◆ 2話 ◆
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
綾名は懺悔しなくてはならない。
そう、あの時のことを。
胸ときめくあの時のことを――
振り向くとお兄さまはキョトンとした目で綾名を見ていた。
「今日こそ綾名はきちんと謝らなければいけません。いつかも言おうとして結局言えなかったことです」
「僕には綾名に謝って貰うことなんか何ひとつないよ」
「いいえ、わたしは6年前、お兄さまにコロッケひとつで命令しました」
「えっ、何? あの時のこと?」
「はい。あの時のことです……」
綾名の胸に6年前の気持ちが鮮やかに蘇る。
あの時わたしの心には傲慢が満ちていた。幼かったから、まだ小さかったから、言い訳はいくらでも出来る。でもあの時のわたしは間違いなく50円というお金の力でお兄さまの歓心を買おうとした。驕り高ぶっていた。一緒に遊んで欲しかったら素直にそう言えばいいのに。コロッケが欲しそうだったら素直に「あげるって」言えばいいのに……
「そんな昔のこと」
「昔とか今とか関係ありません。本当に、ごめんなさいっ!」
綾名は思い切り頭を下げた。
どうして6年前のことを今まで引きずっているのかって? それは、わたしの中ではまだ終わったことじゃないから。
もう2ヶ月近く経つあの日、わたしは一億円で嫁ぐことになった。それは春日家のため、そしてわたし自身のため。きっと悪いことじゃない。分かっている。分かっているけどお父さまに話を告げられたとき、綾名の脳裏に浮かんだのは6年前の出来事。
きっとこれはあの時の報い。
神様が与え賜ったわたしへの罰。
人の気持ちをお金で買おうとした、だからわたしはお金で買われるんだ。
けれど、お兄さまの声はいつもと同じで優しかった。
「僕は嬉しかったよ。あのコロッケのお陰で綾名と仲良くなれて、そして今でもこうしていられる。僕が進学できそうなのも全てあの時のことがあったからじゃないか。それを謝るだなんて」
「いいえ、あの時わたしはお兄さまの心を買おうとしたんです。そんなことしちゃいけないのに! だから、だからちゃんと謝らないと……」
「どうしても謝るって言うの?」
「はい」
「じゃあ、全部赦すよ」
あれっ?
いけない、涙?
泣いてどうする綾名!
だけど、眼から溢れる滴は止めどなく、拭っても目を閉じても止まらない……
ポットからの音が止まる。きっとお兄さまが止めたのだ。
やがて肩に感じる優しい手。
その感触は、お兄さまは怒ってなんかいないって教えてくれる。
綾名は分かっていた。
お兄さまが怒ってなんかいないのは分かっていた。
だけど、ちゃんと懺悔をしたかった。
口に出して言いたかった。
綾名が胸の前で手を組むと、お兄さまは黙って横に立ってくれた。
「辛かったんだ」
「はい」
気持ちが半分軽くなった。
だけど、今でも綾名はいけないことをしている。
一条さんとの縁談を進めておきながら、お兄さまとこうしている。
「……」
「……」
映画みたいに、小説みたいに、全てを捨てて逃げ出せたら……
…………
どれだけの時間が経ったのだろう。
気がつくと涙は止まっていた。
「ありがとうございました。もう大丈夫です」
時計を見るともうすぐ4時になる。
「晩ご飯の準備をしますね、あの、今日は何の日だか知ってますか?」
ちらりと机の前に貼ってある小さな紙片を見ると、お兄さまは小さく首肯した。
「うん勿論。宝くじの抽選日だろ」
「正解です!」
ちゃんと覚えてくれてたんだ。
よかった、今日ここに来て。
ああ、わたしは今、恋をしてるんだ。
だって、こんなに楽しいのだもの。




