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第85話 硫酸

 人間が吸血鬼になるには、吸血鬼の血肉を受ける必要がある。俺は黒装束の女に噛まれて、僅かな血を飲まれたようだ。気付いたら死体は無く、太陽すら上がっていなかった。胸に僅かな疼きが起き、瀕死状態の眷属がいることを告げていた。血を飲んでおらず、祖もいないので、正確な居場所を探ることはできなかった。吸血蝗ヘドウィッグに対しても感覚が鈍くなっているので、吸血鬼としての力が衰えているのだろう。

「まあ、俺の長所は単純な武力だからねぇ」

 祖は死肉を操れたりしたが、俺の能力は有るのかさえ分かっていなかった。吸血鬼としての固有能力は全て習得したが、最後の固有技だけは習得していなかった。人間からの成り上がりだから習得できなかったかも知れないが、今世では吸血鬼の血が濃くなっているので固有技を習得できるかも知れなかった。

 まあ、分からんけどね。

 ドラゴンの街に鬼は放たれた。夜毎、狂おしい女の嬌声が響き渡り、埋葬した自らの同族たちの墓を暴いて食らったようだ。死体の固まった血を飲むのは難しく、死肉を咀嚼しながら食う音は不気味に響いたそうだ。

 肉をムシャムシャと食らい、骨を折り、飲み込み、溶かし、栄養にした。食事と言う行動にある種の官能的な音が含まれるのは吸血鬼ならではの性質だろう。ぴちゃぴちゃと言う音が淫猥を思い出させるのは、人間に対しての一方的な魅了チャームだ。

 それはドラゴンにも聞いているようだ。

 ドラキュラと言う言葉にはドラゴンが含まれているから、何かしらの関係が有るのかも知れなかった。ちなみに前世では竜に会ったことが無いので良くわからない。

「まあ、放っておこうか」

「ええー」

 俺とレッドはドラゴンの国を行脚して、フィオナ・バイロンの噂を流し続けて、一ヵ月後に人間に襲撃を受けた街に戻ってきた。

 鬼哭キコク、それは亡霊のむせび泣き。

 ドラゴンですら恐怖する吸血鬼の飢餓の喘ぎは、気温すら下げるほどで、初夏の気温を一方的に下げていた。

「おやおや、酷いことになっているねぇ」

「ぷーちゃん……」

「まあ、そんな気にすること無いさ」

 あの黒装束の女はソコソコ強かったが、吸血鬼になってからの強さは俺由来だ。

「俺が血を飲めば、竜の国を震撼させることぐらいお茶の子ということだ」

「いやいや、そういうことじゃあなくて」

「分かっているよ」

 俺は匙で抉られたチーズを食べさせてもらい、宿屋の食事を満喫した。

 ちなみにだが、竜の国には色々と種族がいるようで、このように家に住んでいるのは竜人だった。鱗に覆われているが、人間の形をしているので味覚も人間に近いものがあった。おかげでレッドも食える物があったけど、巨大な昆虫とかは拒否していた。

 俺は短槍を用意して、宿屋の外へ一人で出た。前回の闘争でレッドを遠慮なく狙ってきたので、今回は一人で相対することにした。

 朧月が街を幻想的にしていた。

「あおーん」

 盛りついた吸血鬼の遠吼えが聞こえた。

「春だな」

 夏の気配を感じながら、適当なことを言ってみた。

 あの女は俺の血肉を受けて吸血鬼になったのだから、責任があるといえばあるだろう。ただ、俺が噛ませたわけではないので責任があるかどうか、その人の考えによるだろう。

 宿屋で噂を聞くと、あの女はドラゴンの血を蚊のように吸っているらしいので、血を吸わない俺よりも強くなっている可能性があった。

「だから闘いたくないが」

 負ける気は無かった。

 紫煙をぷかぷかとさせながら、俺は眷属の疼きを追った。街を横切り、丘の上にある塔が見えた。丘を昇ってみると、向こう側に海があり、灯台だと知れた。壁に蔦が生い茂っており、木の扉を蹴り破ると、中から埃が飛んできた。中を覗いてみると、眼があり、液体が飛んできた。

 俺は首を動かして避けると、液体は地面に落ちて草を溶かした。

「硫酸?」

 俺は破った穴から手を伸ばして、眼の主の身体を掴んだ。引っ張って何度も扉に叩きつけてから、もう一度扉を蹴り、扉ごと吹き飛ばした。短槍を投げて扉ごと串刺にして、塔の中に入り扉の影を覗いた。そこには倒壊した宿屋から逃げた男がいた。首筋に噛み痕があり、血を常飲されていたのがわかった。胸元に隠していた硫酸が溢れて、男の身体をみるみるうちに溶かしていった。

「ありゃりゃ? コイツ殺したらまずかったか?」

 どす黒い殺気が背後から襲ってきて、俺は思わず硫酸瓶を投げつけていた。悲鳴と共に顔が焼け、俺は扉と男が刺さったままの短い槍を女に叩きつけた。打ちかまして塔の壁を貫かせて、俺は槍を抜いて追いかけた。

ドラゴンを襲うのは止めなさい。暴力は何も生まないよ」

 俺は血糊のついた槍を風車のように回転させて、女との距離を詰めた。

「まあ、今から心を入れ替えても遅いけどね」

 はっきり言うとアレなのさ、俺が生んだ吸血鬼と思われるとさ、印象が悪いから早く往生しなさいと言うことなのさ。まあ、この国では昼間も動いているから俺とレッドは人間の夫婦だと思われているかもしれないけどさ、誰かが勘付いて吸血鬼だと思われたら嫌じゃあないか。正体がばれると動きづらくなるかも知れないじゃあないか。

「ねえ、だから、死にな」

「許さない」

 女は扉の下敷きになっている男を見た。

「許してもらう気も無く、断罪される覚えもなし」

 だいたいお前さん、俺の血を受けた時点で俺の手下なんだぜ。

 ヘドウィッグと言い、お前さんといい、逆らい過ぎなんだよ。

「あああっ」

 おや?

 気のせいでは無かったようだ。あの男は扉に叩きつけられ、硫酸を浴び、槍に貫かれながら生きているようだ。

 鍛え抜いた結果だろう。


「ただいまー」

「おかえり。どうしたの?」

「ああ、降伏したから許した」

 女は男が生きているのに気付くと、戦闘態勢を解いたので殺る気が無くなった。女は男に血を授けて眷属にして、肉体を超回復させた。

「へえ、平和的手段だね」

「あー」

 最初は地獄へ送り込んでやろうと思ったが、人間と吸血鬼の恋人だから、少し同情してしまったようだ。女と男は吸血鬼の国に行くと言って去った。

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