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第86話 活字

 ぞうと言う芸術の大枠は粗野な部類に寄っているようだ。宗教において偶像と呼ばれただけではなく、日本においても鎌倉時代が全盛だった。国や背景が異なっても、像が粗野な部類に入るのは変わらないのだろう。この世界においても悪魔の姿をした像がいたる所にあった。半島に『現人神』という概念の細菌を散布して、空気/飛沫/介達/経口/接触/血液/母子感染……その他諸々エトセエトセ……と耐性の有る無し関係なく色々な体を媒介にした。

 龍の領域から、オークの領域へと歩いていく道中に熱病の成果を知った。荒々しい偶像は焚き火と一緒に燃やされていて、黒煙を青空に立ち昇らせていた。

 俺はレッドの手を引いて、生を誇るように生える草原を歩いていた。虫除けの薬を全身に振りまき、虫刺され予防をした。もっとも――吸血鬼が蚊に血を吸われることは無い、一寸の虫にも判断する脳があるようで恐怖心があるようだった。

「刺されたぁ」

 腫れる首筋を手の甲でかいて、何とか痒みを抑えようとしていた。オレデスラ、チヲスッテイナイノニ……、飢餓感が突然訪れたのでチーズを食べて何とか抑え込んだ。衝動と言うのは恐ろしいものだ。普段は大人しい人間でも、突然狂いだすことがある。

「吸いたい?」

 レッドは俺の口元に首を近づけてきたので、邪険に払うと、

「ひどいー」

「酷いのは、お前のほうだ」

 脇腹をくすぐると、俺の胸に後頭部をぶつけるように倒れかかってきた。

「やめてよー」

「止めない」

 笑いが堪えられないようで、頬を真っ赤にして涙すら浮かべていた。息が荒くなったので止めて、瞳からこぼれた涙を吸って、喜びに満ちた感情を共有した。


 レッドはお洒落には程遠い女で、美しさは人並み以上だけど絶世の美女とは言えなかった。美しさだけで比較すればナユキのほうが上なのは、ナユキ自身も告げたとおりだ。俺は美しさの義務教育を忘れていた。今からでも遅くはないと、道中にナユキに手紙を送った。レッドのために香水を見繕って送ってくれと書いた。日本で生まれたナユキの日本語は達筆であり、久し振りに日本語のカリグラフィーを味わった。

 内容は――。

「嫌でござる」

 俺は手紙を丸めて破ろうとしたが、他にも文字が書かれていた。俺はハロハルハラ経由でナユキへと手紙を送ったのだが、どうやらナユキはいまだにハロハルハラの元へと戻っていないようだった。

「現在、脱獄した監獄へと向っている途中なので、そんな暇はニャイです」

 巧みに猫っぽく書いて、

「金と水蛇を回収しますデス」

「あー、そんなヤツもいたね」

 鼻をホジホジとしてしまった。

 大所帯なので金はかかるが、ハロハルハラの考えはそれだけではないようだ。もしも俺が直接指揮をしていたら、水蛇の回収は後に伸ばして、ナユキを早急に呼び戻していただろう。ナユキは優れた武力の持ち主で、自己判断もできるが、水蛇と金の回収をするには能力が過大過ぎた。ナユキの優秀な配下に回収させるのが俺の策だ。だがそうなると、金の回収の時期は遅れていただろう。

 金が足りなくなった?

 否――自らの金を公共工事に投資しようとしているのだろう。自費を出すと言うことは、分かり易いほどに人心を掌握することができる。それが人心を掌握するための偽善だとしても、一定の評価をしてくれる民衆は多い、それは名誉にも繋がることになる。ゴブリンの国では今まで自費を出して道路を整備した者はいないだろう。最初に我々が行ったことは、後続を出すことになり、国盗りが完成した後にも有力者が自費を出して名誉を得ようとするだろう。そうなれば国政だけではなく、民衆の方から国を良くすると言う気概が生まれる。

 ハロハルハラは抜けているように見えるが、放っておいてもダイタイのことはしてくれた。俺でも後々にはソレをしただろうが、最初にソレをしたのは感心した。

「ぷーちゃんだったら、最初に何をしたの?」

「俺? 俺ならナユキの質の高い兵士を国中にばら撒いて、金をふんだんに使い情報網の形成をする。戦うにしても地理を知っていないと断然不利だからな。まずは情報かな」

 情報があれば選択肢が増える。選択肢が増えたとしても選べるのは限られている。多くの選択肢から最善を選ぶことができるのは経験もあるし、知恵と知識と性格にもよるだろう。それは不利になることもあるが、少ない選択肢の時に選べるもの全てが不利側にしか働かない場合もあるので、情報網があるのは有利といえるだろう。


 情報が少ないと言うのは、突然の出来事に驚くことが多いという事だ。オークたちの領域に入って痛感したことは、基本的に言葉が通じないと言うことだった。

「抜かったな」

「私も知らなかったよ」

 魔族が魔物を追放した理由が分かったような気がした。竜は別として、オークのような容姿で言葉が通じなければ魔物として卑下するだろう。竜は頭が良く傲慢ゆえに追放されたが、オークは言葉の通じない蛮族として追放されたのだろう。この分だと、他の魔物たちも言葉が通じないかも知れなかった。

 最初は不安で仕方なかったが――どうやら杞憂だったようだ。

「話し言葉と書き言葉が違うみたいだね」

 オークたちの殆どは文字を読めなかったけど、中には読めるオークもいて、フィオナの神殿の図書と同じ文字をしていた。オークの言葉はまだまだ未発達で文字として表せるほどではなかった。

「光明は見えたな」

「えー……紙に書くの?」

 レッドとしては喋ったほうが楽だったので少しだけ気が滅入ったようだ。

「面倒だから活版印刷をつくるか」

 俺が言うとレッドは首をかしげた。

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