第66話 食卓
それは巨大だった。神話で神々と対決した巨人たちも同じような威容だったのだろう。
大きいから遅いと言う常識はまったく無く、ダンビラは神速で俺の馬を真っ二つにした。馬は折り目のある紙のように真っ二つになり、破れ目が粗雑で、血が水風船を割ったように飛び散った。俺はダンビラの刃先を避けて、棟側に音をたてずに乗った。殺された馬はあきれるほどに駄馬だった。だが、篭城のなか訓練を続けて名馬への道が開けていた。
それが、ここで潰えようとは……。
俺は百手巨人を睨んだ。
「ゴミが手前は馬の仇だ」
俺は棟をゆっくりと歩き、すぐに走って不意をついた。
百手巨人の大声が俺の体を芯から震わせた。
「避けたか。だが……甘い」
俺の体に手が殺到してきた。三回斬り捨て、棟を滑りながら親指を斬った。すぐに手が殺到してきたので反撃を諦めて、襲い掛かってくる百の手を足場にして、跳んで逃げた。手の先には歪な指が生えている。腕は細いものもあれば、太いものもあり、骨の無いものもあり、踏んだ感触はグニャリとして薄気味悪かった。深海生物の触手のように気持ち悪くて、内臓が外に出て暴れているような感触だった。
「遅い」
脇腹に痛みが走り、親指が異常に発達した手がめり込んでいた。ラケットで打たれたように一直線に地面に叩きつけられて、ハロハルハラの横に転がされた。俺は受身を取って立ち上がり、身体に異常が無いか点検した。
叩きつけられたところ以外は平気だった。
ハロハルハラがこちらを心配そうに見ていたので、
「ただいま」
「おかえりなさい」
ハロハルハラが手を掴んで起こしてくれた。ハロハルハラは迫りくる巨人を睨みつけて、右肩を回転させてならした。近くにいるエルフから槍を渡されて、百手巨人へ向けて槍を構えた。
「食らえ!」
ハロハルハラが大きく振りかぶって、槍を一直線に百手巨人に投げつけた。言葉と同時に囚人たちが投げ槍をした。多くの槍は百手に叩きつけられたが、ハロハルハラが投げた槍は手を穿ち、百手巨人の喉に刺さった。
「美事」
「まあまあですね」
と言いながらも、喉に刺さった槍にご満悦のようだった。
「さて、どうするかな」
「どうしましょう」
教団の執行官が来るのは分かっていた。橋の建設中に執行官が吸血鬼退治に急遽向ったことがあった。監獄には多数の吸血鬼が封印されているので、監獄破りが起きたとなれば執行官を向かわせるのは道理だった。
雲が上空を横切ったかと思った。それは百手巨人の手で、一斉に色んなところへ広がった。ドワーフ、エルフ、人間、敵味方関係なく手は襲いかかり掴んだ。手が悲鳴と共に戻ってきて、次々に人面疽が食った。
バリボリバリボリグチャ。
軟骨を噛み砕くような安っぽい音だった。人面疽から果物を食べたように汁が溢れて、雨水が跡を残すように肌が汚れた。
「私が行きましょうか」
ナユキが指笛を吹いて、手下の人間たちを集めた。ナユキの配下たちは囚人たちと比べて質が違う。魅了を使えば、どんな死地にでも恐れが無くなる。だが、馬が無いので機動力が足りなかった。
「お前らでは機動力が足りない。だから、あの女を頼む」
あの女――シルヴィア・ウォーターズは地面を歩きながら、立ち向かってくる男たちを撫で殺していた。ある時は素手、足、刀を使って、一瞬のうちに斬り殺した。『王の眼』は全てを見通す。相手の弱点を的確に突いて、覇気の無い一撃必殺を次々に繰り出している。
「分かりました。ただ――」
「どうした?」
「私の力は性的興奮が引き鉄なので……キスしてもらいたいんですが?」
……はあ?
ナユキは顔を隠していた布を下げて唇を出した。
俺は唇を押し付けて、離す時に甘い香りを嗅いだ。
「これで良いか?」
「はい、大丈夫です」
ナユキは頭上に甘い香りを吐いて、男たちを操って、シルヴィアへ突撃していった。
「ヒューヒュー、色男。婚約者にチクリますよ」
ハロハルハラがからかってきた。
「お前はガキか。キスぐらいで騒ぐな」
女心を弄ぶのはいけないなぁ。
俺の中の祖が話しかけてきた。
どうしましたか?
どうも、こうも、アレと戦いたいのよ。
百手巨人とですか?
ああ、アレは私の記憶にすらない化物だ。神話でしか聞いたことがない……。
ですが、危ないですよ。
頼むよ、ジョン……。
分かりました。
俺は祖の願いを無下にすることは出来なかった。
俺は胸の前の服を両側に破いた。ハロハルハラが変な顔をしたが、俺の体が変貌するのを見て、目を見開いた。俺の胸と臀部は柔らかく膨らみ、腰が細くなった。背中から翼が生えて、髪の毛も長くなった。
「プレスター様……」
ハロハルハラも俺が祖に変身したのを見たことが無かった。祖は俺を通してハロハルハラのことを分かっているので、腕を絡ませてハロハルハラに抱きついた。
「生きていて、嬉しいぞ」
「あっ、はい。どうも、ありがとうございます」
祖はバイセクシャルなところがあるので、ハロハルハラに好色的な目つきをした。
「さて、地獄の蓋を開くとしようか」
私は空を飛びあがり、爪で百手を切り刻んだ。百手に掴まれた中に皇子を護衛していた女がいた。空中で体を受けて、地面に下ろしてあげた。
「どうして?」
「貸しイチな」
助ける暇があったから助けただけだった。
実際、助けている間に百手巨人に攻撃されることは無かった。私は再び上昇して、襲いかかる百手を回転しながら避けて、巨人の耳を掴んで、そのままの勢いで引っ張った。古代の出雲大社が倒れた時も同じような衝撃が伝わったのだろう。地面に生えた木々に後頭部を激突させて、脳を壊そうとしたが木々の方が負けてしまった。
「残念」
「おのれ! 吸血鬼め!」
返答している暇は無かった。
私は木を引っこ抜いて、額に向けて振り下ろした。硬い物が崩れる音がした。私は執行官の弱点である白濁した液体を露出させようとした。だが、攻め方はお互いに分かっているものだ。私は後ろから来た手に気付かず、足を掴まれて地面に叩きつけられてしまった。続けて手が押し付けられ、私は強烈な一撃に死ななかったが埋まってしまった。
手が離れた瞬間に、私は脱出して、空を飛んで距離をとった。
大丈夫ですか?
ああ、問題ない……が。
が?
血を飲んでいないと力が出ないものだね。
私に向って何かが飛んできた。何かは瓶だった。私は瓶を掴み、中を覗いてみると透明な液体が入っていた。
飛んできた方向を見ると、変なのがいた。
あれは?
……人間の皮だ。
それは人間の皮を繋ぎ合わせて作られた大きな服だった。全身を隠しており、眼の部分だけ、虫の眼のようなものがつけられていた。
「やはりアルカード様の血族のものでしたか」
その声はオセロだった。他にも人間の皮を被った吸血鬼たちがいて、襲い掛かる百手を次々に叩きのめしていた。
「これは何だ?」
「人工血液です」
「なるほど……由来は」
「品種改良された豚です。……これなら大丈夫ですよ。ただ、条件があります」
何故、こんなものを持っている? と聞きたかったが、私には選択肢は無かった。
飲むぞ? いいな?
……待ってください。
大丈夫だよ、ジョン。あの男は私には嘘をつかない。
私はオセロを見下ろした。
「条件は?」
「アルカード様に会っていただきたいのです」
「お父様に? 良いだろう」
私は透明な液体を口に含み、飲み下した。全身が熱くなり、完全なる充足が全身に行き渡った。コレハ、カンペキダ。全身が脈打ち、蘇生された患者のように生に満ち溢れた。
私は巨人を睨んだ時に分かった。
実力は拮抗したと――。




