◆ 6話 ◆
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翔太の晩ご飯は激変した。
炊飯ジャーのスイッチオン、あとはレトルトを温めるだけ。
しかもこれが想像以上に、と言うか抜群に美味い。
そもそも翔太にとって晩ご飯は悩みの種だった。
ひとり暮らしの食卓は材料が余ったり、使い忘れて腐ったりするし、品数だって少なりがちだ。かといって少量の総菜は割高。まとめて作れない分、どうしてもひとりは高く付くのだ。
それでなくても翔太は料理が苦手だった。煮たり焼いたり炒めたり一通りのことはするけれどお世辞にも上手とは言えない。人並みと胸を張れるのはカレーライスとクリームシチューくらいかも。まあこれも優秀な市販のルーのお陰なのだが。
瑠璃花が持ってきたレトルトのビーフシチューと「ご飯に混ぜるだけ」のパエリアを頬張りながら翔太は生きる幸せを噛みしめる。
「うほっ! シチューも肉がいっぱいだあ!」
誰も聞いていないのに嬉しくて独り言が零れる。
きっとこれも綾名がゴージャスの君に頼み込んでくれたお陰に違いない。ありがたやありがたや。こりゃ春日家に足を向けて寝るわけにはいかないな。そうだ、ちゃんと綾名にお礼をしないと…… とまあ、そんな感じで、美味しい晩餐を一旦中断して、翔太は綾名にメールを打つ。
松友さんがくれたレトルトはすっごく美味しいです。
お金も時間も大助かり。
本当にありがとう。
時計の針は午後7時、昼間は振り袖を設えに行ったって聞いたけど、もう帰ってきた頃じゃないかな? そんなことを思いながら翔太はメールを送信する。
小さく「これでよし」と呟いて、また美味しい食卓に戻った彼の携帯にすぐさま返信が入った。
何ですかそのレトルトって?
瑠璃花が紹介した奨学金はどうでした??
翔太は大きめな肉を頬張りながらその文面を読む。そうしてどう返事すべきか考えていると、その携帯が震え出し、トゥルルルルと着信を告げた。電話を取る翔太が身分不相応に贅沢なお肉を飲み込む前に、携帯の向こうの彼女は喋り始めた。
「ごめんなさいお兄さま、今いいですか?」
「ん…… あひもひろん…… んぐっ」
「あっ、お食事中でしたか?」
「うん、でも大丈夫だよ」
綾名は真っ先に奨学金は役に立ちそうかどうかを聞いた。それが既に翔太が知っているものばかりで残念な結果だった知ると電話でも分かるくらいに酷く落胆した。レトルトの話を聞いた綾名は「瑠璃らしいわ」と面白そうにカラカラと笑った。でも、レトルトばかりじゃダメですよ、と忠告することも忘れなかった。
「お兄さまと電話でお話するのって、これが初めてですよね」
「あ、うんそうだね。ごめんね、色々気を使ってくれて」
「何言ってるんですか? 綾名はお兄さまの妹でしょ? それなのにわたしこそ何も出来ずにごめんなさい」
「いやいや、このレトルト食品のお陰ですっごく食費が浮きそうだよ。ありがとう」
「それは瑠璃に言ってあげてください」
「わかったよ。このあとメールしておくよ」
何だろう。綾名と喋っているとそれだけで翔太の気持ちが明るくなっていく。ずっとこうしていたい。話すことが何もなくても、電話の向こうに綾名がいると思えるだけでとても幸せに感じる……
「あ、そう言えばお食事中でしたね、ごめんなさい」
「あ、まあ、そうだけど」
「じゃあ、また会いに行きますね」
「あ、うん」
「お食事中すいませんでした」
「いや全然」
「では、また今度」
「うん……」
「ごきげんよう」
「うん……」
「……」
通話が切れた携帯を見ながら翔太は暫く動かない。
どうしたというのだろう、彼女への気持ちは昨日よりずっと大きくなっているのではなかろうか。彼女とはあくまで「兄と妹ごっこ」の仲。それ以上になってはいけないのに。
宝くじに当たったら? もしも僕が大金持ちの御曹司だったら? もしも来世があったなら彼女と結ばれる? 暫くありもしないことをあれこれ妄想した翔太はやがて苦笑いを浮かべると、今度は瑠璃花へメールを入れた。
ありがとう。
さすがは松友食品のレトルト、すっごく美味しいです。
返信は10分後だった。
どういたしまして、くりいむぱんさん。
今しがたアヤにすっごく怒られました。
何を怒られたかは書いていなかったが、翔太にはだいたいの想像はついた。多分奨学金のことだろう。だけどそれは彼女が悪いんじゃなくって仕方のないことなのだ。それでなじられたのだとしたらゴージャスの君と言えど少し可哀想。それにいくら松友財閥のご令嬢と言ったって今春高校一年生のまだ年端もいかない少女なのだ。
しかし、そんな翔太の小さな感傷も束の間、しばらくの後に再度、瑠璃花からのメールが入った。
今度の日曜日は空けておくこと。
さもなくば、くりいむぱんが爆発しますからね。
これって殺害予告じゃなかろうか?
さっきせっかく同情してあげたのに。
俺の同情を返せ!
くりいむぱんが爆発したら中のクリームとパンの部分では飛び方が違うだろうからクリームの方が遠くに飛び散るんだろうな、とか、どうでもいいことを考えながら、翔太は食べ終えた食器を台所へと運んだ。




