第65話 転生の標
「はあ?」
俺はとりあえず両目を腕でこすって、幻影を消そうとしたが、空の大きな顔は消えなかった。俺の背中に抱きついているナユキも呆然としており、先行していた囚人たちは次々に足を止めて巨人を見上げている。その巨人の姿形は人間が巨大化しただけではない、それはギリシャ神話で伝わる『百手巨人』のようだった。顔は見えていた巨大な物だけではなく、体のいたる所に顔があり五十を数えた。人面疽のように病弱にも見えるが、大統領の顔を掘ったラシュモア山のように雄大でもあった。巨大な手は二つあるが、小さな手も体から生えており百を数えた。小腸を裏返しにして柔毛を肥大化させたように不気味で、気味の悪い触手のようだった。正常な手には塔を思わせるほどの大きさのダンビラが握られていた。ギリシャ神話を読んだ限りではもっと人間味があると思っていたが、それは勘違いだったようだ。
だが、それは確かに伝説だ。
伝説が、俺たちに向って歩いて来ていた。
「逃げましょう」
「どうやって?」
ナユキは返事をしなかった。その方法が分かるなら、とっくに採用していた。俺は馬を操り、囚人たちの間を縫うように走って、先頭のハロハルハラに追いついた。
「どうしましょう」
「オロオロするな。まだ、俺たちが標的とは決まっていない」
まあ、百発百中俺たちが標的だが、希望は捨てないで置こう。
「俺が何かされたら、横を通って逃げろ」
俺はナユキの脇を持って、ハロハルハラの背中に乗せた。
「では、行ってくる」
「気をつけてください」
ハロハルハラが猟刀を投げ渡してきたので、ありがたく受け取り、単騎で百手巨人まで走っていった。
百手巨人の大きさはおよそ三十メートル、十階建てほどの大きさだった。
とにかくでかい……股間の物も……。
肌を覆っている人面と手は薄気味悪いが、どうしても股間からブラ下がるモノが気になった。あれで殴られたら、普通の人間は死んでしまうだろう。
「俺たちを殺しに来たのか?」
俺は間合いを計りながら、大声で話しかけた。
「その通りだよ」
明朗な女の声が響いた。その主は百手巨人の肩にいて、俺たちと同じサイズの人間だが、服装は漆黒で威厳のあるものだった。
つまり――教団の執行官だ。
彼女は巨人の肌を滑り落ち、巨人の顔や手を蹴り勢いを殺しながら地面に立った。
「おい、吸血鬼。運が悪かったな」
浅黒い肌の女は瞼を指で圧してから、きっちり開けて俺を睨んだ。
「最近煙草を吸いすぎなんじゃあないのか? 内臓の弱さは強さに直結するぞ」
煙草を吸うのを見破った……。
俺は猟刀を構えた。
そして、ある女を思い出した。
「……お前、名前は?」
「シルヴィア・ウォーターズ。お父さんが――ヘドウィッグが世話になったな」
シルヴィア・ウォーターズ。バルティカ王国、魔王の息子であるダルシャンが愛した女だ。
「死んだはず」
「あの人の妹が、私を回収してくれたんだよ。吸血鬼なら分かるんじゃないの?」
俺はミナが死んだときの事を思い出した。執行官は不死の存在だ。頭にいる白濁した液体を殺さない限り、転生し続ける。ダルシャンの妹であるベネディクトは死体から白濁した液体を回収していたのだろう。
「また執行官になったのか?」
俺は信じられなかった。ダルシャンのことは気に食わなかったが、ダルシャンが物語ったシルヴィアは愛に死んだはずだった。それが、平然と執行官として働いている。
「前世の私は洗浄したよ。吸血鬼がミナを殺したせいでね。記憶を全て受け継ぐのは危険だと、教団は判断したんだよ。転生のたびに不必要な部分は消去できるように科学はが発展したのさ。失敗は成功の母……というやつだ、ぜ」
復讐のために大火傷を負い、ヘドウィックを殺したが、結局は無に帰した。
「ダルシャンのことは何も想っていないのか?」
「思い出が無ければ、愛に根拠はない」
可哀想な男だ。
彼は必ず彼女と相対することがあるだろう。
そして絶望する
「さて、一つ聞きたいことがあるだが、皇子はどうした?」
「ん? 殺したよ」
一発、嘘をついておくか。
「私の眼はすべてを見通すぞ。嘘つきめ」
『王の眼』の力だ。ダルシャンの鋭さにも辟易したが、元の持ち主ならばその鋭さはダルシャン以上だろう。
厄介な相手だ。
質問に答えなくても、質問を投げかけた些細な反応で見破るのだろう。
俺は殺意をぶつけて火花を散らしていると、シルヴィアの様子が変わった。突然口元を覆い、顔を真っ青にした。
「うぼぉらっ」
シルヴィアが俯いて嘔吐した。唾液と粘膜が糸になり、大きな緑色の物体が落ちた。緑のソレは雪で汚れを拭い、清浄になるまで雪いだ。
「我慢できなかったみたいだね。お父さん」
緑色は巨大な蝗だった。
「綺麗な禿頭が台無しだ。まるで宇宙人みたいだ」
それは蝗にしては巨大だった。口を細かく動かして、俺の馬を睨んでいた。だが、その場から動こうとしなかった。
「あいにく、私以外には話が通じないんでね? 翻訳してやろうか? うん?」
「あっ、いや、どうでもいいです」
俺は丁重に断った。
俺には蝗と意思の疎通をする趣味は無かった。
「そうか、聞きたいか」
「どうでもいいって言っているだろ! 話を聞いてー」
「お父さんは」話し始めやがった。「ダルシャンに聖遺物によって心臓を破損させられた。だが、私たちの本体は脳にある。心臓なんぞ、人間の体を動かすポンプでしかない。だが……人間の体は生命維持装置でもある。お父さんは散らばり、執行官が血眼になっても回収できない。最終的にお父さんは……ヘドウィックは自らの蝗に自分を食わせることで生き延びた。知っているか? どんな自殺志願者でも、死の苦痛の前では生命賛歌にすがるのだ!」
だからこそ、ミナは俺に殺してもらいたかったのだろう。
「そして、吸血鬼よ。見覚えがないか?」
「何に?」
「この蝗だ」
俺は見つめたが、すぐに気付いた。
「……まさか」
「そう、お前の血を吸った。吸血鬼化した蝗だよ」
ヘドウィッグとダルシャンが戦った時、俺は身を守るために血を盾代わり使った。まさかこんな所でツケを払うことになるとは思わなかった。
「なるほどなぁ」
俺は蝗を睨みつけた。
「虫けらが吸血鬼か」
蝗は俺を見つめている。
「俺の不始末は、俺が片をつけ……」
曇天を割るような雄たけびが響いて、突然の闇が襲った。
「ワシのことを、無視するなぁ!」
百手巨人の足が頭上から高速で落ちてきて、俺たちがいた所を潰した。受け止めるのは諦めたが、逃げられないことは無かった。
「悪かったよ。長老」
シルヴィアが蝗を鞄の中にしまって、太陽から防いだ。
「長老?」
百手巨人は遠吠えを上げて、囚人たちの馬を錯乱させていた。
「ワシの名前は、ヴォルデンブルグだ! プレスター・ヴォルデンブルグ……いや、伝説のプレスター・ジョンよ! お前が殺した女は、私の娘だ!」
ダンビラが夜の訪れのような速さで、俺の頭上に振り下ろされた。
「あの世で娘に詫びろぉっ!」




