◆ 3話 ◆
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
2時間後、綾名と瑠璃花の前には彩り綺麗なケーキが置かれていた。
溢れんばかりのサクランボが飾り付けられたショートケーキは綾名の前に。
溢れんばかりのいちごが盛られたショートケーキは瑠璃花の前に。
紅茶はアッサムをミルクティーにして。
ここは西洋のお城かと見紛うばかりの松友御殿。
広く重厚な松友家のメインダイニングにはふたりと世話係の執事だけ。
「これはこれは綾名お嬢さま。今日のお客さまは綾名お嬢さまだったのですね。そうと分かっていればプリンもたくさん買ってきましたのに」
白髪に黒っぽいスーツを着た初老の紳士。
昔、春日家に仕えていた松友家の執事・高畑は相好を崩して綾名を歓迎した。
「高畑もアヤにお似合いの男の方がいたら紹介して。結納金は1億円以上でね」
「はい、かしこまりました、瑠璃花さま」
「どうしたのアヤ、浮かない顔をして?」
翔太とはファミレスで別れた。今頃ひとり狭いアパートでパソコンと戯れていることだろう。そう思うと綾名の小さな胸ははち切れそうになる。
「あ、いえなんでもない……」
何でもないといいながら何かを口ごもる綾名。それを見た瑠璃花は高畑に席を外すように命じる。名残惜しそうな高畑だったが瑠璃花さまの命とあれば従わざるを得ない。彼が去ると20名が座れる食堂にふたりっきり、しんとした静かさが訪れた。
「ねえアヤ、どうしたの? 私のすることが気に入らない?」
「えっとね、そうじゃなくって。瑠璃花には感謝してる。今日も無理言ってごめんね」
「そんなことどうでもいいのよ、ねえアヤ、言いたいことがあるんじゃないの」
小さく首肯した綾名は小さく深呼吸をひとつして。
「あのね、今日一緒に食事したお兄さまのことなんだけど」
「ああ、青柳さんね。彼がいいの?」
綾名は一瞬出掛かった言葉を飲み込んだ。
「そう言う話じゃなくってね。松友って奨学金とか奨励金とか、そんな制度ないの?」
「あると思うけど、どうして?」
「だったらっ!」
綾名はテーブルに手をついて身を乗り出すと彼の境遇を熱く語り始めた。元々母子家庭だった翔太のこと、それが今はたったひとりで生活して、凄くお金に困っていること。だから大学に行くお金もないこと。そして。
「お兄さまは城ヶ丘で一番なんだよ! 優しいし頭もいいんだよ。勉強だってちゃんとしてるんだって。それなのにおかしいと思わない? きっと大学行きたいんだよ。ねえ、とっておきの待遇とかないの? お兄さまにはその価値があるわ! だからさあ……」
「ちょっと待って」
暴走しかかる綾名を止めた瑠璃花。
自分に向かって身を乗り出す少女をまじまじと見ながら。
「青柳さんって良家のご子息じゃないの? 綾名のお友達だから私てっきりそうかと」
「そんなこと一言も言ってないでしょ! もう瑠璃ったら、だからあんなことを!」
ファミレスを出るとき、伝票を手に「ここは僕が持つから」と言った翔太に「ごちそうさま」とだけ言って店を出た瑠璃花。綾名はせめてワリカンでって主張したけど瑠璃花はサッサと出て行くし、店の外には黒いリムジンがドアを開けて待っているしで、結局全部翔太に甘えてしまった。綾名は未だにそのことを気に病んでいる。
「ごめんアヤ、そんなに怒らないでよ。分かったわ、私が悪かったわ。奨学金の話は明日パパにしておくから」
「お願いよ! 一番いいのをよ! ねえ約束よ!」
「分かったわよ」
「じゃあ指切り!」
「はいはい」
迫る綾名は指切りするとやっと落ち着いたのか、目の前のケーキに視線を落とす。
「美味しそうでしょ? さあ、いただきましょうよ」
そう言うや、いちごのケーキを口に運ぶ瑠璃花。
釣られて綾名も頂戴する。
「うわっ! 何これ、ほっぺが落ちるうっ!」
そのサクランボのケーキは見た目に違わず凄く美味しかった。赤く熟したサクランボは風味もしっかりしていて、軽い酸味がすっきりとした甘みのクリームに抜群に合う。お兄さまにも一口分けて上げたい。今度デートするときにはふたりでケーキ屋さんに行こう! そう思うと綾名は楽しくなる。
「でしょ、この瑠璃花さま御用達のお店なんだから」
瑠璃花もいちごショートを頬張ると、その美貌をとろけさす。なんだかんだと少女であればケーキに目がないのは必然で、それはネコが魚を愛するかの如く、蝶が蜜に引き寄せられるかの如く、そして貧乏人が特売ワゴンに群がるかの如しだ。しかし、そのケーキの魔力も今の綾名には一時のカンフル剤にしかならないようで。
「ねえ瑠璃、その奨学金が貰えたら、こんなケーキが毎日食べられるのかしら?」
「毎日は無理じゃない? 太るわよ」
「いいのよ、お兄さまは痩せてるから」
「男の人って甘い物とか、あんまり好きじゃないでしょ?」
「お兄さまはクリームパンが好きなのっ!」
ああ言えばこう言う綾名、瑠璃花はフォークをカチャリと置いて。
「ねえアヤ、そんなことより自分のことはどうなのよ。パーティに呼ぶ人はどんな人がいいの? 好みのタイプとかあったら聞くわよ。がっしりしたスポーツマンがいいとか、背が高いのは絶対だとか、趣味が同じ人がいいとか、アヤの言うことは何でも聞くドMがいいとか」
「最後のは遠慮するけど、えっとね……」
綾名は考える。
自分の好みのタイプって……
あらためて聞かれると分からないものだ。だいたいわたしに「好きなタイプ」とかあるのかな。あったらその人となら恋が出来るのかしらん。だいたい恋って何? 好きな人なら……
「好みのタイプはね、わたしに優しくしてくれて、わたしを叱ってくれて。わたしを励ましてくれて、わたしに知らないことを教えてくれて……」
言いながら綾名は自分の言葉は正しくないと思った。どこがどうかは分からない。でもきっと違うと思った。優しく大切にされたいのはウソじゃない。でも違う……
「それから…… 美味しいコロッケがあったら半分こにしてくれる、そんな人」
「何それ? どうしてコロッケ? 美味しかったら2個買いなさいよ」
「あ、あははは……」
「アヤ、そんな話じゃ役に立たないわよ? どんな人がいいの? もっと具体的に教えなさいよ!」
「あ、ごめん瑠璃。そうね、具体的にはね、目は…… そう、目はふたつあって、口はひとつで、お耳はふたつ、心臓は左側に付いていておへそはひとつで……」
「いい加減にしてよ! そんなんならこっちで勝手に決めちゃうわよ!」
「あ、それでいいわ! 瑠璃に任せるわ!」
「どうして他人任せなのよっ!」
銀嶺院中学の3年間、朝の雑談もお昼のお弁当も、イベント事も体育の着替えもいつも一緒だった仲良しなふたり。彼女は彼女で綾名のためにと一生懸命らしい。
それからも綾名の好みを探る瑠璃花、しかしその話はいつしか学校の想い出話に変わっていって、さらには友達の恋バナに発展していった。ある意味よくある王道ルートだ。時間はたっぷり、まだ夜は長い。15の乙女の果てることない恋バナはふたりがベッドに横たわり、夜が更けても飽きることなく延々と続いていった。




