◆ 4話 ◆
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食欲をそそるコンソメの匂いが狭いぼろアパートを満たしていく。料理の合間にピンクのカーネーションを一輪挿しにちょこんとあしらって食卓を飾る綾名。たったこれだけのことで無愛想な部屋が華やかな印象に早変わり。やがてロールキャベツが出来上がり、ポテトサラダと肉味噌豆腐、それにご飯が食卓に並ぶ。この2年、翔太が目にしなかった暖かな食卓。上品なベージュのブラウスに長い黒髪、綾名が微笑む空間はキラキラと輝いて眩しかった。
「さあ、どうぞ食べてくださいっ!」
「すっげー美味しそうだな! じゃあ遠慮なくいただきます」
キャベツと挽肉たっぷりのロールキャベツはコンソメスープがよく染みて何個でもいけそう。ポテトサラダも手作りでほくほくだ。
「ん、ロールキャベツもだけどサラダも美味いな。いつもスーパーで買う総菜とはぜんぜん違うよ」
「そう言って貰えると嬉しいです…… って…… あっ!」
突然立ち上がった綾名は翔太のポテトサラダを覗き込む。
「ごめんなさい、胡椒をかけ過ぎたみたい。ちょっと作り直して……」
「ああ、いいよそれくらい。辛いの好きだし、この味好きだよ」
「そうですか? でも美味しくなかったら食べなくてもいいですからね」
確かにちょっと胡椒風味が効き過ぎかも、と翔太も思う。でも、そんなの小さなことだ。スーパーのお総菜より断然旨い、そもそも綾名はやっと今日から高校生なのだ。一生懸命頑張ったのだ。赤マジックでぐるぐるの花まるをいっぱいあげたい。
「とても美味しいよ、綾名と結婚できる人って世界一の幸せ者だな……」
(しまった。結婚の二文字は禁句だったか?)
「お世辞でも嬉しいです。あのね、お兄さま……」
綾名は微かに微笑むと、そのくりっと印象的な瞳で翔太の心を鷲づかみにする。
「わたし、両親以外にお料理を食べて貰うのって、初めてなんです」
「光栄だな」
「光栄だなんて。お兄さまは誰かに手料理振る舞って貰ったとかあるんですか?」
「それは…… ない、かな」
「何ですかその一瞬開いた間と疑問形。さては何かありますね!」
「あ、あはは。運動会のお弁当なら作って貰ったことならあったかな。いつもパンだから哀れんでくれたんだろう」
余計なことを言ったかな、と思う翔太に、意外にも綾名はにこりと微笑んだ。
「そうですか。やっぱりお兄さまモテるんですね。そんなモテモテのお兄さまに教えて欲しいことがあるんです。あ、食べながら聞いてくださいね……」
そう言うとじっと翔太を見つめる綾名。その目は食事を進めてくれと訴えるようで、翔太は箸を持ってロールキャベツを口に運ぶ。それを見た綾名は嬉しそうにはにかむと小さく深呼吸をした。
「あのねお兄さま、綾名はだんだん分からなくなってきたんです。瑠璃がいい人を紹介してくれるって言って好みのタイプとか結婚の条件とか色々聞かれたんですけど正直さっぱり分からないんです、わたしってどんな人なら好きになれるんだろうって。自分のことなのにヘンですよね。あのね、わたしきっと分かってないんです、愛とか恋とか、人を好きになるとか、そんなことまったく…… だから……」
柔かい表情のまま綾名の瞳は翔太の箸の動きをじっと追っていた。やがて箸の動きが止まると、視線をゆっくり翔太の方へと動かした。強く印象的な瞳が翔太を捕らえる。
「お兄さま、わたしに恋ってなにか、教えてください」
「こい?」
「はい」
一瞬止まった思考回路を再起動させる翔太。
恋って何かとか、そんな哲学じみたこと翔太にだって分からない。いや、綾名と同じく全然分かっていないと思う。英語にすると「好き」ならライク、「愛」ならラブ、そして「恋」ならイン・ラブだろうか? いや「恋」にはクレイジーと言う単語が一番似合うかも、そんなことを翔太は考える。いやいやしかし、綾名が知りたがっているのはそんなことじゃないだろう。今、翔太の前に佇む綾名、半日ずっと翔太を探して、せっせと晩ご飯を作ってくれた綾名。いつも明るく万華鏡のように素直な感情を見せる綾名。しかし彼女は悩んでいる。混乱している。そりゃそうだろう、そう簡単に生涯の伴侶が選べるわけがない。彼女はまだ15なのだ。それなのに綾名にはもう時間がない。
「分かったよ。こんな僕に出来ることだったらなんだって」




