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第79話 無駄

 あいつは何を馬鹿なことをしているんだ。

 ベルは肥満姿で脂肪を着込んでいる。菩薩のような表情でアイビーと対面しているが、あの奥底には蝿の悪魔が潜んでいる。せっかくヴィトことスヴェントヴィトが話をつけてくれたのに、このままでは一戦交えることになりそうな勢いだった。

「返して!」

 アイビーがベルに怒鳴った。ベルは大きな腕で何かを掴んでいた。俺はじっくりとそれを見て、何かがやっと分かった。アイビーが仇討ちを手助けした少年がベルに捕まっていたのだ。

「そういうことか」

 仇討ちで殺されたのはバルティカ王国の使者であるビィを護衛していた兵士だ。教団の兵士であり、ビィと話し合いをしていたベルが兵士が殺されたことを知っているのは当然だった。

「なりません!」

「まだ、子どもよ!」

「善と悪に年齢は関係なく、悪を為す者は本質も悪です」

 ベルの太い腕は少年を絞め殺さんばかりに力強かった。

「なら……」

 アイビーはその場で透明になり、周囲からざわめきが聞こえた。

「馬鹿め」

 神話において透明になる力は頻繁に出てくるが、共通しているのは圧倒的な全能感だ。透明の持つ力は絶対的なため、アイビーは相手を侮っている。自分を評価するのは常に他人であるが、その他人が必ずしも適切な評価をくだせるわけではない、アイビーの眼力はたいした物ではない様だ。

 ベルはアイビーが透明になった瞬間「オホホ」と笑い、一目散に逃げ出した。逃げ出したは適切ではないかもしれないが、透明人間に対して逃げるのは良い作戦だろう。相手がこちらを攻撃しようとしているなら、必ず近づいてくるのだ。透明であってもそれは変わらないわけで、比較的有利な場所選べば迎撃も問題ないはずだ。俺は木を飛び交いながらベルの後をつけた。

「しかし……」有利な場所まで逃げるという作戦を取るとは思わなかった。ベルゼブルの肉体の強さはこの前の戦闘で分かっている。あの体なら万が一にも怪我をすることはないだろう。

 それが僅かでも不利な条件があれば逃げの選択肢を取る。

 これはナカナカできないことだ。

 油断をしない強者は恐ろしいほど強いものだ。


 ベルは草っ原で止まり、周囲の草むらが動くのを待った。いくら透明だとはいえ、通過するわけはないので、アイビーは透明といえど近づくことは困難だ。草が動けばいる場所は簡単に判断できるからだ。

「どうしたのですか?」

 アイビーが舌打ちしたような気がした。

 俺は草っ原に点々と生えている木に飛び移り、間合いを計っていた。

 ベルは少年を高々とあげて、

「はやくこないと」

 口をぱっくり開けて、中から細身の本体が現れた。

「食べるよ」

「ああっ!」

 蝿の王は口付けをするように少年を齧った。少年は口の中に引きずり込まれて、今度は外側の肥満体が丸呑みしているように見えた。ごきゅごきゅと変な音がして、脂肪の塊の中が蠢いていた。

「あッ! あッ! あッ!」と少年の断末魔が脂肪の奥から聞こえた。

「おいしーっ」

「なんてことを!」

 アイビーは不用意に草っ原に足を踏み入れた。

 次の起きた出来事は奇怪だった。ベルの肥満体から棒が伸びて透明なアイビーに突きを入れた。アイビーは転がり、呻き声をあげながら空を仰いだ。

「次はお前か東方王?」

「ありゃ、気づいていたのか」

 肥満体の口からベルゼブルが体をくねらせて出てきて、地面へと降り立った。肥満体はベルゼブルから離れると同時にしぼんで、口から何かがベルゼブルの首に巻き付いていた。ベルゼブルがこちらへと歩いてくる頃にはベルゼブルの体をマントが柔らかく包み込んだ。表面には表情がいくつも浮かんでおり、怒り、絶望、笑い、喜び、悲しみ、色々な表情を見にまとっていた。

「これがさっきの少年だ。見ろよ。喜んでいるぞ」

 確かに笑っていたが、その笑いは狂気の果てによるものだろう。

「どうした? スヴェントヴィトに免じて、今日は待ってやろうと思ったが、もしかして我慢が出来なくなったか? おいおい、東方王よ。そんな童貞みたいな性格だったのかい? がっかりさせるなよ」

「この世界だと、まだ童貞だけどな」

「なんと!」

 へー、と感心したように頷いていた。

「感心しないなぁ。生めよ、増えよ、地に満ちよ……だぞ」

「世界を浄化させるために洪水を呼び、人々を殺戮しつくしたザ・ロードの言うことなんて聞いてられないねぇ」

「殺戮とは心外だな」

「殺戮だろうが」

「遥か太古に洪水によって殺されたものたちは徹頭徹尾悪だった。お前の周りにもいないか? どうして、こんなやつが生きているのだろう。どうして、こんなやつが評価されているのだろう。くだらない人間なのに、能力のない人間なのに、性格も最悪で、存在自体が鼻に付く……そういうゴミのような人間を。あの時、洪水によって滅ぼされたのは、お前の周りにいっぱいいる無能たちとは比較にならないほどの悪だった。クズだった。洪水によって人間は悪を後世に伝えることがなく、より優秀になったのだよ。それは人間にとって良いことではないか? 全知全能の神がすべてを分からないわけないだろう? あれは洪水で死ぬために生まれた。すべての人間に神の素晴らしさを教えるためにだ」

「ぐー」

 ツマラナイ話だったので寝てしまった。

「寝るな」ベルゼブルは足元の石を拾って投げてきた。 

 俺は飛び降りながらよけたけど、なぜか後ろから強打された。体を回転させながらそちらの方をみると、ベルゼブルの投げた小さな石が木にあたり、その場で縦回転をしたようだ。

 やだ……滅茶苦茶力持ち。

 ……アイビーのせいだ。

「ワシはこんなところには来とうはなかった!」

「まあまあ、そんなことを言うなよ。東方王」ベルゼブルはゆっくり近づいてきた。「楽しもう。暴力の乱交ってやつをな」

「俺は東方王じゃないっての」

 俺は耳をほじりながら、どうやったらブチ殺せるか三秒考えて、絶対にブチ殺せないのを確信したが、アイビーを見殺しには出来なかったので、殺し合いをすることにした。


 俺は地面にしゃがんで大石を掴んで、ベルゼブルの頭部に、

「石でどーん!」

 とカチ割ろうとしたが、石が木っ端微塵に吹き飛んだ。

「ひえー」

 俺は諦めずに手近にあった木を引っこ抜いて、

「木でずどーん!」

 と農道で潰れた蛙のようにしてやろうと思ったら、木が真っ二つに折れた。

「そげなー」

「無駄ね」

「おい、ふざけんなよ。基本的能力が違いすぎるぞ」

 ベルゼブルが人間の皮のマントをヒラヒラさせながら、

「悪魔の能力はね。お前たちとは根本的に成立の仕方が違う。たとえば」

 おっ、重要なことを言いそうだ。

 俺が聞き耳を立てていると、耳の中に蝿が飛び込んできた。

「ぎゃああ!」俺は旅装から油を取り出して、耳の中に油を注ぎ込んだ。耳の中に飛び込んできた蝿は窒息死した。

「あら、失敗」

 と言いながら、頭を傾けた俺の腹に拳をめり込ませ、股間を踏みつけるように蹴り抜いた。べちゃっと童貞が草むらに落ちた。

「俺の貞操がもぎ取られた!」

 俺の一部分が地面に叩きつけられたので、拾って、距離を取った。頭を傾けて油を耳から出して、凶悪な蝿も外へと出した。

「……あんたも人のことをいえないくらい化け物ね」

「吸血鬼舐めんな! バーカ!」

 荷物からチーズを取り出して全部食べて栄養補給、吹き飛ばされた股間をくっ付けた。ズボンも千切れていたので、タオルを巻いて股間を隠した。

「あら、紳士的ね」

「一応、女の人だから」

「私に性別なんてねーけどな」

「ならフルチンで戦おう」

「やれば?」

 やっぱり止めよう。


「う、うーん。ここは」

 アイビーが起きて、体を起こした。

「てめー!」俺はアイビーの元へ行き、服を掴んで立ち上がらせた。

「いやー! 露出狂」

「誰のせいで股間蹴り飛ばされたと思ってんだよ!」

 えー、こら!

 俺は徐々に横移動した。

 舐めとんのか。

 ベルゼブルから離れるように蟹歩きした。

「……おい、逃げるのか」

「うひゃー! にっげろー!」

 俺はアイビーを担いで一目散に逃げた。


 逃げる先は考えていなかったけど、レッドとバロンから離れようとしていた。その結果、橋のほうへと走り出して、とうとう渡るような形になってしまった。橋の上には通行しようとする人々で溢れていて、凄い形相の露出狂が突進してくるのをモーセの海割りのごとく避けてくれた。

 その先に、見慣れた顔がいた。

「やっほー、ナユキちゃん。元気だった?」

「あれ、大将。どうしたんですか? チンチン露出して、とうとうマーラ様にクラスチェンジしましたか」

「それは男の夢だな」

 俺は親指を後ろに向けて、殺気漲る蝿の王を指差した。

「げっ! ベルゼブル! 早くも来たんですか!」

 タオルが吹き飛んでいたようなので、代えのズボンに急いで履き替えた。ナユキは荷物を投げて、戦闘準備を整えた。

「勝機はありますかね?」

 俺はヴィトを見た。スヴェントヴィトになれば俺とナユキがいるぶん有利だろうけど、なんとなくだがスヴェントヴィトはベルゼブルより格下な気がした。

 だが、俺には秘策がある。

「ちょい、耳かせ」

 ナユキが耳たぶを引っ張って伸ばした。

「残念ながら取れませんでした」

 俺は爪を立ててナユキの鼻に突っ込んだ。

「いたたたっ! 冗談ですって」

 はいはい、と言いながらナユキは耳を寄せた。

「大河に落とせば、アイツでもただではすまないはずだ」

 以前、この大河を渡ろうとして死ぬような眼にあった。不死者を要する教団の執行官たちも川を安々と渡ることは出来なかったので、もしかしたら効くかもしれなかった。

「……もしかしたら効くかもしれない」

「もしかしたら?」

 ナユキは唇を尖らせて、俺を見た。

「よし、それで行くぞ」

「いや、ちょっ待てよ!」

「なんだよ。文句あんのか」

「あり過ぎて、文章にしたいくらいありますけど」

「だが、もう遅い」

 ベルゼブルが追いついて、腕組みしながら俺たちに笑いかけてきた。

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