みー7 儀式
目を開けたら20センチくらいのところに9の顔があった。近い。9ちゃん近い!
「動かないで」
落ち着いた声が心地よく耳をなぶる。冷たい指がそっと左手に絡みついた。相手の頭があるせいで見えないが、きっと恋人つなぎみたいになっていることだろう。
9の右手はみーを支えるように腰へ添えられている。みーの右手はどうしていたかわからない。でもぎゅっと抱きしめられていたから、胸元に驚いた形のまますくめていたのだろう。
ひじりが何かお経のようなものを唱え始めた。トシが唱和する。形容しがたい不思議な節回しのそれは、二人の少年が声を重ねることで不気味なうなりを伴って鼓膜を揺さぶる。ただ事でない雰囲気に生唾を飲む。
(なに?)
胸を9の肩へ押し付けるようにして抱きしめられているために、呪文を唱える二人は完全に死角だ。いや、振り向こうと思えば振り向けるだろう。しかし振り向けない。今振り向いてはいけない気がする。
見てはいけない。
「くく……どうした?震えているのか……」体がびくっと痙攣した。腰に添えられた9の手が優しく背中を撫でる。「大丈夫だ。天井の染みを数えている間に終わる」
「て、天井?」染みなんかあったっけ?慌てて上に目が泳いだ。恋人つなぎモドキの間に何か冷たいものが割って入る。「やっ、……」
驚いて手を引いたが、9の指はびくともしない。冷たい何かを挟んだ二人の手は空間内のまったく同じ座標に縫い止められたように動かない。
とっさに読み取ったトシの心は「ありがたい」とか「うらやましい」とか言っていた。ぎょっとする。う、うらやましい?トシは9が好きなんだろうか?いや、たぶんそういうことではないだろう。
ではどういうことなのかというところは天下無双のテレパスにもわからない。というか、それらしいイメージは山ほど見えるのだが、何もかも自分の感覚とあまりにかけ離れているために理解できない。
何となく陰鬱な感じのする唱和はなおも続いた。
息苦しくなってきたのは9に抱きしめられているせいではないだろう。こんなに暑いのに寒気がする。目の前の人のぬくもりを心地よくすら感じる。手と手の間の冷たい金属は相変わらずよそよそしい。
金属だ。
ふいに手の中のそれは皮を破って肉の中へ潜り込んだ。痛みはない。ただ異物感がある。本来手の肉の中にあるはずのない刃物の感触がずぶずぶと沈み込んでくるのだ。
耳慣れない呪文は絶えず耳から入るために逃げ場をなくして脳の中をさまよう。足元が揺れるのは船の中だからではない。
「そう、私に身を任せなさい」
今私は9ちゃんのほうにもたれかかったんだ。あやすような囁き声にぼんやりと理解するが、何もかもがふわふわとして現実感がない。立ち上がろうにも体にも力が入らない。視界はすりガラスでも通したかのようにぼやけて白っぽい。
刃物が抜けて、生ぬるい何かが流れ出て、いくらかが手と手の間に溜まる。ぬるぬるする。さっきまでみーの体内にあったのに相変わらず冷たいそれは、今度はみーから距離を取った。それがどういうことか何となくわかった。
9は囁きよりもっと小さい、聞こえるか聞こえないかくらいの声を「んっ」と漏らした。いけないことを聞いたような気がした。9ちゃんは手が冷たいのに、血はあったかいんだな。
刃物がどこかへ消えて、代わりに手が現れる。温かい手だ。二人の合わせた左手を外側からぐりっと押さえる。何かが床にこぼれてぱたぱたと音を立てた。
強く押さえつけられた手の中で傷口がめくれ上がり、ずれて痛みを訴える。しかし終わらない。高く低く唱和は続き、とうとうみーは意識を失った。