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第68話 無言

 家畜化という作業は果てし無い時間のかかる作業である。空を車が駆ける世界になっても、必要なのは技術ではなくて時間だった。人間は動物を家畜化した歴史があったが、吸血鬼は人間を家畜化した。

 一見、何の変哲も無い人間だ。

 だが美味さが違った。猪より豚が美味いのと同じで、家畜人の流れる血潮は極上の味だった。ワインやチーズが風土によって味が変わるように、土地ごとに独自の味を育んだ。


 彼と出会ったのは、吸血鬼の王であるお父様と一緒に旅をしていた時だ。

 軍事都市エルサレムの夜、彼は成り上がりの吸血鬼たちに吸われていた。血を吸うという行為は性的なものと近いようだ。老若男女問わずに吸われていたが、それは美しさによるものだろう。

 美しいものは多くのものを得るが、さらに多くのものを失ってしまう。

 少年のわりには美しく、美少女の中に放り込んでも引けをとらなかった。

 私は遠目から美しいものが手折られるのを眺めていた。彼は確かに美しかったが、それは何千年と生きていた者にとっては時々見る美しさだった。庇護の気持ちはまったく無かったのだが、彼の髪を乱暴に掴んで、脊椎を折ろうとするほどの力で扱う男がいた。

 彼は何も言わずに、されるがままにされていた。

 だけど、目線は違った。

 私を見つめていた。

 それは勘違いではない。

 私の前には誰もおらず、後ろにも誰もいなかった。

 私を必死に見つめていた。

 私が彼を選んだのではなく、彼が私を選んだのだ。

 のちのちに聞いてみたけど、そんな覚えは無いと言っていた。

 まったく――どうしようもない男だ。

 まあ、とにかく、それがジョンとの出会いだった。

 私はジョンの命を助けて、それ以来――私の物だ。


 ジョンは私のことを誤解している。

 私がジョンを吸血鬼化させたのを、交合の相手をさせるためと思っているが、それは違う。まあ、女だから男に抱かれたいとは思うけどね。少しニュアンスが違うよ。そもそも、私の周りには吸血鬼の男たちが溢れているのだから、相手には困っていないわけだ。

 つまり――私はジョンを愛していた。

 だから、吸血鬼にさせて一生添い遂げようと思っていた。

 ジョンは吸血鬼化したのを、吸血鬼の本気の交合に耐えられるようにしたと思っている。たしかに鬼の力は人間にとって致死の打撃だが、私はそういうつもりは無かった。

 愛していたから、としか言えないのだが、それをジョンは分かってくれなかった。

 助けたのは偶然だったが、邂逅を重ねるうちにジョンは私の一部になった。あ、と言ったら、うん、と言う。言葉少なくてもお互いに通じ合って、私の心の奥底は彼によって消された。彼と会うと、充足感に満ちた。

 だから好きになり、愛した。


 数百年、私とジョンは幸せだった。


 だが、あの家畜人が平和を破った。のちに、ジョンの子供を産むことになる女で、ジョン自身が殺してしまった女だ。

 その件に関して、私は一切何もしなかった。真祖の一人は昔からの知り合いだったが、そんな下らないことをするとは思っていなかったので驚いた。

 私はジョンに同情した。

 私はジョンを育てた母であり、吸血鬼のイロハを教えた教師であり、夜毎に愛し続ける妻だった。彼が私を捨てたとしても、私は彼への未練が残っていた。

 だから放っておいた。

 それがジョンの幸せなら、私には何も出来なかった。


 それはこの世界に来てからもそうだ。

 気に食わない赤髪の少女が現れたけど、残念なことにジョンは彼女のことが好きになったようだ。

 はっきり言って嫌だ。

 でもジョンの体の中にある私の魂は、その頚木から絶対に離れることはできない、目の前で好きな相手が愛し合うのを眺めるしかないなら、腹を立てないほうが辛くはならない。

 だが――それは違っていた。


 『離魂の術』

 それを使えば、私はジョンの体から出ることができる。

 そうすれば、再び私は彼を愛することが出来るだろう。


 寒いのに冷や汗を止めることができなかった。彼女の考えていることが奔流のように俺の思考に入り込んで来ていた。祖はオセロから魔法陣を教えてもらって、その気になっているようだ。

 重要なことだが、祖にばかり構っていられなかった。

 俺達は執行官と皇子の軍に壊滅的な損傷を与えて、ひたすら南へと目指していた。馬には草履を履かせて雪道を歩き、行軍しながら猟をおこない食料を減らさないように気を配った。

 現状、最悪だ。

 執行官を倒した後に、オセロ率いる吸血鬼たちは離脱してしまった。オセロとは橋であってから仲良くしていたが、吸血鬼たちが粛々と従うので、もしかしたら地位が高いのかも知れない、彼ら独自の考えがあってのことだと思うけど、俺たちの仲を裂くのに十分なできごとだった。

 指の間から砂が落ちるように、エルフとドワーフたちは離散した。だが、俺に義理を感じてついて来てくれる連中もいて、人数は少しずつ減っていったが、時間が経つにつれて一体感が生まれていき結束は固まった。危惧していたナユキたちも最初は拒否されていたけど、俺が庇ったことで何とか丸くおさまっている。

「色々されていますよ」

 と、ナユキは言っていたけど、それは仕方の無いことだった。


 そして、とうとう南の都市に辿り着いた。

 俺たちはボロ服に身を包みながら、城門へと近づいていった。城壁を迂回することも可能だが、俺達は無言のまま城門を目指した。

 傭兵たちは驚いただろうけど、もっと驚いただろう。

 なんと扉は開いた。

 ナユキを先行させて侵入させ、門を攻略していた。

 俺達は無言のまま門を通過して、都市の石畳を歩いた。

 城壁の内部は悲鳴が渦巻いていたが、俺達は傭兵たちを買収していたので悠然と歩くことができた。傭兵たちは弓矢を構え、殺意をこちらに向けていた。

 話が違う――という感じだろうか。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 ここで大事なのは、俺たちの強さと紳士的な態度の宣伝だ。

 俺は立ち止まり、店の前で止まった。

「食料を確保しようか」

 俺達は米と肉を相場より高めに払って買い占めて、黙って城壁の東側から出て行った。


 馬を走らせて、ハロハルハラはナユキを後ろに乗せて横につけた。

「プレスター様……本当に突破できるとは思いませんでしたよ」

「俺も突破できるとは思わんかった」

 ハロハルハラが口をあんぐりと開けた。

「まあ、伝説にはなったな」

「……無責任な」

 俺達は監獄を完全に脱出した。

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