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お兄さま、綾名は一億円で嫁ぎます  作者: 日々一陽
わたしのお兄ちゃんになりなさい!
4/71

◆ 3話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 綾名を1億円もの大金で「買った」男はどんなヤツなのか?

 嬉しそうに昔話をする綾名を見ながら、翔太は頭の隅で考える、綾名の話では非の打ち所がない完全無欠な御曹司のようだけど……


 半額シール輝く箱入りバタークッキーを平らげると、ふたりはぼろアパートを後にした。

 朝の9時、空は青く爽やかに広がっている。

 綾名の手にはベージュの可愛いトートバッグひとつ。

 荷物になるからとボストンバッグは部屋に残してきた。

 まだシャッターだらけの寂しい商店街を抜けると、ふたりは懐かしい児童公園の前で足を止めた。


「よくここで遊びましたね~っ」

「ああ、綾名はいつも友達に囲まれて、まさしく「お姫さま」だったよな」

「お兄さまはそこのベンチでひとり宿題したりお勉強したり」


 母ひとり子ひとり、家に帰っても誰も待っていない翔太はこの公園が大好きだった。砂場に鉄棒、ブランコ、滑り台。商店街のすぐ脇の200坪ほどのこじんまりした児童公園。友達と一緒にじゃれ合ったり、クイズ本に悩んだり、バカ話をしたり、この公園にいると寂しくなかった。でも仲の良かった友達はひとり、またひとりと塾に通い始め、残された翔太はひとり、この公園で勉強をするヘンな子供になった。気持ちいい放課後の青空の下、ベンチに座って教科書を広げる理由は一刻も早く宿題を終わらせたいと言うのもあったけど、友達が塾で勉強してるって思うと何となくそうしてしまうのだった。勿論、砂場や鉄棒でひとり遊んだりもしたけど。


 その懐かしい鉄棒へと歩み寄ると、向こうに見える商店街。


「商店街もちょっと寂しくなったね」

「そうですね」

「あ、でもあのコロッケは健在だよ」

「コロッケかあ…… 想い出しますね」

「もう6年も経つんだね、あの約束から」


 翔太の脳裏にまた、あの時の、胸ときめく記憶が蘇る……


「コロッケぜんぶあげる。だからね、今日からわたしのお兄ちゃんになりなさいっ!」


 50円でコロッケ2個をゲットした綾名はそれを袋ごと翔太に差し出した。

 いきなり「わたしのお兄ちゃんなれ」とか失礼な女。しかもしっかり上から目線。それでも翔太は「うん」と頷いた。そうして紙袋を受け取りコロッケを1個取りだすと、残りを綾名に突き返す。


「はい、これは綾名の分」

「えっ? 全部あげるよ?」

「だって僕たちは今さっき兄妹になったんだろ?」

「うん」

「だから半分こ」


 そう言うなり、翔太は右手のコロッケにかぶりつく。


「いいの?」

「妹はお兄ちゃんの言うことを聞くこと」

「…… うんっ!」

「じゃあ一緒に食べるぞ」

「うんっ!!」


 (あの時の綾名、すんげえ可愛かった!)

 思わず思い出し笑いが零れていた。


「何が可笑おかしいのですか?」

「いやさ、あのコロッケ、旨かったなあって」

「えっ、お兄さまもそう思いましたか?」


 青空を見上げていた綾名はハッと翔太を振り向いた。そうしてふわりと頬を緩める。


「ふふふっ、良かった。美味しかったんですね、あのコロッケ。本当に、よかった……」

「そりゃあ可愛い妹の貢ぎ物だもん」

「違いますよ? お兄さまはあのコロッケ1個でわたしに買われたのですよ?」


 綾名の笑顔はどこか自虐的で。


「なあ綾名、ひとつ聞いていい?」

「もちろんです。ひとつでもふたつでもみっつでも、いつでもどこでも誰とでも!」

「ははっ、綾名は昔と変わらず楽しいな!」

「お兄さまもです」


 朝の誰もいない公園は町中にあるのに妙に静か。

 目の前の桜の木は今まさに花開かんとしていた。


「あの、さ、綾名。あの時どうして僕にコロッケをくれたの? そんなに物欲しそうな顔してた?」

「はい、してました」

「やっぱりそうか!」

「って、嘘です。あれはですね、本当に「お兄ちゃん」になって欲しかったから……」


 翔太は思わず綾名を見たが、彼女はじっと足下を見つめたままで、そこには砂と雑草があるだけで。


「……どうして僕?」

「それは…… 大好きだったから!」


 きっぱり言い切ると顔を上げた綾名、すっきり晴れやかな笑顔でひらり翔太の前に躍り出る。彼女の黒髪が春風にそよぐと、爽やかな空気が辺り一面に広がった。


「綾名、それって……」

「さあもう時間ですっ。そろそろ参りましょうか?」

「……あ、ああ、そうだね」


 スラリと細い綾名の背丈は女性としては高い方。それでも翔太に並ぶと目の位置は肩のあたりだ。よってどうしても上目遣い。しかしその黒い瞳は翔太を何度もドキリとさせる。心臓に悪い。死ぬんじゃないかと抗議したくなるくらい魅惑的。


「ねえ聞いてください? わたしって中学から銀嶺院に通ってますよね。中学の時はテニス部だってことお話ししましたけど、高校からは他のことをしてもいいかなって思ってるんです。何かお勧めとかありません?」


 婚約相手の趣味はテニスだったはず。だったらテニスを続けても、と翔太は思ったが。


「お勧めって? 綾名の好きなことだったら何だっていいんじゃない?」

「お兄さまは部活、何してますの?」

「えっと…… 言ってもいいけど、笑わない?」

「面白かったら笑います」

「じゃ、教えない」

「教えなかったら怒りますよ。すごく、激しく、口利いてあげないくらい」


 ぷいっと怒ったふりをする綾名に、翔太の心臓がまたドキリ。


「脅迫か?」

「はい脅迫です。綾名が泣いても知りませんよ?」

「仕方ないな、文芸部」

「えっ、文芸部? 意外! お兄さまはもっとこう、理系のイメージ!」

「そうかな?」

「そうです!」


 駅へと続く高架の下を歩きながら翔太はその整った横顔を見る。

 長いまつげに印象的な瞳、すっきり通った鼻筋、桜色の品よいくちびる。


(あれっ? 化粧してる? だからかな、いつもよりすっごく色っぽい)


 ちらり綾名と目が合うと翔太の心臓がまた飛び跳ねる。マジで死んだらどうするんだ。そんなんで死んで新聞に載ったら恥ずかしい、と翔太は本気で考える。『美少女に見つめられ高3男子が心臓発作で死亡、童貞か?』とか。死んでも死にきれない。


「じゃあわたしも高校からは文芸部にしようっかな」

「ど、どうして?」

「テニスはたいして強くなかったし」

「ウソだ。学校でもエースだったんだろ」

「じゃあ、すっごい小説書いてグラミー賞を獲るため?」

「色んな意味で文芸部はやめとけ」

「ふふふっ。あのね、実はですね」

「ん?」


 突然立ち止まった綾名を振り返ると、彼女は真っ直ぐに翔太を見ていた。


「わたし、4月からお兄さまと同じ高校に通うんです。宜しくお願いします、先輩!」

「えっ? 銀嶺院ぎんれいいんは高校まで一貫教育じゃ?」


 銀嶺院は府内随一のお嬢さま学校。良家の子女ばかりが集まることで有名だ。ステイタスも高くて偏差値も高いが当然学費も高いわけで。


「てへへっ、お家にお金がなくなりましたとさ。予定変更です。ふふふっ!」

「ふふふって、そこ、笑うところじゃないだろ」


 しかし綾名はサバサバした表情でケラケラ笑う。


「そうですねっ。しかしお兄さまと一緒だから嬉しいです」

「……」


 翔太には返す言葉が分からず。

 彼女に並んで黙って歩く。


 そうして。

 ふたりは目的地へと向かう電車に乗りこんだ。



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