振り返る。
明日まではまだ中学生、それでも彼女のオーラは際立っていた。
「えっと、何が食べたい?」
「お兄さまのお勧めで」
お勧めと言われても貧乏においては超エリートと呼ばれるボンビー翔太である。この辺ではハンバーガー屋と立ち喰いうどん、あとはこぢんまりしたカレーショップしか知らない。この中で初デートに許されるのは辛うじてハンバーガー屋だけだろう。
「ハンバーガーなんてどうかな?」
「はいっ!」
心底嬉しそうな綾名の笑顔に翔太の心がズキリと痛む。
彼女の気持ちは窺い知れない、けれどもこれが彼女にとって初めてのデートなのだ。だったらいちばん楽しんで貰わなきゃ。最高の想い出を作ってあげなきゃ。たくさん笑顔にさせてあげなきゃ! 綾名はきっとそれを期待しているんだから。
(奮発して、もっとお洒落な店を探せば良かったかな)
しかし、ハンバーガーだってセットをふたりで頼めば軽く1000円を超える。
思わず財布を覗き込む。
「お金はわたしが払いますよ?」
「何言ってるの。大丈夫。あっちで割引クーポン配ってたし……」
いいところを見せたい翔太だが、ない袖は振れない、ない金は使えない! さっきの一条に比べるとなんて小さくみすぼらしくカッコ悪いんだろうと凹む。
(こんなことなら机に仕舞っておいた3万円入りの封筒を持ってくればよかった)
「あのっ! やっぱりそこの地下にあるパン屋さんでパンを買って食べませんか?」
「えっ?」
「地下のパン屋さん、美味しいんですよ」
「でもさ……」
「ねっ、行きましょ!」
言うや翔太の先に立ち「うふふふっ」っと楽しそうに歩き出す綾名。
で、結局。
「ホントにこんなんでいいの?」
「わたしはこれが食べたかったんですよ?」
ふたりはショッピングモールの横に広場を見つけてベンチに腰を下ろす。
「試食用のクロワッサン、よっつもサービスして貰いましたねっ!」
「やっぱ綾名の笑顔は破壊力抜群だな。あのおじさん「幾つでも持ってけ」だって!」
「だってお兄さまにはパン一個じゃ足りないでしょ?」
高いビルに囲まれてぽっかり空いた暖かな空間。
ふたりは大きなソーセージパン(本日の特売品)を膝に乗せると、紙パックのコーヒー牛乳にストローを突っ込む。
そうして揃っていただきます。
「ごめんな綾名、こんな安っぽいデートが初デートだなんて」
「どうしてです? 綾名、すっごく楽しいですよ。それともお兄さまは綾名とじゃ楽しくありませんか?」
「そんなことあるわけないだろ! でも、いいのかな?」
「何がです?」
「だって綾名はもうすぐ……」
「お兄さま!」
綾名は怒るでもなく、笑うでもなく、その表情は窺い知れず。
「わたしはまだ自由ですよ。誕生日だって6月ですし。それに今はお兄さまとのデート真っ最中、でしょ?」
「あ、そうだね」
「だったら、そのことは忘れてください!」
「わかった」
「さすがはお兄さまです」
そう言った綾名はパン屋のおじさんを一瞬で落とした可憐な笑顔を翔太に向ける。
「はい、あ~ん!」
タダで手に入れたクロワッサンを半分にちぎって、翔太の口元へと差し出して。
「あ~ん」
「よ、よせよ」
「よしません。デートってこんなことするんでしょ?」
「だけど」
「だめですっ」
翔太の抵抗も、しかし、綾名の魔性の瞳の前では無力だった。
「わかったよ…… ぱくっ!」
「んふふふっ! お兄さまかわいいっ!」
「んぐんぐ…… もらあらあうなお」
「はははっ、何言ってるかわかりません!」
綾名は出会った頃からおませで快活な女の子だった。
でも。今日の彼女は少し背伸びしているのではなかろうか?
だったら、心から笑顔にしてあげなきゃ、と翔太は思う。
「クロワッサン、甘みがあって美味しいぞ。綾名も食べろよ」
「お兄さまが食べさせてくれますか?」
「勿論」
「うわっ、嬉しい! まるでデートみたい!」
「デートだろ?」
「そうでした。うふふふっ」
翔太はクロワッサンを小さくちぎって綾名の口に持っていく。
「はい、あ~ん」
「じゃあ…… んんっ! ほんろら、あまふてふっおくおいひい」
「何言ってるのかわかんないぞ」
「んんっ…… って、もう、お兄さま反撃?」
そんなこんなで。
ぽかぽか陽気の広場でふたり、あれやこれやと喋ったり食べたり笑ったり。
綾名はクロワッサンを少しずつちぎっては可憐なその口に運ぶけれど、ソーセージパンはそれじゃあ食べづらい。一方の翔太は大胆にそのままかぶりつきながら。
「かうひれがぶっとまれるんら……」
「なに言ってるか分かりません」
「んぐ…… っと。ソーセージパンはこうしてがぶっと食べるんだよ」
「分かっています。えっと、こっち見ないでください」
綾名はあっちを向いてパクリ。
「んおいふうれふ」
「なに言ってるかわかんない」
「…… 美味しいです!」
とまあ、こんな感じで。
お互い空白だったこの3年間のことなんかを話しながら。
お互い気になっていた些細な知らないことを教え合いながら。
やがて。
「ごちそうさまでした!」
お安くて、お財布に優しい昼食を終えると綾名はすっくと立ち上がった。
何事か? と翔太は見上げる。
「あの、お兄さま!」
ゆっくり3歩進んで振り返えった綾名は、真っ直ぐ翔太に向かう。
くりっと大きく印象的な瞳が翔太を捕らえて……
「電車に乗る前に言ったもうひとつのお話です。謝罪の話」
「あのさ綾名、その話はしなくてもいいんじゃないかな」
「えっ、どうして?」
「だって僕には綾名に謝って貰うことなんて何ひとつないよ」
「でも……」
何を想うのか、綾名は瞼を閉じてゆっくり深く呼吸をした。
やがて。
彼女が口を開こうとした、その時だった。
翔太の背後から男の声がした。
「綾名お嬢さま! 綾名お嬢さまではないですか!」
広場に入ってきたのは白髪の老紳士。
黒っぽい背広の彼は綾名に歩み寄ると感極まったようにその手を取った。
「お久しぶりでございます。少しお会いしない間にこんなにご立派になられて」
「じいや…… いいえ、高畑さん。お久しぶりです」
高畑と呼ばれた老紳士は綾名の手を両手で握りしめたまま。
「何を水くさいことを。私のことはじいや、とお呼びください。綾名お嬢さま」
「ありがとう。では、じいやもお元気そうですね」
その言葉を聞いた高畑はようやっと綾名の手を放した。
「はい、綾名お嬢さまがご紹介くださった松友のお屋敷でよくして貰っています。今日も瑠璃花お嬢さまのご用でケーキを買いに来たのですよ」
「瑠璃、いえ、瑠璃花さんは甘いものが大好きですからね」
「世のお嬢さま方は皆そうでしょう? 綾名お嬢さまもプリンにはたいそう目がなかったのでは?」
「そうですね、じいやの言うとおり。母のプリンは大好きでしたわ」
「お母上のお料理は天下一品ですからな……」
高畑は少しの逡巡のあと低い声で。
「お噂は伺っております。一条家の嫡男様とのご婚約の議」
「相変わらず情報が早いのですね」
「おめでとうございます、でよろしいのですね?」
「はい、ありがとう、じいや」
「しかし驚きです。綾名お嬢さまはまだ15と言うのに」
「どうしてこうなったか、じいやなら知っているのでしょう?」
「あ、はい」
「ではいっそ、喜んでください」
「そう仰られても」
「ならば、じいやにならどうにか出来るのですか?」
「いえ、それは……」
綾名は高畑に花のような笑顔を向ける。
「わたしは大丈夫です。それにまだ決まったわけではありません」
「やはり綾名お嬢さまはご立派になられました。じいやにはキラキラと眩しゅうございます…… あっと。こちらは?」
高畑、ここで初めてベンチに座る翔太に気がつく。
「青柳翔太さま、わたくしの大切なお兄さまです」
「あ、これはもしや、昔、綾名お嬢さまと仲がよかった……」
高畑は翔太に慇懃に挨拶をする。
翔太も立ち上がり彼に頭を下げる。
少しの間、綾名と昔話に花を咲かせていた高畑。
やがて時計を見るや時間がないと、何度も何度も頭を下げて、心の底から名残惜しそうに去っていった。