第5話 十字
その後も雑談を続けて、前世の話になった。
「最初は人間だったか?」
「まあ、そうですね」
仲良くなったとはいえ、今更会話しても過去が戻ってくるわけではなかった。
「俺も人間だったが、そのとき食べていた物が忘れられない」
「あー、そういうことですか」
俺たちは代用食品で生きているけど、それでも味が単調なのは辛かった。食べた食事とかで血の味も変わるが、味わうにしても直接それを味わいたかった。だが不死者の呪いは味覚をも支配して、必要ないものを食べると不味いだけだった。
「牡蠣は毎年食べたくなるものの筆頭だ」
「私は、チーズケーキ、キャラメルプリン、シュークリーム……」
俺たちは視線を交わした。
「「……ツライ」」
まあ、仕方が無いんだけどね。
会話が途切れる頃に、俺たちは山を散策していた。昨日仕掛けた罠を見てまわり、収穫が無いのを確認して、そろそろ家に戻ろうかなと思っていたら、森の向こうの街道で十名に満たない盗賊が、旅芸人を襲っていた。
芸人も手馴れたもので、持ち物全部放り投げて、服も全部脱いでいた。追いはぎと言うヤツだ。悲しいことに、俺から見ても芸人の馬革の外套は垂涎の品だった。艶やかな飴色は琥珀のように美しく、丁寧に手入れされているのが分かった。
「どうします? やりますか」
「義理はないが」
旅人の中には、少女もいた。
「犯されると考えると目覚めが悪いな」
「では……」
ハロハルハラが駆けようとしたので、肩を掴んでとめた。
「狙撃するよ」
俺たちは街道から外れた山にいて、森を越えた場所の街道に盗賊たちはいた。
彼我の距離遠し。
だが、届かない距離ではなかった。
俺は足元にあった頭蓋骨ほどの大きさの石を掴んだ。古来より投石は有効な攻撃手段であり、武器となる材料もいたる所にある。聖書で描かれたダビデもゴリアテを石で追い詰めた。
そのダビデは投石器を使った。
吸血鬼には道具などいらなかった。この腕が、体が、最強の武器である。吸血をしなくても人間如きに後れをとることは無かった。
振りかぶり、投げた。
石は空気を裂き、音を鳴らしながら、雹のように飛んでいった。
石は盗賊の手を抉って、血がほとばしり、目の前の唖然とする少女に降り注いだ。
「お見事」
「これで逃走すれば良いが」
早く逃げろ。
本格的に戦うのは面倒だし、殺すのはもっと面倒だ。俺とハロハルハラには基本的に人間を殺すことを躊躇しない、人間が豚を殺すぐらいの躊躇はあるが、これは仕方の無い感覚だった。
だが、本当に仕方が無いことなのだろうか。
俺たちは人間になりたいと思わないが、人間に同格だと認めさせたかった。そうすれば、俺たち不死者も野をさ迷い歩くことなく、安住の地で生活することができるのでは無いだろうか。
「プレスター様?」
「いや、すまない」
無駄な考えをしている暇は無かった。
盗賊たちを殺すのは良い、俺たちだって悪党より善人が生き残る方が良いのは分かっている。だけど俺たちにとって人間は食料だ。殺してしまえば血と肉を口に含みたい願望がわく、基本的には見捨てたほうが断然良かった。
盗賊たちは恐怖に顔を引きつらせたが、次の瞬間もっと奇怪な出来事が起きた。
抉られた手から落ちた剣を、芸人の少女が足の指で挟んでゆっくりと持ち上げた。
少女は服を脱いで裸だったが、それは返り血を浴びないためだったのだろう。
足を自由自在に使い、目の前の盗賊を寸刻みにした。
俺に襲われた神父が何度も何度も十字をきったのように、何十回も切り刻んだ。皮膚に格子紋様が刻み込まれて血が吹き出した。
足の指の力だけでここまでの演武ができる手練はなかなかお眼にかかれない、殺戮に眼を奪われてしまった。血は頬紅のようで、少女は全身を赤く染めた。産まれたての赤ん坊のように残酷な生を満喫していた。ぬるっとした感触と共に、髪を撫でている。
血の匂いがここまで漂ってきたが、不細工な男の血は吐き気がした。
血は飲みたくないけど、飲むなら絶世の美女以外のものは飲みたくなかった。
盗賊たちは散り散りになった。
少女は片足をあげたまま、全身から血を滴らせている。
美しい、本当に綺麗だ、出来ることなら血を授けて仲間に加えたかった。
無駄な衝動/考えをしていて油断した。
彼女はこちらを向いた。
俺たちは隠れて耳打ちをした。
「見られたか?」
「はい。助けたのは間違いだったかも知れませんね」
ハロハルハラは旅芸人を普通の人間とは見なかったようだ。それは俺も賛成で、追い詰められるまで抵抗をしなかったことからも、何か考えがあってのことだろう。
「残念なことに、旅芸人の行き着く先は、俺の村みたいだ」
「すみません。余計なことを言ってしまって」
「気にするな。なるようにしかならない。何かなったらその時考えれば良い」
吸血鬼は妖魔の長といわれているので屍人のハロハルハラは謙遜してくれる。俺にとっては唯一の仲間なので、気軽に話しかけて欲しいのだが、何十年と染み付いた感覚が取れないそうだ。
ハロハルハラは見た目が悪いので山暮らしだ。不細工と言う意味ではなくて、見た目が屍人そのものなので村では暮らせないと言うことだ。姥捨て山に建てられたボロ屋でババアと暮らしているので、村へは一人で戻った。
旅芸人はすでに広場で芸を披露しており、打楽器をかき鳴らしながら、殺戮の少女が舞を踊っていた。
台詞はなく、長々と続く歌が物語を表している。
この世界を支配する教団が悪魔と対決する英雄伝説だ。
その悪魔とは俺たちのことを言うのだろう。
確かに理にかなっている。
教団は天国と地獄を信じているが、輪廻転生は信じていない。
つまり転生して存在している時点で、俺たちは絶対敵なのだ。
少女は英雄の少年時代の役を終えて、舞台裏で服を脱いで身軽な姿になった。
俺は姿を隠す必要がなかったので、少女を見つめ続けていた。
すると、彼女は手を振ってきた。
爽やかに笑っている。
振りかえすと、こちらへと近づいてきた。
「助けてくれてありがと」
「どういたしまして」
「すごいね。あんな距離から魔法が届くなんて」
魔法ではない。
勘違いしているが、これは使える。
「まーね」
「ただ、裸を見られた見料はいただくよ」
「やなこった」
少女はくすくすと笑っていた。
「それじゃあね」
そういえば、名乗っていないな――家に帰った後で、そう思った。