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お兄さま、綾名は一億円で嫁ぎます  作者: 日々一陽
ゴージャスとソレイユ
17/71

◆ 5話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 台所の床にドンドドンと積み上げられたレトルト食品の数々。運搬を終えた執事の高畑は玄関に突っ立ったままかしこまっている。部屋の中ではゴージャスな金髪の美少女が我が物顔で食卓の上にケーキの箱を広げながら。


「高畑は帰ってもいいのよ」

「何を仰ります瑠璃花お嬢さま。殿方のお宅にお嬢さまをひとり置いて帰るなど出来るわけありますまい」

「この方なら大丈夫だわ。アヤのお兄さまなのだし」

「いえいえ、男はオオカミなのでございます。いくらお嬢さまのお言葉でもこの高畑、頑と動きませぬ」

「ああもう、じゃあそこで待っておいで」


 ふたりの会話を見守っていた翔太は小さなため息ひとつ、高畑に声を掛ける。


「立っているのもお疲れでしょう? どうぞお上がりくださいよ」

「いえ、それには及びません。どうぞお気遣いなく」


 お気遣いなく、と言われても、狭いぼろアパートの玄関に黒いスーツの男が突っ立っていたら落ち着けないことパレードのごとしだ。


「失礼するわね」


 一方の瑠璃花、勝手を知らない他人の家でも遠慮という二文字は持ち合わせていないらしく、紅茶の用意をする翔太の横からケーキ皿を取りフォークも持って行く。

 食卓に並んだのは溢れんばかりのサクランボが載ったケーキふたつ。ティーバッグの紅茶をみっつ用意した翔太は再三再四高畑に部屋に上がるよう促すが、彼は頑と動かない。仕方がないので玄関に椅子を持って行くと紅茶を靴箱の上に置く。


「お心遣い、ありがとうございます」


 いや、お心遣いも何も、玄関に初老の紳士立たせたままじゃ、ケーキなんかゆっくり喰える訳がない。落ち着けないことカーニバルのごとしだ。


「じゃあ、ケーキをいただきましょう」


 しかしゴージャスの君は平然としている。


「と、その前に。これは何なの?」


 翔太の疑問は当然だ。彼女は黒塗りの車でやってきたかと思うと、山のようなレトルト食品を家の中に運び込み「一緒にケーキを食べましょう」などと言い出したのだ。一体何を考えてるんだこのJC? 意図するところが意味不明だ。


「何なのって、これはさくらんぼのケーキ。見て分からない?」


 見事なまでの上から目線、でもそれがしっくり決まるゴージャスさ。


「いや分かるけど。そうじゃなくって、どうしてケーキを持ってきたのさ?」

「ああ、単なる手土産だわ。昨日アヤが美味しい美味しいって褒めまくりだったケーキよ。ありがたく頂戴なさい」


 確かにそのケーキは美味しそうなさくらんぼが山盛りで、相当値が張るんだろうなと、まじまじ見てしまう。


「じゃあこのレトルト食品の山は?」

「見て分からない? 『いつもあなたの食卓に』でお馴染みの松友食品・本格レトルトシリーズ一年分よ。贅沢ホテルカレーにビーフシチュー、具だくさんボルシチにトムヤムクン、ごろっとフカヒレスープにパエリアもあるわ」

「国際色豊かなのは分かるけど、だからどうして持ってきたのさ」

「単なる手土産だわ。うちには山ほど試食品があるのだけれど、食べる機会はあまりないのよ。貰ってくれると嬉しいわ」

「いやだからさ……」

「紅茶が冷めるわ。いただきます」


 フォークを手に持ちひとり食べ始めたゴージャスの君。翔太も諦めさくらんぼのケーキをいただく。


「うほっ、ホントだ、ほっぺたが落ちるよ」

「リアクションがアヤと同じね」


 瑠璃花は紅茶を一口啜るとカバンの中から大きな封筒を取りだした。厚みのある茶色の素っ気ない封筒。


「さて、本題に入るけど」


 封筒から取り出されたのは何種類ものパンフレット。それらを翔太の前に広げながら瑠璃花は一言。


「この机、狭いわね」

「ふたり用だからね。ごめんね」

「まあいいわ。ひとつずつ説明しましょう。これは松友グループが全面支援する奨学金の数々なのだけど、一番のお勧めはこの、給付・貸付併用の大型奨学金。将来松友グループの特定会社に就職することによって貸付金の一部が……」

「知ってるよ」

「えっ?」


 出鼻をくじかれた瑠璃花は口を半開きにしたまま、その切れ長の目で翔太を見上げた。


「きっと綾名が紹介しろって言ったんだよね。ありがとう。でも大丈夫だよ。松友も三陵も一井も、国や学校や色んな財団のも奨学金は全部調べたから知ってる」


 翔太は祖母の支援で母と住んでいた借家に住み続けている。母の蓄えも少しはある。だから条件のいい奨学金は対象外なのだという。もし対象だったとしても要らないと言う。


「これ以上祖母に迷惑は掛けられないんだ。ごめんね、せっかく持ってきてくれたのに。それに僕には僕の考えもあるしさ」


 ゴージャスの君はくちびるを結んでから「あ、そう」とだけ言うと手元のパンフレットをまとめてテーブルに置く。そうして部屋を見回した。


「あら、宝くじ」


 席を立ち、勉強机の前に立つと貼り付けてある2枚の宝くじを見る。


「まさか考えがあるって、この宝くじ?」

「違う違う。さすがにそこまで楽観的じゃないよ」

「あら、私には能天気なお方に見えたんだけども。ちなみに連番じゃないと前後賞は当たらないわよ」

「だからそんな大金狙ってないって。一億円でいいんだから」

「一億円だってすごい大金よ」


 失言した、と翔太は思ったが瑠璃花はそこに突っ込んでは来なかった。

 誰にともなく「ふうん」と呟いて勉強机の椅子に座るゴージャスな少女は今度はノートパソコンを勝手に開ける。


「あら、何これ」

「あっ、見ないでよ!」


 翔太は慌てて席を立つも時既に遅し、彼女は書きかけの小説をしっかりチェックする。


「ネット小説書いてるのね。えっとペンネームは……」

「あわわわわわわわ……!」


 焦って蓋を閉じた翔太。ひとり暮らしだから油断していた。ノーパソはフタを閉じたらログイン画面にするべきだなと反省する。彼女が帰ったらちゃんとパスワードを設定しておこう……


「で、ペンネーム・くりいむぱんさん」

「はい、何でしょうお嬢さま」


 一瞬で主従関係が出来上がっていた。

 やましいことは何もしていない翔太だが、友達にも文芸部の仲間にすらもカミングアウトしていないペンネームを知られたショックは隠せない。


「じゃあ、さっきの「僕には僕の考えがある」って、その考えを教えて頂戴」

「うぐぐっ」

「いいのかしら? このペンネームをアヤが知ることになっても」

「脅迫か?」

「取引よ」


 楽しそうに微笑むゴージャスの君。

 恨めしそうに彼女を見ながら少し考えた翔太は、やがて小さく息を吐いた。


「いいよ、綾名にだったら」

「あらそう、じゃあその黒歴史、教えといてあげるわね」


 最高のおもちゃを手に入れたはずの瑠璃花だったが、そのおもちゃが案外面白くないと知るや、また周りを見回す。


「これは?」

「ああ、仏壇なんだ、ほら開くと、ね」


 机の横、小さな扉を開くと中には仏具が一式。

 さすがのゴージャス少女も今度ばかりは翔太に断りを入れて、仏様に跪き線香を上げる。


「ありがとう。きっと母も喜んでるよ」


 翔太の言葉には返事をせずに暫く仏壇を見ていた瑠璃花は、やがてそこにある紫の袱紗ふくさに目をとめた。


「これは?」

「ああ、母の形見。中身は指輪なんだ」

「見てもいい?」


 またしてもきちんと断りを入れて紫の布を手に取る瑠璃花。パソコンの時もこうして欲しかった。あのペンネームがバレるのは予想外だった。さっきは勢いで綾名にだったらバラしてもいいって言ったけど、よく考えると彼女は同じ高校に通うのだった。まさか文芸部に来ないよな。友達に言いふらしたりしないよな。ああ、とんでもない爆弾を抱えてしまった、と翔太の頭の中を後悔がパレードする。

 一方、諸悪の根源たる瑠璃花は不思議そうに紫の袱紗を眺め首を傾げていたが、やがて小さな木箱を開ける。


「綺麗なプラチナね。これきっとオーダーメイドだわ」

「どうして分かるの?」

「だってこの箱、オーダーメイドのお店のものだもの」


 瑠璃花はその指輪を天井に掲げ暫く眺めると元に戻した。元通り、丁寧に布で包む。そうしてゆっくり食卓に戻ると残ったケーキを頬張って黙って考え込んでしまった。

 翔太もまた座って一緒にケーキを頬張る。


「ねえ、さっきの指輪に刻まれていたMMって?」

「さあ、指輪のサイズじゃないの?」

「……ふうん」


 何故か白い眼で見られた気がした。


「ところであなた、アヤのことが好き?」

「うぐっ……」


 ケーキがのどに詰まる。なんてストレート果汁100%な質問なんだ。困った。好きって言ってもどうしようもないし……


「あはは…… 綾名を嫌いな男がこの世にいると思う?」

「そうね、上手な答えね。その言葉はそのままこの私にも当てはまると思うけれど」

「そ、そうだね。松友さんもすっごい綺麗だもんね」

「そうよ、それにアヤよりずっとゴージャスだわ」

「ははは……」

「ちなみに彼女は振り袖を設えるとかで朝から帰って行ったわよ」

「……」


 瑠璃花は残った紅茶を飲み干し、すっくと立ち上がる。その姿はさすが松友のお嬢さま、気後れするほどの気品と風格を感じさせる。


「今日はお騒がせしてごめんなさい。奨学金の件、もっといいものを探しておくわ。それからこのレトルト、なくなったらいつでも言って。すぐに持ってくるから。待たせたわね、高畑。行きましょうか」


 言いたいことを言うと、執事を引き連れ泰然とぼろアパートを去る瑠璃花。翔太が家の前に出ると何処に待っていたのか黒塗りの車がすぐに現れ、ふたりを乗せて去っていった。




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