◆ 2話 ◆
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
日曜日。
今日は綾名の誕生日、そして晴れて結納の日。
夢みたい。
大好きな翔太さまと一緒になれる。
これから翔太さまが結納の目録をお納めに来る。そうしてわたしは受書をお渡しする。
飾り付けとか婚約指輪とか、そう言う儀礼は一切なしにしましょう、との申し出。しかも受書は婚姻届にサインをする、そんな一風変わった流れになっている。全て翔太さまのたっての希望とのこと。勿論わたしに異存はない。儀式なんかどうでもいい、形式なんて構わない。翔太さまと一緒になれるのだったら。
だけど。
綾名には予感があった。
この提案、翔太さまは何かを企んでいるんじゃないかと……
あれはもう3週間前。
じいやが松友家の使いとして書状を持ってきた日の夕方、商店街の外れの公園で綾名は翔太と会った。頭は混乱していたけどピンクのブラウスに精一杯のおめかしをすることだけは忘れなかった。
「驚かせてごめん。実は僕自身も突然の事で驚いているんだけどね」
一条家からの帰りだというお兄さまは新調パリパリの青いブレザーを着て頭をかきながらそう言った。
じいやの話ではお兄さまは「青柳翔太」ではなく「松友翔太」なのだと言う。松友家がお兄さまを養子に迎えたのだという。
でも、どうして?
最初は綾名を助けてくれるために瑠璃が仕組んだんじゃ? そんなことも考えた。だけどそれならお兄さまを養子にする必要はない。お金を用意するだけでいいはずだ。
「一体何があったんですか?」
「松友のご当主に気に入って貰ったんだ」
中学の頃、瑠璃は長女だから後を継がなきゃ、って言っていた。だから松友家は養子縁組みなんて考えていなかったはず。仮に養子を探していたとしても、お兄さまにも瑠璃にも、そんなそぶりは全然なかった。あまりにも唐突すぎる……
「って理由じゃ納得しないよね。実は……」
話を聞いて驚いた。
お兄さまが松友のご落胤だった、なんて。
いや、話からすると「ご落胤」というのとは少し違う。そもそも瑠璃のお父さんは自分に「翔太さま」という子供がいることを認識していなかったようなのだ。が、いずれにしてもお兄さまは「養子縁組」ではなく「認知」されたも同然だった。
「それもこれもみんな綾名のお陰なんだ。綾名がいなかったら瑠璃花お嬢さまと知り合うこともなかったし、「父」と巡り会うこともなかった」
「瑠璃花お嬢さま、だなんて。お兄さまは瑠璃のお兄さまになるんでしょ? だったら呼び捨てにしたら?」
「あ、まあそうだね。でも急には無理だよ、あの貫禄だし」
からりと笑ったお兄さまは、だから、と強く言って。
「僕の人生は大きく変わる。正直言うとまだ戸惑っているし混乱もしている。けれど父は信用できる。新しい妹たちも、そして新しい母も僕のことを歓迎してくれる。僕は幸せ者だ。そして僕の運命を変えてくれたのは間違いなく綾名だ。だから、僕の幸せも半分こにしないと、ね」
「お兄さ、ま……」
「なあ綾名、ちょっと来てくれないか?」
公園の出口の方へ歩き出すお兄さまの後ろ姿を追いかけた。お兄さまに追いつくと商店街を並んで歩く。立ち止まったのはお肉屋さんの前。お兄さまは後ろポケットから黒い小銭入れを取り出すとお肉屋さんのおじさんに声を掛ける。
「コロッケふたつ」
「また来てくれたんだね、おふたりさん!」
意味深にニヤリ笑うとコロッケを袋に入れながら。
「はいよ、いつものように1個はおまけでいいよ!」
お兄さまは「お言葉に甘えます」、って穴が開いた硬貨を手渡す。そうしてそれをふたつとも綾名に手渡した。
「これで6年前の契約は解除。僕には新しい3人の妹が出来た。それに綾名にはあんな申し出をしてしまった」
そう、わたしはお兄さまと一緒になる。お兄さまと結ばれる。
だったらちゃんと呼ばなきゃいけない。
「分かりました。翔太さま」
「ごめん。あんなことを申し出て」
「あんなこと?」
お兄さまは遠くぽかりと浮かんだ雲を見上げてゆっくり歩き始めた。あんなことって、何のことだろう? 何かお兄さまが謝るようなことがあったかな? わからない。わたしはこんなに嬉しいのに。
綾名はコロッケを1個手渡すと彼の横に並んで歩く。
「そう、あんなこと。綾名の誕生日に結納の儀式をお願いしたけど安心して欲しいんだ。僕の幸せの半分を、ちゃんと綾名にあげるから」
そう言うと翔太さまは手にしたコロッケをがぶっと頬張った。
呼び鈴が鳴った。
翔太さまは時間通りにやってきた。いや、翔太さま、と言うより、松友家ご一行様なのだけど。
結納は春日家の床の間で行われる。
広い畳の間には紫檀の長テーブル。床には活けられたばかりの白百合の花、お母さまの気合いの一品だ。わたしはというと桜色の振り袖姿。元を正せば一条家との婚礼を念頭に設えたものだけど贅沢を言ってはいけない。その代わり髪を結う花かんざしは翔太さまのために散々悩んで買ったもの。頬や唇には紅もさした。鏡を見ては何度も何度も手直しをしてそれはもう精一杯のおめかしを決め込んだ。
開かれたふすまから顔を覗かせたのは松友弥太郎さん。縁なしのメガネを掛けて知性がにじみ出るような風貌の、大企業の会長と言うよりも大学の先生が似合いそうな素敵なおじさま。その後ろには和装の奥様。さりげなく飛び立つ鶴が描かれた純和風な出で立ちだけれど髪はゴージャスな金色の巻き髪。顔もどう見たって日本人には見えない。鼻が高くてキリッとして、ハリウッドスター顔負けの美人さんだ。
最後に入ってきたのは松友翔太さま。いかにも新装したばかりの黒い礼服を着て明らかに緊張した顔をして。
ドキドキする。
今日のわたし、綺麗かな?
これからずっと翔太さまと一緒なんだ。
実際は大学卒業まで今まで通り別々に暮らす、一条家の時にはありがたいと思った条件だけど、翔太さままで引き継がなくたってよかったのに。綾名は今すぐにでも一緒に暮らしたいのに。
思い出す。始めに一条弘庸さまから申し出があった。そして瑠璃の計らいで二岡さん、三藤さん、四宮さんとも出会って一条さまと同じような申し出をいただいた。父のためにも母のためにも綾名は自分の気持ちを作ろうとしてきた。けれど綾名の気持ち頑なだった。きっと時間が解決してくれる。そう思ってきたけれど、時間だって綾名が思うほどの名探偵じゃなかった。何を見ても楽しくなくて、何を聞いても意味が分からず、何を食べても味がしなかった。それがあの日、全てがひっくり返った。
両家が席に着くと翔太さまが口上を述べ始める。
嬉しい。
嬉しい。
嬉しい!
こんな幸せがやってくるなんて!
わたしは今、締まりのない顔をしていると思う。
「この度は綾名さまとの婚礼のためこのような席を設けて戴き……」
はい、翔太さま。
このような席を設けさせていただいて、こちらこそありがとうございます。
ええ、本当に今日はなんていいお日柄なのでしょう。
もちろん幾久しくお納めしますとも。
普通は父親がすべきところ本人が口上を述べたのも翔太さまのたってのご希望だとか。だからわたしも目録を納めると受書に代わる婚姻届に名前を入れる。一億円の目録を受け取ったお返しに婚姻届にサインをするなんて、何てあからさまにストレートな儀式。でもわたしには一切異存がない。これでわたしは翔太さまと結ばれる……
手が少し震えたけれど何とか綺麗に書けたかな。
綾名は全ての名前と朱印が入った婚姻届を翔太さまにお返しする。
恭しく書面を受け取った翔太さまは「拝見いたします」と言ってわたしの書いたところを確認すると最後の口上を述べた。
「本日はありがとうございました。これで無事に結納をお納めすることができました」
両親が揃っているにもかかわらず本人が口上を述べるという一風変わった結納はあっさりと終了。晴れて春日家も救われて、わたしも翔太さまとの未来を約束して貰った。ちょっと目の前が霞んでしまう……
「結納は確かにお納めしました。では」
翔太さまは重ねてそう言うとわたしを見てにこりと微笑みました。
「申し訳ありません。僕の我が儘をお許しください!」
びりっ!
一瞬の出来事でした。
あまりに突然だったので誰も声すら出せません。
翔太さまがふたりの大切な婚姻届けを真ん中から破り裂いたのです。
そうして息を飲む綾名に会心の笑顔を向けました。
「これで綾名は自由だ!」
翔太さまは満足そうに立ち上がりました。




