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◆ 5話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


(どうして頬が濡れるのだろう)


 綾名は自分のベッドに腰掛けて今日のことを思い返していた。

 昼から一条さんのポルシェに乗って美術館へいった。


 一条さんは紳士だ、車のエスコートもスマートだし絵画への造詣ぞうけいも深くて綾名よりたくさんのことを知っていた。ダリの話は面白かった。目立ちたがり屋で象に乗って凱旋門を訪れたりしたんだとか。ゴーギャンとゴッホが共同生活をしていた話も興味深かった。彼の部屋には本物のピカソが飾ってあるそうで、それはちょっとご自慢らしい。彼の自慢話はそれだけじゃなくって、高校の時に絵のコンクールで2回も入賞したとか、美術の成績はいつもよかったとか、そんな鼻高々なお話が多いのにはちょっとだけうんざりだけど、それもいつかは慣れるんだと思う。綾名はこの人を好きにならなきゃいけないんだ。


 ふと机の上の方を見る。絵画コンクールでの金賞の賞状。今日一条さんにはお話しなかった。別に隠すわけじゃないんだけど。そう言えばお兄さまがこの部屋に来たときにはとっても褒めてくれた。お茶の免状も書道大会の賞状も凄いねって言ってくれた。テニスのトロフィーなんか大げさに驚いていたっけ。


 お兄さま。

 お兄さまとは素晴らしい想い出がある。あの日の想い出さえあれば綾名は一生幸せに生きていける。そう思っていた。


 だけど。


 どうしてだろう、想い出すと頬が濡れる。

 ぽたぽたと零れて止まらない。

 あんなに楽しい想い出は作っちゃいけなかったのかな?


 ううん、違う。

 あの想い出がなかったらもっともっと悲しいんだと思う。

 だけど想い出すととても辛い。

 

 どうして?

 どうしてわたしの気持ちはこんなに我がままなの?

 どうしてわたしの気持ちはわたしの言うことを聞いてくれないの?

 今日寝て明日起きたら、明日寝て明後日起きたら、どんどん気持ちは変わっていくのかな。綾名は水色の枕に白いタオルを巻いた。こうしないと枕が濡れてしまうから。こんなこといつまで続けなきゃいけないのかな……


 今度の土曜日には嫁入り道具を買いに行く事になっている。最初は着物とか礼服とかタンスとか寝具とか、それからひな壇飾りとか、山ほど買わなきゃ、って言っていたけど、実際すぐにふたりで生活する訳じゃないんだし、ってことで着物と礼服だけにした。それでも両親は張りきっている。

 日曜には一条家と会って結納の段取りを決めるんだとか。仲人さんも立てなきゃとか言っていた。婚約指輪も買いましょうとか言っていた。準備ってホントにたくさんある。


 ……って考えるともう待ったなし。

 巨大な力に押し流されるように結婚へと一直線。

 しかし、そう考えるとまた頬が濡れてくる。


 ああ、どうしてなんだろう。

 どうしてなんだろう。



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