◆ 3話 ◆
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当選番号は5時過ぎにネットに掲載される。
下準備を終えても少し時間があったから、綾名とふらり散歩に出た。
古ぼけた時代物の木造長屋を後にして、同じ速さで駅の方へと歩く。
昔よく遊んだ公園が見えてくる。ふたりの足は相談なんかしなくても自然とそちらを向いた。5月の日曜日の昼下がり、公園からは子供達のはしゃぐ声が聞こえてくる。鬼ごっごをしていたりゲーム機のデータ交換をしていたり、お父さんと自転車の練習をする女の子もいる。ベンチもブランコも可愛い天使たちが使用中、ふたりは公園の入り口で立ち止まる。
「あの頃は、毎日が楽しかったな」
自分に向かっての言葉なのだろうか、綾名は自嘲気味な笑顔を浮かべている。
(と言うことは、今は毎日が楽しくないと言うこと?)
しかし、そんな思いを口にするほど翔太は野暮じゃない。
このところ綾名は元気がないらしい。婚約のことで何かあるのか。二岡と三藤、四宮には正式に断りを入れたと瑠璃花お嬢さま@ゴージャスの君から聞いた。
「これからも楽しいことがいっぱい待ってるよ」
「そう、ですよね」
「宝くじにも当たるし」
「そうでした。当たるんでした」
ふたり顔を見合わせ笑い合うと手を繋いだ。
公園の向こうには小さな商店街、あのお肉屋さんのコロッケは今日も健在だろうか。
「珊瑚ちゃんのところにはいつから行くんですか?」
「取りあえず次の土曜日にお邪魔することにした。まずは試用期間と言うことで。契約はそのあと」
「えっ、試用期間だなんて! そんなのいらないでしょ? 瑠璃に文句言います!」
「いやこれは僕がお願いしたんだ。珊瑚ちゃんのことあまり知らないだろ、性格とか学力とか。それを見てから条件決めようってお願いしたんだ」
「まじめですね」
手を繋いだままで、また歩き出す。
小さな商店街には八百屋さんに果物屋さん、金物屋さんに質屋さん、喫茶店にうどん屋さん、そしてお肉屋さん。
「あれっ、綾名ちゃんじゃないの!」
店の奥から姿を現したのは肉屋のおじさん。おじさんと言うよりおじいさんに近い歳だろう、ニューヨークヤンキースの野球帽が若作りだ。
「お久しぶりです」
綾名は華やかに笑う。
「もしかして彼氏?」
「だったらいいんですけどね」
「どうコロッケ? 昔のようにおまけしとくよ」
綾名がちらりと翔太の顔を窺った。
「じゃあ2個ください」
翔太はポケットから財布を出す。コロッケは変わらず1個50円、2個で100円を手渡すとおじさんはコロッケを2個別々の紙袋に入れる。そうして50円をお釣りと言って翔太に握らせる。
「いや、これは」
「いいっていいって。綾名ちゃんには1個おまけするって約束だったからね。思い出すな、いつも友達に分けてただろ、綾名ちゃん。ホント優しいよね」
「そうでしたっけ。単に食い意地が張ってただけかも」
綾名がおじさんに手を振りながら歩き出すと翔太もそれに続いた。
右手には買ったばかりのコロッケが温かい。
「勢いで買っちゃったけど、いま食べる?」
「そうですね、熱々が美味しいですからね」
綾名の手にもコロッケの紙袋。ふたりは商店街を抜けるとお行儀悪くコロッケを頬張った。
「「美味しい(わ)」」
ふたりの声が重なった。
ふたりの視線が重なった。
だけど彼女はすぐに空を見上げる。
どうしたの、と聞く必要もない。だって綾名は泣いていたのだから。
古ぼけたアパートに戻ると5時になろうとしていた。
綾名も時間を確かめると翔太を見た。少し不安げな綾名。だけどその大きな瞳は翔太に訴える。だから翔太はノートパソコンを開いた。
「晩ご飯の準備もしなくちゃ!」
冷蔵庫を開けてミンチなんかを取り出す綾名、その間に机の上のパソコンは起動を完了した。カタカタカタ…… 検索をかけて当選番号を確認する。
「まだ結果は出てないね」
翔太の言葉に綾名は料理を続行している。
ちょっと手持ち無沙汰になったから、机の前に虫ピンで留められている宝くじを取り外すとテーブルの上に並べる。そしてその横にノートパソコンを移動させた。
この宝くじは当たる。
そうして綾名は自由になる。
もうすぐ訪れる彼女の16の誕生日、1億円の結納で嫁ぐ綾名。だけどその運命が変わる。誰に気兼ねすることもなく、自分の人生を自分の意志で歩けるようになるのだ。
きっとこの宝くじは当たる。
何故なら、翔太の未来は綾名によって開かれたから。彼女がゴージャスの君に働きかけてくれたお陰で破格のバイトが転がり込んできた。だったらその立役者である綾名が救われないはずはない。神様はそんな不公平なことをしない。だから当たる。
翔太は仏壇の扉を開いてロウソクに火を灯す。そうしてお線香を上げる。
手を合わせると母の声が脳裏に蘇った。
「ごめんね翔太、苦労をかけて……」
母の口癖、それは父がいないことを指していたと思う。母は自分を不器用な性格だと言っていた。生涯ひとりの人しか愛せなかったと。だけど生まれたときから母とふたりで暮らしてきた僕にはそれが普通のことだった。だから「苦労なんてしてないよ」、って答えた。
だけど、どうして今それを想い出すのだろう?
目を開けると綾名が横に座っていた。翔太ににこりと微笑むと彼女も線香を上げてくれた。
「なんだかドキドキしますね」
「心配しなくても当たってるよ」
立ち上がり宝くじサイトを再読み込みすると当選番号が掲載されていた。




