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◆ 5話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 綾名は微笑みながら真っ赤ないちごのショートケーキを運んできた。

 白磁のカップにはミルクティー、広いリビングの革製ソファーはあまりふわふわじゃなくて、しっかりした弾力があって、とてもいい感じ。

 風呂上がりの綾名はベージュのシャツにホットパンツという出で立ちで翔太の隣に並んで座る。湿った長い黒髪から漂う石けんの香りが狂おしい。綾名はケーキを勧めながら。


「今日はわたしの「初めてデー」になりました。初めて喫茶店でデートして、初めて男の方を家に呼んで、初めて晩ご飯を振る舞って、初めて…… 下着を洗って…… って、あれっ電話?」


 リビングに響く着信音、綾名は慌ててソファーを立つと受話器を取る。


「あっ、お母さま! どうですか豪華列車は? うん…… うん………… うわあっ、それ凄い! うん…… うん………… よかったねっ! 楽しみにしてますねっ」


 電話の子機に喋りながら翔太に目配せをする綾名、お母さんから掛かってきたんだよ、って伝えるように。


「うん…… うん…… もちろん綾名は元気ですよ。はい…… はい、大丈夫、ひとりでも大丈夫ですよ。うん…… 戸締まりも大丈夫。はい…… はい…… 心配要らないって。じゃあおやすみなさい」


 通話を終えると翔太に笑いかけ綾名はウインクひとつ。


「そして、今日は初めてお母さまに大ウソをついた日になりました!」


 楽しそうに笑う綾名を見ると翔太も釣られて笑ってしまった。ここ笑っていいところかどうか微妙なんだけど。


 ケーキを食べながらテーブルに置いてあった豪華列車のパンフレットで話が弾む。もしもふたりで旅行に行くとしたらどこがいいって話。ヨーロッパがいいとかオーストラリアも捨てがたいとか、やっぱ日本語が通じる国内の温泉地がいいとか。で、ふたりの結論は「松友家が避暑地に持つ別荘を貸し切るのが一番」に行き着いた。一度綾名が行ったことがあるらしいその別荘は都会の喧噪が嘘のように閑静で高地だから夏でも過ごしやすく、建物も設備も過不足なく使用人は親切で食事も美味しくプライバシーも保たれるんだとか。おそらく日本で一番贅沢な時間が過ごせる場所らしい。そんなところで綾名とふたり過ごす…… あり得ない未来ないんだろうけど想像する分にはタダだ。


「でもね、一番重要なのは「何処に行くか」でも「何に乗って行くか」でもなくって「誰と行くか」ですよね。綾名はお兄さまとなら何処でもいいですよ」


 ソファに並ぶふたりの距離は握り拳2個分くらい。それを半分にすり寄った綾名は翔太を上目遣いに見上げる。翔太の心臓がびっくり箱のように勢いよく飛び出した。


「今日は生涯で最高にいい日です」


 綾名は薄く微笑んでいちごのケーキを口に運ぶ。翔太は暫くその様子を窺いながら彼女の言葉の意味を探った。綾名は言葉を続ける。


「わたし少し分かった気がします。恋って「するもの」であって「されるもの」じゃないんだって。常識や理屈や倫理観なんて全部無視して巻き起こる気持ちなんだって。それもこれも全部お兄さまのお陰です…… わたしの初恋は、お兄さまです」


 翔太は息を飲んだ。それは綾名の言葉に対してだけじゃない。彼女の真剣なその瞳があまりに美しかったから。


 静かな時間が流れた。

 翔太は何も言わなかったし、綾名もただ黙って座っているだけ。それでも心の中が満たされていく気持ち。言葉を探していた翔太は、どんな言葉も、やがてそれが嘘になることを知っていた。だったら……


「あの宝くじが当たるようにお祈りしようか!」

「お祈りなんかしなくても、あの宝くじは当たるんでよ」

「凄い自信だな」

「これは決定事項ですっ!」


 翔太を見上げる綾名は握りしめた両手をゆっくり開いて自分自身の胸を抱きしめる。まるでその手で胸の中の言葉を押し出すかのように。


「ねえお兄さま、今晩はここに泊まってください」


 微動だにせずじっと答えを待つ綾名に、翔太はゆっくり肯いた。

 綾名の家にお邪魔したときから「もしかしたら」こうなるんじゃないかって思っていた。その時はどうしようか、ほんのさっきまで悩んでいた。しかし綾名の言葉を聞いて少し分かった。大切なのは自分の気持ち、大切なのは今。そう、これは翔太にとっても初恋なのだ。


「よかった! じゃあ……」


 嬉しそうに花開いた万華鏡はケーキの上の大玉の真っ赤ないちごをフォークに刺して翔太の口元へと運ぶ。


「いいの? 一番美味しいところだよ」

「はい、いいんです」


 翔太は熟した果実を頬張ると自分のいちごを綾名に差し出す。小首を傾げて微笑んだ綾名は右手の人差し指を顎に当てて少し考えて。


「さてここで問題です。わたしのいちごとお兄さまのいちご、どっちが美味しいでしょう?」

「えっと、綾名のいちごの方、だと思う」

「わたしはお兄さまのいちごが美味しいと思いますよ。じゃあいただきます!」


 翔太が持つフォークの先にかぷりとした綾名はゆっくりもぐもぐ、いちごを食べて。


「すごく美味しいです」

「綾名のもメチャウマだったよ」


 それってたぶん、お互いのいちごにプラスアルファの美味しさが加わったから?

 ふたり笑い合って美味しいケーキを平らげると、時計の針はもうすぐ11時だった。



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