◆ 2話 ◆
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくです。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
カテキョ採用面接の日、そう、決戦の日曜日。
天気予報では降水確率40%、空にはどんより厚い雲。しかし翔太は60%に賭けて傘も持たずにアパートを出た。
行き先は松友家。いや、松友宮殿といった方がいいだろうか、ともかく広大で豪華で、そして常識外れなお家だ。
翔太は昨日本屋さんで児童教育に関する本を色々と物色した。教育心理学とか学級運営とかコーチングとか、高校では理系コースに在籍する翔太にとって全く興味のなかった分野。だから知らないことばかりだった。と同時に、こんな僕が役に立てるのだろうか、と言う疑念がますます深まってしまった。
けれども、翔太が大学に行くには避けて通れない道、小説家になって稼ぐとか宝くじが当たるとか、そんな偶然と奇跡を掛けて10乗したような幸運は期待出来ないことくらい分かっている。だから頑張ろうと何度弱気になる自分を奮い立たせたことだろう。
服装は学校の制服にした。スーツとかそんなの持ってない。かといってジーンズなんかじゃラフすぎる。だから一番無難なこの黒い学ランにしてみた。
立派な門の前に立つと呼び鈴を押す。中から「お待ちください」の声がするとほどなく現れたのはメイド長の北丘詩織さんだった。
パーティーの時のお礼を言うと翔太は彼女について行った。二股に分かれた道を左に歩くと大きな宮殿が見えてくる。北丘さんは翔太の用件を知っていて「きっと大丈夫ですよ」と微笑んでくれた。旦那さまが面接をすると言った時点で一番高いハードルは超えているのだからと。
屋敷の門をくぐるとゴージャスの君と、長い黒髪の少女が待っていた。
「おはようございます、お兄さま」
真っ赤な絨毯の上を駆け寄ってくる綾名に翔太は少し驚いて。
「どうして?」
「どうしてここにいるのかってことですか? 決まってるでしょ、応援ですっ」
可憐な万華鏡が目の前で大輪の花を咲かせた。
薄いピンクのブラウスは絹のような光沢を放って、まるで綾名が面接を受けるかのように気合いが入ったよそ行きファッション。
「でもさ、今日は僕の面接だよ、綾名がそんなに着飾らなくても」
「ああ、実はこの後ちょっと用事がありまして。だからその前にお兄さまの応援にと」
「だそうよ。アヤのためにも頑張ることね」
ゴージャスに金髪をかき上げる瑠璃花はちょっとあきれ顔。
翔太はふたりに肯くと北丘さんに導かれ大きなテーブルがある部屋に通された。
彼女に言われたとおりの席に着く。約束の時間までまだ30分以上もあるからカバンから取り出した自分の履歴書を眺める。持ってこいとは言われてないけれど、いるかも知れないと思って書いてみた。中学卒業、高校入学、で現在に至ると言うだけの簡単なものだけど体裁ってヤツだ。しかしその単純なはずの履歴書もいざ書いてみると難しいものだ。悩みに悩んだ。まずは資格や特技、自己アピールの欄。学校では文芸部に入っているのだがそのことは書かなかった。何の実績もないし売り文句になるとは思えないからだ。これが野球部とかサッカー部とか剣道部とかだったら堂々と書いたと思うけど。特技だって何もない。セミを捕まえるのが得意だとか、ホットドックをふたくちで食べきれるとか、レトルトカレーの銘柄当てなら自信があるとか、そんなのが特技と言えば特技なのだが、きっと誰もそんな情報求めてないと思う。結局、趣味は読書で得意教科は数学ですって書いただけ。志望動機に至っては正直に、(大学に行く)お金が欲しいから、と書くわけにもいかず、松友家の皆さんの温かい人柄に触れて少しでもお役に立ちたいから、とか、歯が浮いて雲の上まで飛んでいきそうなことを書いてみた。
しかし、一夜明けて見返してみると「これじゃダメかも」、としみじみ思う。
トントン
ノックの音に驚いてドアに目をやる。慌てて「はい」と返事をするより早くドアが開いた。
「何を緊張してるのかしら」
「ああ、ゴージャスの君」
「そうよ、私はゴージャスの君よ、しかしね青柳さん、あなたが採用になったら私のことはちゃんと「麗しの瑠璃花お嬢さま」と呼ぶのよ」
「あ、はい、もちろんです、ゴージャスなる瑠璃花お嬢さま」
そんなやりとりをしながら瑠璃花は廊下の綾名を手招きをする。
「今日のことは異例中の異例よ。たかだか普通の高校生を妹の珊瑚の家庭教師にするとか、それも、もし大学に受かったらと言う仮定の話を今するとか、あり得ないことよ。それもこれも綾名が珊瑚をその気にさせてわたしに泣きを入れてきたからよ。いい、落ちたりしたらこの瑠璃花が許さない。おわかり?」
翔太はしっかりと首肯した。
そうなのだ、こんなチャンスを作ってくれた綾名のためにも頑張らなくちゃ。弱気になるな! 翔太が綾名を見ると彼女は一瞬の間を置いて微笑んだ。しかしその顔は少しやつれているようにも見えた。
「じゃあ頑張ってくださいね。わたしはこれから用事があるので失礼します。ごめんなさい」
そういうと綾名は何度も何度も振り返り大きく手を振り去っていった。
ほどなく面接が始まった。
面接官である瑠璃花のお父さんが部屋に入ってきたのは予定より15分も早かった。
「青柳翔太です。よろしくお願いします!」
「瑠璃花と珊瑚の父、松友弥太郎だ。まあ座ってくれ」
緊張して立ち上がった翔太に鷹揚に手をあげ着席を促す縁なしメガネの紳士。青みがかったシャツを着た、細身の、髪を無造作に分けた学者先生のような風貌。松友家の主であり松友グループの首領・松友弥太郎はゆっくりと着席すると真っ直ぐ翔太に向かい合った。さあ面接が始まる。翔太の品定めだ。どんな質問が来るのだろう。緊張で思わず身構えてしまう。
しかし。
「迷惑じゃなかったかな?」
想定問題集を丸暗記したのに裏を掻かれた、そんな一言に翔太は一瞬頭が真っ白になった。
「……そんなことありません。僕の方こそこんな事をお願いして申し訳ありません」
「珊瑚が君をいたく気に入ったみたいだね。どうだい青柳くんのペースでいい、珊瑚に勉強を教えてやってくれないか?」
あれっ、これ面接じゃなかったのか? 僕の成績がどうだとか趣味や特技がどうだとか、応募の理由がどうだとか、そんなこと聞いたりしないのか? 数学の試験に挑んだら問題は雑学クイズだった、ってそんな、肩透かしを食らった感じ。
「いやしかし僕なんかでいいんですか? どこの馬の骨かも分からない普通の高校生ですよ! いや馬でもサラブレッドならまだいいですけど血統不明の雑種の三毛ですよ! 品格も風格もないし何より貧乏だし、数学はまあ得意ですけど体育は平均点だし音楽の先生にはハッキリお前は音痴だと指摘されました、あ、正しくは絶対音感がないって言われたんですけど……」
「はっはっは」
学者先生は鷹揚に笑うと。
「それでも成績は優秀なんだろう? それに珊瑚は君が教えてくれたら全部百点取ってくると断言したんだよ。こう言うものは本人のやる気が一番大事だからね、青柳くんには是非ともと思っているよ。大学生になったらと言わず今すぐにでもどうかな?」
採用面接、と言う最初の話からいきなり脱線している。話が違う。方向性が星の彼方へ向かう銀河鉄道だ。
「えっ、あ、しかし……」
さて、と翔太は考える。
向こうが採用と言っているのだ、ありがとうございます、って言えばいいのだけど、でも何だかしっくり来ない、納得できない、気持ちがもやもやする。張り切って受験に来たのに「はい応募者が定員に満たなかったから君、合格。帰っていいよ」って言われたような、何とも腑に落ちない複雑な心境……
翔太が手元に置いていた履歴書をぼんやり眺めながらそんなことを思っていると学者先生が尋ねた。
「それは履歴書だね、見てもいいかな」
はい、と立ち上がり両手で学者先生に手渡した。彼はその書類に目を通して青柳くんは控えめな性格だな、と言って笑った。履歴書なんて自分を誇大表現するものらしい。ウソはいけないが紛らわしいは横行しているとか、大げさは当たり前だとか。彼はそう言いながら満足そうに肯くと書類をテーブルに置いて話題を変えた。
「ところで青柳くんはひとり暮らしと言うけれど、ご家族は?」
「いません。母は亡くなりました。父はいません」
「いない?」
「あ、すいません。知らない、ってことです」
僕がこの世に存在すると言うことは父も存在する(あるいは存在した)はずだ。だけど僕はそれが誰かを知らない……
「そうか」
暫しの沈黙のあと、学者先生は思いがけない名前を口にした。
「真由子さん、だよね」
「あ、え?」
「亡くなったお母さんの名前は青柳真由子さんだよね」
「はい。しかしどうしてそれを?」
履歴書にその名は書いていない。なのにどうして?
「すまないが少し調べさせて貰ったんだ。瑠璃花が奨学金の話を持って来たこともあるしね」
「……」
まあ当然と言えば当然かも知れない。僕はまだ高校生だし、こんな面接をすると言うことは事前調査もした上でのことだろう。だけど、そうと分かっていても気持ちがいいものではない。きっとそんな思いが顔に出ていたのだろう、学者先生は気に障ったら謝るよ、と言って。
「実はね、昔、わしの知り合いに同じ名前の女性がいてね、もしやと思ったんだよ。お母さんはN女子大の卒業生では?」
「そうです!」
「なあ青柳くん、これも何かの縁だ。困ったことがあったら何でも言ってくれ」
それから学者先生は高畑さんを呼び寄せた。彼とカテキョの件について具体的な条件などの話を済ませると、また翔太のお母さんの話をした。朗らかで聡明でとても優しい人だったと学者先生は言ってくれた。翔太も少しだけ母の想い出を語った。母の最期のことも話した。学者先生は何度も何度も肯きながら聞いてくれた。
拍子抜けの面談を終えて帰ろうとするとゴージャスなる瑠璃花さまが現れた。
「じゃあ、これから珊瑚のこと、よろしくね。あの子は好き嫌い激しいから気をつけてね。それから」
少し間を置いて。
「今日のこと、夜になったらアヤに報告しておくのよ。いいわね」




