◆ 1話 ◆
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日、月曜日。
朝、学校で靴を履き替えると、1階の廊下で綾名に出会った。
僕の真横をすれ違いざま軽く会釈をして去っていった。
こんなに近くで一言も言葉を交わさないなんて初めてのことだ。僕の背後で綾名が駆け出す気配がした。顔だけで振り返ると、綾名はとっくに小さくなっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
火曜日。
夜、ネット小説を書くべくノートパソコンに向かう。
最初に自分のページをチェックする、しかし昨晩3日ぶりに更新した小説に何の感想も反響も入ってなかった。
勿論「あや」からも。
少し寂しい気持ちで続きに向かい合う。
しかし、キーを打つ手は止まったまま。
いつも進む字数の半分どころか、一行たりとも進まなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
水曜日
「ねえ青柳くん、春日さん何かあったの?」
顔を上げるとトレードマークの赤いツインテールが目に入った。
昼休み、スーパーで買っておいた半額パンを食べ終わると赤峰さんが机の前に立っていた。
「は? なに?」
謎料理部の部長、赤峰さんが声を掛けてくるときは決まって「大学に行く気になった?」と言う枕詞で会話が始まる。だから不意を突かれて間抜けな声を出してしまった。
「彼女ったら益々ぼう~っとしちゃって、きのうお湯を溢して手に火傷しちゃったのよ」
「それでそれはっ!」
「大丈夫よ」
慌てた僕に彼女は笑いながら大したことはなかったからと説明した。中指が少し赤くなった程度で済んだらしい。勿論、跡が残る事もないと。しかし、綾名に元気がないのは誰の目にも明らかだそうで。
「どうしたのか聞いてみても「何でもありません」としか言わないし。青柳くんなら何か知ってるかもって」
心当たりはある。
すごくある。ありまくる。
しかし、それは翔太の口からは言えない。
「でもさ、本人がなんでもないって言うんだろ」
「青柳くん、本当は知ってるのね」
赤峰さんはそういうと急に口先をとがらせた。
「酷いわね、教えてくれないなんて」
何故だかプイとそっぽを向かれて、そのまま彼女は離れていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
木曜日の明け方、ヘンな夢を見た。
僕にゆっくりお辞儀をした綾名が「さ・よ・な・ら」と口を動かすと、黄色い蝶になって飛んでいくのだ。優雅に舞う綺麗な羽を見上げて僕は思うのだ、蝶の命はすぐに終わるのだと。そして目が覚める。悲しすぎる気分がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
金曜日の夜、ゴージャスな瑠璃花嬢から電話があった。
早く契約書を持ってこいと言う。そうすればその時点からお金を払うことが出来るからと。何ともありがたい申し出なのだけど、実は彼女からの催促には訳がある。土曜日に2時間だけ珊瑚ちゃんの面倒を見てくれという申し出を断ったのだ。用事があるからって。
本当は用事なんかない。ヒマしてる。
でも、考えてしまうのだ。僕だけがこんな僥倖を授かってもいいのだろうか。今日の昼休み、購買部へパンを買いに行くとき廊下ですれ違った綾名は下を向いたまま、僕に気付いてもくれなかった。いつも向日葵のように明るく笑っている彼女のあんな姿は初めて見た。気のせいか少しやつれたようにさえ見える。美味しいことも楽しいことも面白いこともみんな半分こにするはずだったんじゃないか。だったら苦しみだって分け合わなきゃ。週末珊瑚ちゃんをほんの少し面倒見るだけで学校の入学金が貯まって、毎日のご飯が3段階特進でグレードアップする、そんなに恵まれて境遇に僕だけが浴するなんて赦されるはずがない。だから考えてしまうのだ。
「まさかこの話、断ろうとか思ってないわよね、アヤの気持ち分かってるわよね!」
ゴージャスの君は僕の心を見透かしたかのようにそう言った。勿論僕もそんなつもりはない。だけど綾名が幸せが先じゃないのか。契約は綾名の幸せを見届けてからであるべきだ。だから僕はあやふやな返事をして通話を終えた。




