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◆ 5話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その日、土曜の夕方、待ち合わせはカラオケボックスにした。

 先方はホテルの料理屋を提案した。車も回すからって。けれどもカラオケボックスの方が話がしやすいって思った。個室だし、ちょっとくらい大きな声を出しても平気だし、何よりホームグラウンドだ。だから話の内容からは場違いだって分かっているけど家の近くのカラオケボックスに来て貰った。今日は朝も僕のアパートに来てくれた松友弥太郎氏。朝と同じ濃紺のスーツ、手には黒い皮のビジネスバッグ。仕事先から直接来てくれたんだろうか。


 翔太はドリンクバーでホットコーヒーをふたつ注ぐと217号室に向かう。開いたままのドアの中には学者先生が立ったままで待っていた。


「ここのコーヒーは結構美味しいんですよ、マシンですけど」


 薄暗い部屋に足を踏み入れてカップを彼の前に置くとドアを閉めた。5人が座ればいっぱいな小さなボックス。空調をオンにしてカラオケのボリュームを絞ると彼の斜め前に座った。


 陽気な新曲案内の映像を横目にまだ熱いコーヒーを少し啜る。学者先生も白いカップに口を付けた。


「朝の話…………」


 翔太は少しの間を置いて切り出した。


「母はきっとこう言ってくれると思います。よかったね、って。だけど母は大変な思いをしてきたんだと思う。朝から晩まで働いて、自分は食べなくても僕にはたくさん美味しい物を食べさせてくれて、僕にはたくさん楽しいことを経験させてくれて、僕だけにいい思いをさせてくれて、それで過労がたたって…… だから、よかったね、だけじゃ済まないと思う。けれど幼い頃、母は言ったんです、父は素晴らしい人だって。だからきっとよかったねって言っていると思う。だけど、だけど……」


 何を言っているんだ。自分でも話がまとまらないのが分かる。しかしそんな僕の話を天上人の学者先生はただ黙ってじっと聞いていた。


「だから、だから僕が貴方の息子になる前にふたつだけお願いがあるんです。ひとつ、僕の将来は僕に決めさせて欲しい。そしてもうひとつ、慰謝料をください。一億円。それ以上でもそれ以下でもなく一億円。これが貴方の息子になる条件です」


「翔太くんはその金を使うつもり、なのかな?」

「はい、すぐにでも」

「わかった」


 学者先生は僕を見つめたままゆっくり肯くと、また白いカップに口を付けた。



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