第74話 油機
柔肌で覆われた身体を、寝技の練習とはいえ、触りまくったからだろうか。青春真っ最中の肉体の細胞が熱をあげて、波紋のように広がる欲望が爆発しそうだった。
「我慢できんっ!」
「いやー! まだ心の準備が」
目の前にいる婚約者を手篭めにしようとしたら、窓から何かが侵入してきた。
「これはこれは、タイミングが悪かったですか?」
英語混じりの言葉遣いは、ナユキだった。狼のヴィトは担がれていて、窓にかかっている蝋引きの布を捲って部屋に降りた。
「……なんでお前が来ている」
ナユキは手紙を持っていた。
開けて読んでみると、
「ちょっと、何書いているか分からないんですけど。馬鹿なんですか? ハロ」
「むきーっ!」
俺は手紙を丸めて、一息で飲み込んだ。
そうですか! 中国語は読めませんか!
「大将が馬鹿なことをしないように、お前が行って指示を聞いて来いと言われました」
「あっちにいるのはハロだけか。大丈夫かよ」
「知りませんよ」
ナユキは俺の横にいるレッドをジッと見つめてから、ポケットから手鏡を取り出して、自分の顔を確認した。
「……勝った」
「酷い!」レッドは後ろから俺に抱きついて、「ぷーちゃん、私、この子嫌い」と言って、悔しそうに歯ぎしりしていた。
「気にするな。コイツはフランケンシュタイン――女人造人間だ。言うなれば、全身整形のようなものだ。人工物は天然物に敵わないのだよ」
「全身整形……」
ナユキの心は多大なるダメージを負ったようだった。ヴィトは床でグテーと長くなって、「腹が減った」と呟いていた。
「大将……深夜のところ悪いんですが、ローストビーフをいただけると嬉しいんですが」
「んなもん、ねーよ」
「俺は香草焼きが食べたい」
ヴィトが意見を言った。
「だから、ねーって」
ナユキとヴィトはこそこそ話をするように顔を近づけあった。
部下が遠路遥々来たって言うのに、労いの言葉を一つもかけずに、自分たちだけは良いことしていて、私たちにばっかり苦労させて、ハロさんだって孤軍奮闘頑張っているのに、馬鹿扱いして頭おかしいんじゃないの。ねえ、そう思わない? ねえねえ?
俺はナユキとヴィトを連れて、原色の服装が毒々しく鮮やかなおねえちゃんのいる店に来た。夜も更けているので、飲み屋の店しか開いていなかった。
「お客様、お飲み物はいかがしますか」
「俺は牛乳」
「私は麦酒」
「お前子供だろ」
「見た目は子供、頭脳は――」
俺の拳がナユキの頬に当たり、椅子をひっくり返して倒れた。
「狼には、水。あと、チーズの盛り合わせと、適当にここらへん持ってきて」
肉料理の数々が現れては、一人と一匹に吸収されるように食われていった。
「私たちも飲んでいいですか?」
「駄目だ。水でも飲んでろ」
けばけばしい姉ちゃんたちに優しくしていなかったら、いつしか誰も来なくなった。
「いやー、お腹パンパンです」
「久し振りにとんでもなく食った」
「お前らのせいで、金が一気になくなったぞ」
俺は煙草に火をつけて、煙をたっぷりと味わった。
「ところで、手紙を届けるだけのために来たのか」
「いえ、昔の仲間を呼び集めようと思いまして、そのためもあって来ました」
ナユキが監獄に来るまでの間に色々あったようだが、その最悪な時期にも心許す相手が存在していたのだろう。俺達は他愛の無い話を交わして、三人が共通して知っている日本語で会話や文章を交換することを提案した。俺は一時期日本にいたこともあるので、当然日本語は習得していた。ハロハルハラはどうか分からないけど、日本語は知っているようだ。目の前のナユキは――。
「ナユキ・ユハタ――油機、那雪と名づけられてますから」
フランケンシュタインは日本産だったようだ。
「いけませんっ!」
眼が点になるぐらい突然に怒鳴り声が響いた。声の主は橋を渡っていた豊満な女性――ベルだった。
「こんな風紀の乱れた店は認めることができません!」
ぼよんぼよんと脂肪を音たてながら歩き、奥から現れた用心棒たちと向かい合った。用心棒は言葉少なくベルを突き飛ばそうとしたが、脂肪に吸収されて弾き返された。
「このような売春宿の巣窟では、基本的な道徳も認められないのでしょうか」
ベルは用心棒にされるがままになっていたが、微動だにしなかった。俺とナユキは目線を交わしたが、酒飲みの店だと思っていたので、ベルが売春宿と言ったのが意外だった。
「このババア」
「気が済むなら、殴りたいだけ殴りなさい。だが、私は反撃しませんよ」
ベルはまったく反撃をせずに、店主が来るまで辛抱強く待った。
店主はベルを見た途端に口走った。口の動きから――。
「教団か」
という言葉を言ったのは分かった。
「ここは教団が来るような店じゃない帰れ」
「アナタには心が無いのですか! 女性たちの身体を売らせるなんて卑劣なことを」
強制的にさせれば卑劣だが、自主的にしている女も大勢いるだろうに。
店主も俺と同意見なようで、そのことを口走った。
「自由意志、それもあるでしょうが、私たちは神の子であり、それは間違っています。お金を得るためだけの仕事、これは間違っています。私たちは徳を積むために仕事を行うのですよ。皆さんが分かっているとおり、天国へお金は持っていくことはできないのです」
俺たち不死者は転生を信じていて、教団は天国による救済を信じている。一方の一般人代表の店主はこう言った。
「天国なんてあるはずない」
これは言ってはいけなかった。
「何を馬鹿なことを。あなたは聖書を読んでいないのですか、ここに書かれている民草たちの数を知らないのですか! 何千、何万人もの証言があるのですよ! それが何千年前のこととは言え、それはすでに証明されているのです」ベルは説教をするように店主へと語りかけていた。俺は説教師の言葉を聞き飽きていたので、黙って外へ出ようとするとベルに話しかけられてしまった。
「おや、あなたはその子の父親ですか? いけませんね。こんな時間に」
だが、俺達は似ていなかった。
まあ、どういうことかというと、俺は幼女を買った変態野郎だと思われたのだ。
そして最悪だったのが、勘付かれてしまった。
「おや……この臭いは」
ベルは鼻をクンクンさせた。
俺はナユキとヴィトを担いで、外へと飛び出した。
「吸血鬼ですね」
たゆんたゆんと揺らす脂肪の塊が続けて外へ出て来た。




