第43話 手
ある朝、手が落ちていた。顔を洗って、体操を終わり、濡れた布で体を拭いても、手はちっとも動かなかったので、幻影では無いようだ。指でツンツンしてみると質感は手だった。指で摘まんで取ってみると、ヌイグルミのように軽かった。だけど形はしっかりとしており、美しい手だった。どこかの美女の手のように見える。手首辺りで切れているけど、切断面には骨は見えず皮膚で覆われていた。
「不思議だ」
「あっ!」レッドは俺が手を持っているのに見て、走ってきた。「私の手っ!」と言っているが本人の手は二つとも無事だ。近づいてきたので落ちていた手と比べてみると、どことなく似ていた。レッドの手は綺麗だった。俺が手を取って眺めていると、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「へへへっ……最近見えるようになってきたんだ」
「……もしかして、念動力のことか?」
「そうそう」
レッドが魔女裁判で処刑されかけた原因の力だ。最近使っているところを見ていなかったが、時間を見て練習をしていたのだろう。成長しているようで、動かしていた手が具現したようだ。このまま成長したら手が腕になり、最終的に人間になるかも知れなかった。
「前より力強くなったよ」
手はフワフワと俺の目線くらいまで浮いて、俺の鼻を摘まんだ。
「鼻もチーンできるよ」
「マジ、つかえねえ」
パシンと手を地面に叩きつけた。
「酷い!」
すると、手が中指をたてた。
「レッド……」
「私じゃ無いよ! 手に意思があるんだよ」
「意思があるのか?」
「そうだよ。簡単なことなら筆談できるよ」
「……そっちの方が凄いな」
「そうかな?」
いやいや、凄いでしょ。このまま成長したら、一人の人格をつくることになるんだよ。これは念動力ではなくて、もっと別の力になりそうだった。
力と言えば、こんなことがあった。
俺が吸血鬼オセロと親交を深めていて、ヘドウィッグが戻って来ず、教団の執行官たちが四苦八苦しながら橋の工事を進めていた。俺から言わせれば、本当に遅い仕事だった。アルルの妨害や、吸血鬼の発生など色々あったが、それでも仕事が遅い、この人数がいれば俺だったらすでに作り終えている。機械化された時代と違って人力が全てなので、当然働く人の数は現代よりも多くなっている。そのため上の人間が大勢の人間を操る能力が、現代以上に重要になってくる。数千人単位の人間を操るのは、本当に難しいことだ。
だが、俺ならできる。
「見ていると、イライラしてくる」
「牛乳飲んだほうが良いよ」
いつも飲んでいるから、カルシウムは足りているはずなんだけどね。
「カリカリしないの」
レッドが後頭部を指で突いてきた。
俺とレッドは前に食事を物々交換した娼婦たちの所に来ていた。橋の工事から少し離れた場所にあるけど、遠目で見えたので俺はイライラ感想を言っていた。娼婦のおねえさんには、この前のお礼として蜂蜜酒を贈呈した。
「あら、これで頑張れるわね」
「頑張ってください」
娼婦のおねえさんは笑うと綺麗だった。
「あれを見て、本当に、奇跡だね」
おねえさんが指差した先に、娼婦たちが一列に並んでいた。列の先頭を見ると、女の執行官がいて、包帯を巻いた女性に両手で撫でて、汗を滲ませながら集中していた。すると、包帯の内側が盛り上がった。包帯を外してみると、娼婦の顔が戻っていた。この世界にも細菌感染症が蔓延しており、性の仕事につく娼婦たちが病気の温床となっていた。梅毒に似た症状で、吹き出物がでて、膿が骨を侵して、肉が顔から剥げ落ちる。女の執行官は剥げ落ちた肉を修復させたようだ。治療師と言った方が良いかも知れないが、病気を治しているわけではないだろう。肉体の破損を回復させるが、死病は残ったままだ。それが良い行為かは分からないが、少なくとも寿命は延びたことだろう。
「お姉さんは行かないの?」
「私は病気になってないから」
「そうですか」
分かりきったことが起きた。女の執行官の体力が尽きて、「今日の治療は終わり」というと、並んでいた娼婦たちが悪態をついていた。
だろうね。
そんなものだよ、人間は。
手に入れられると思った物が、手に入らないと文句を言うんだよ。
俺とレッドは肩を落として汗を流している女執行官の元まで葡萄酒とパンとチーズを持って行ってあげた。娼婦たちからのお礼というと、素直に食べてくれた。
「ありがとう」
「報酬ですよ」
「本当は無償の愛を配らなくてはいけないんだけどね」
女執行官は笑っていた。
「私はベネディクト。君たちは?」
レッドも俺も名乗り、その後はレッドがベネディクトと話し始めた。だが、俺はその名前を聞いて、力を見て、彼女が誰か分かってしまった。ダルシャンが話した過去で名前が出た女だ。
ベネディクト。
目の前の女はダルシャンの実の妹だ。それは魔王の娘という意味もあり、その女が教団の執行官になっているということは、一つの結論が導き出される。ダルシャンはシルヴィアに利用されそうになったが、そのきっかけを作ったのは妹と言う事だ。ベネディクトはシルヴィアを導きいれて魔王の命を狙おうとしたが失敗、ダルシャンが居なくなった後に何かがあって、ここまで逃げてきたのだろう。
「良い人だったね」
「まあ……な」
歯切れが悪い返事に首を傾げていた。
「最悪だ」
「どうしたの?」
「この世界は本当に嫌なことばかりだ」
「私も嫌い?」
「レッドは別だよ」
世界が優しさに包まれていれば良いのに、悪意のみが俺達を包んでいる。




