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◆ 2話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 運命の人、なのかしら?


 父の借金にも縁談の経緯にも、綾名は何も関与してない。

勿論、華族の血を引く春日の親類には政略結婚とか家同士が決めた許嫁いいなずけとか、そう言う結婚は枚挙にいとまがない。実際、綾名の両親は小さい頃から親が決めていた許嫁同士で、母も十六で結納を交わしたんだとか。


 しかし。

 それでも、だ。

 綾名は彼に会ったことすらない。

 それなのに最初から外堀は埋められていて拒絶なんて出来ない。

 もし、自分の力が及ばない定めを運命と言うのなら、これは運命なのかも知れない。

 それが幸せでも不幸でも。


 しかし、綾名は運命論者ではなかった。

 幸せも不幸も全ては自分次第、自分の力で変えられるって、自分の力で乗り越えられるって、そう信じたかった。


(わたしが彼と幸せになればいい。たったそれだけのことよ)


 緑の小道を抜け出ると、広場には明るい光が降り注いでいた。

 よし! と心で唱えた綾名は、胸を張って一歩、また一歩と約束の場所へ近づいていく。

 やがて、落ち着きなく周囲を見回していた一条弘庸は綾名の姿を認めると颯爽と手をあげた。


「こんにちは、綾名さん」

「……はじめまして。一条さん、ですよね?」

「ええ、一条弘庸です。弘庸ひろのぶ、でいいですよ」


 相好を崩して嬉しそうな一条。

 一方、緊張した面持ちの綾名はチラリ倉庫の方を見る。

 そうしてそこに「お兄さま」の姿を認めると不思議と落ち着いた。


「お会いできて光栄です。春日綾名です」

「綾名さん、って呼んでいいかな?」

「えっ、あ…… はい」


 いきなり名前で呼ばれることに少し戸惑いを覚えた綾名だが、心の中で首を振る。

 

(ううん、仕方ないでしょ。婚約するのだから……)


「では綾名さん、この公園を出たとこにお洒落しゃれな喫茶店があるので、そちらにでも」

「あっ、いえ、せっかく公園に来たんですし、素晴らしいお天気ですし、ベンチでお話ししませんか?」

「ベンチで、ですか?」

「ええ。それに今日は時間がなくって11時には戻りますから」

「そうだった、それは残念」


 ちょっと不服そうに一条はベンチに歩み寄り、椅子の落ち葉を手で払う。

 そうして、足下に視線を落とすと、そこにいたちょうの死骸を蹴飛ばした。


「っ!!」


 綾名から声にならない声が漏れる。

 小さな砂埃を残して黄色い羽は姿を消した。


「じゃあ座りましょう。実は俺と綾名さん、前にも何度か会ってるんですよ。覚えてるでしょう、去年5月セントラルホールでのクラシック演奏会。あの時、席が隣だったんですよ。すごく綺麗なひとだなあ、って。ねえ、覚えてませんか?」


 一条は熱く語るが、そんなこと綾名は覚えてないし。


「えっと、ごめんなさい」


(それよりも蝶が!)


「残念だなあ。去年の秋のコンサートにも来てましたよね。その時は席は離れてましたけど、誰より輝いてるなあって。まさかまだ高校生だったなんて驚いた」

「一応、明日までは中学生です」


(……蝶が!)


「あっ、そうだった。綾名さんって社交の世界でもよく名前を聞いてたし、すっごく大人びてるから、てっきり大学生だと思ってたんだ。ははははは……」

「よく言われます」


(……)


 もしかしたら、と綾名は考える。大人から見たらありが群がる蝶の死骸なんて単なるゴミなのかも知れない。だから目の前から払いのけた。でも綾名は大人じゃない。まだ15だ。そんな大人の気持ちは分からないし、分かりたくもない。


「そうそう、今度の土曜にM響の演奏会があるんだけど一緒に行きましょうよ。ちょうどボックス席の指定券もあるんですよ」

「えっと……」


 イエスと言うべき。

 分かってる。

 そうと分かっていても綾名の気持ちがそれを許さなかった。


「次の土曜はダメなんです」

「ええっ? 何か用事?」

「はい、その…… 松友の、そう松友のお嬢さまとの約束があって」

「松友ってあの松友グループの」

「はい、ご長女の瑠璃花さんは中学のクラスメイトだったんですよ」

「じゃあ仕方ないな」


 一条は内ポケットから出しかけたチケットを残念そうに仕舞い込む。

 綾名は優しく微笑みながら心の中に違う感情を感じた。

 それは自分が自分でないような不思議な感覚……


(ああわたし、こんなにすらすらウソがつけるんだわ)


「そう言えば綾名さんってテニスやってるんだよね。個人戦で府の大会にも進んだって」

「あ、はい、一応」

「俺も高校の時はインターハイに出たんだよ。どう今度一緒にテニスとか? 色々教えてあげられると思うんだ。通ってるジムのコートなら綺麗なシャワーもあって都合のいいときに使えるよ?」

「あ、えっと…… 実はその、この前手首を痛めまして、当面は無理なんです」

「うそっ! 大丈夫?」


 瞬間、綾名の右手を取った一条。


けがらわしい!)


 勿論、そこには包帯も腫れも見当たらない。

 しかし、一度傾いた負の気持ちベクトルは、どうしようもなく加速していく。


「もうほとんど治ってますけど、一応あと少しの間は大事を取ってとお医者さまが」

「残念だな、じゃあドライブなんてどうかな? 俺のポルシェで」

「あの、失礼ですけど……」


 綾名は聞かずにいられなかった。

 テニスはインターハイ経験者でクルマはポルシェ、家はお金持ちだし国立K大学に通う秀才、背もお兄さまより高いし顔もイケメンの部類。モテないはずがない! それなのになぜまだ15のわたしなの? 不思議で堪らない綾名の問いに、一条は笑いながら即答した。


「綾名さんは華族の家柄だし学業も優秀で、その上容姿端麗って有名だからね。父も母も綾名さんならって太鼓判を押すんだよ」

「……そうですか。ありがとうございます」


 綾名は心に残していた最後の光がふっと消えた気がした。


(わたしはこの人のご両親と結婚するんだ……)


 それから会話は30分ほど続いた。

 しかし、一条の言葉はなにひとつ綾名の心に残っていない。

 ほとんど一方的に一条が喋っていたというのに、もうすぐ綾名の旦那様になる人だというのに、綾名の頭の中は「この後」のことばかり。


 時間が来ると立ち上がった綾名。

 一条はそんな綾名の手を取って、駅まで一緒に付いてきた。




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