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◆ 2話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 松友弥太郎まつともやたろう、少しやせ気味の体を濃紺のスーツに包んだ紳士は日本を代表する企業グループ・松友財閥を取り仕切る会長さまだ。雲の上の人、いや成層圏を突き抜けた天上人。その天上人が今、青柳翔太のぼろアパートの前に立っている。


「あの、僕にご用でしょうか?」


 ひとり暮らしの「僕」の家の前に立っているんだから「僕」にご用事に決まっている。何とも間の抜けた言葉を発した翔太だが学者先生@天上人は慇懃いんぎんに「ええそうです」と答えた。


 一体彼は何をしに来たのだろう?

 縁なしメガネの奥にある目は怒っても笑ってもいない。珊瑚ちゃんが来るのは10時のはず、まだ9時過ぎだし肝心の珊瑚ちゃんの姿は見当たらない。勿論ゴージャスの君の上から目線も感じない。


 翔太は玄関の前に立ち彼に尋ねる。


「珊瑚ちゃんと一緒じゃないんですよね」

「ええ、その前に貴方と話がしたいと思いましてね」


 出かける前に掃除はして置いたから、どうぞと天上人をぼろアパートにお通しする。

 安普請やすぶしんの部屋に礼儀正しく一礼して入ってきた天上人の学者先生は翔太の勧めた椅子に腰掛けた。テーブルには花がなくなったガラスの一輪挿しがひとつ。色のない殺風景な部屋、綾名の部屋と違いトロフィーも盾も賞状も絵画も、何ひとつ飾られていない面白みのない部屋。そんな部屋をぐるりと見回す天上人。


 隣の家のきばんだ壁しか見えない窓を開けてまた思う。何をしに来たのだろう? 珊瑚ちゃんのことを断りに? いや、断るだけだったらここに来る必要はないはず。と言うことは調査? 自分の可愛い愛娘を託せるかどうかをその目で見に来た。うん、そうとしか考えられない。さて、何を喋ったらいいのだろう……


 しかし、短い沈黙は向こうから破られた。


「線香を上げても構わないかな?」


 朝から開いたままにしていた母の仏壇に視線を渡しながら彼が言う。

 そう言えば彼は母の知り合いだと言っていた。断る理由もなし、母も喜びます、どうぞとお願いすると彼は仏壇前に跪いた。

 暫く黙って座っていた彼はやがて線香をあげて手を合わせる。じっと静かに…… 優に1分は経っただろうか、やがて手を膝に置いた彼は仏壇に置かれた母の形見に目を向ける。


「それは母の形見なんです」

「開けてもいいですか?」


 僕が説明する前にそう言った天上人、どうぞと答えるとゆっくり袱紗を開いていった。そんな彼から視線を離すと翔太は台所に立つ。ポットを火に掛けティーバックを取り出す。マグカップではなくとっておきのティーカップを棚から出すと軽く洗って湯が沸くのを待つ。振り返ってジロジロ見るのも気が引けるから黙ってポットを見ていると、天上人の低く落ち着いた声がした。


「珊瑚は本当に青柳くんのことを気に入っててね。今日も楽しみにしてました」

「はあ、ありがとうございます……」


 これはまだ契約書を持って来ていない僕に対するプレッシャーだな、翔太はそう思った。だから、如何に珊瑚ちゃんが優秀か、僕みたいな一介の貧乏高校生の出る幕なんて微塵もないか。いや、ないどころか珊瑚ちゃんにとって時間の無駄だと思うことをとうとうと述べた。その間にポットはシュンシュンと音を立てて、ティーポットに注がれた熱湯は深い紅色を帯びた。


 翔太は安物の茶色いお盆で、ちょっとお高い白磁のティーポットとティーカップを運ぶ。それをテーブルに並べ紅茶を注ぐと仏壇の前に跪いたままだった天上人を招いた。


「ありがとう」


 そう言いながら椅子を引いた彼は、しかし座らずに立ったまま。


「回りくどいことをして困らせてしまったようだ。謝るよ。青柳くん、本当に申し訳ない!」


 天上人の学者先生は突然深く頭を下げた。想像外のことに驚く。


「いや、あの、別にそんなに悩んでたって訳じゃ……」

「そうじゃない。そうじゃなくって、このことなんだ」


 彼は手に持っていた母の形見が入ったケースをテーブルに置いた。


「この指輪は僕が君のお母さんに贈った物なんだ」

「…………ええっ?」



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