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◆ 2話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 右手にそびえる高層ビルの真下、人の少ない広場で立ち止まった。

 エプロンを選ぶのに付き合って欲しい、そう言われてやってきた翔太はなけなしの2万円を持って来た。そう、彼も綾名の意図は理解していた。今日はデートだってこと。だけどこの展開は想定していなかった。


「あの宝くじは当たります。だから、わたしの恋人になってください」

「あ、えっ?」

「綾名はお兄さまが大好きです!」


 くりっと大きく印象的な瞳で見つめられると翔太の心臓が飛び出し高層ビルの上まで行って跳ね返る。

 翔太だって綾名が好きだ、大好きだ。だけどそれはいけないことだと思ってきた。後ろめたい気持ち、と言った方が近いかも。今日だってあくまで友達としてやってきたんだ、と自分に言い訳していた。嬉しい! 嬉しいに決まっている! だけど心に引っかかる……


「あの、お兄さま。お兄さまは綾名のこと、お嫌いですか?」

「そんなわけないだろ」

「だったら今は、今は綾名の恋人でいてください」

「……うん。嬉しいよ」


 綾名の気持ちが分かった気がした。

 未来のことは考えない、彼女は今に生きようとしている。


「綾名、さん。大好きです」


 あらたまって気持ちを声に出してみる。


「はいっ」


 差し出した手を繋ぐと歩き出す。少しひんやりと柔らかな綾名の手。横顔を窺うと目が合って互いに俯いてしまう。ドキドキと心臓がうるさい。うるさいぞ、落ち着け心臓! 勝手に騒ぐな心臓! 僕は綾名の恋人なんだ。少なくとも今日一日は……

 今日は将来のことを考えるのはよそう、それがきっと約束なんだから。


 ホテルの喫茶店はさっきのビルのお店とは違って行列もなく、すぐに案内された。

 以前、赤峰さんと一緒に参考書を買って、そのあとふたりで喫茶店に入ったことがある。その時以来だ、喫茶店なんて。


「奥へどうぞ」


 広い上席を僕に勧めて手前にちょこんと腰掛ける綾名。15歳だというのに、こう言うとこ凄く古風だ。けれどもそれは育ちの良さの表れであって、彼女の行動は結構大胆なことも多いよなあ、と翔太は思う。


「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ」


 見開きのメニューに目を輝かせる綾名。


「えっと迷いますね、ケーキ。どれにします?」


 翔太がいちごのショートを選ぶと綾名はチーズケーキを選択した。そうしてケーキが出てくると自分のケーキを大きく切り分け翔太の皿に載せてくる。


「折角ですからね。やれるイチャイチャは全部やってしまいましょう!」

「やれるイチャイチャ?」

「はい、あ~んって食べさせ合いっこは基本形として、向かい合った席で意味もなく指を絡ませたり、向かい合った席で意味もなく足絡ませたり、向かい合った席で意味もなくくちびる絡ませたり……」

「綾名、人格崩壊したな」

「ええ、だから先ずはそのいちごのショートも一切れだけ綾名のお口に」


 あ~ん、と言いながら妙に張り切る綾名。

 いやしかし、さすがに人目が痛いんだけど。

 だけど翔太だって満更ではない。

 ショートケーキを切り分けて相手に食べさせ合う姿は誰がどう見てもラブラブのカップル。それでなくても大人びて見える綾名は注目を集めていて周囲の視線が突き刺さる。


「エプロン買ったら、そのあと何をする?」

「えっと、ふたりで班になって自由行動、ですねっ」


 綾名と一緒はとっても楽しい。ケーキがとても美味しいのも、砂糖を入れなくてもコーヒーが美味しいのも彼女がいるから。だけど時々心に陰をさす現実。僕たちには本当は「未来」がない……


「料理研究部ってどんなことをするの?」

「えっと、来週の課題は『市販のクリームシチューのルーを使ってクリームシチュー以外のものを作ろう』なんです。不思議な活動でしょ?」

「さすがは謎料理部だ」

「赤峰先輩に言いつけますよ!」

「やめてくれ。殺される」


 ゆっくりケーキを堪能し、2時間も粘って店を出たふたりは百貨店を見て回る。部活で使うエプロンひとつにあっちを見よう、こっちはダメだと悩み抜き、結局ファッションビルまで足を伸ばしてファンシーショップで購入した。カエルのイラストが可愛いピンクのエプロン。買い物を済ませると次はデパートの催し物コーナーを見て回った。版画展だとか鉄道模型の博覧会だとか。綾名は絵画に興味があるらしく、特に版画展はじっくりと見ていた。リトグラフという手法が多かった。何も知らない翔太に綾名が説明してくれる。自分の家にもいくつかあるらしい。さすがは春日家だ。


「シャガールもユトリロもありますよ。見に来ませんか?」

「えっ? 綾名の家に?」

「はい、もちろん。今から」


 今日一番の笑顔だった。今までこの一言を言うのを待っていたかのような。

 綾名の両親は今日から一泊で豪華列車の旅真っ最中。と言うことは……

 翔太は少し悩んだが、じっと見つめる綾名の瞳には抗えなかった。

 小さく首肯するとふたりは手を繋いで歩き始めた。



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