第37話 残影
鏡男を殺した後に、興奮して数日眠れなかった。興奮が収まり、久し振りに眠くなって、俺は夢を見た。体が大きくなり、俺の横には一人の女性がいた。この光景は覚えている。俺は摩天楼の屋上にいて、大地に長い槍を突き刺したように周囲にも摩天楼があった。
「隣のビルに高さ超されちゃったね」
「競った覚えは無いけど、抜かされると少し腹が立つ」
昼間は外に出られないので、俺は羽を伸ばせる摩天楼の屋上を歩いていた。強風が髪をなびき、屋上の塵は一息で飛ばされた。女性は俺の前で指を噛んだ、歯先が指の腹を押し潰して、カサブタを通過して鮮血を滴らせた。俺は舌を出して血を受けようとしたが、風が強すぎたため血が飛んだ。俺は指を咥えて、血を飲み込んだ。ぬらぬらと口の中は濡れて、体から放たれた血は温かだった。
「噛まないでよ」
無言で俺は頷いて、女性の血を飲んだ。俺を愛してくれた女、祖の呪縛から解放しようとしてくれた女を俺は殺したんだった。
目覚めた時に、泣いていたので指で払った。夢の中とはいえ、血の味は極上のものだった。夢で味を思い出すとは思わなかった。
血を飲む衝動を抑えて、俺は朝日を迎えた。前世では大敵だった太陽を見ることができて、俺の気持ちは少しだけ晴れた。
ユーリの建設予定地にはコンクリートが一面綺麗に敷かれていた。表面のざらつきはそれほど無くて良かった。これが木鏝の仕上がりだけど、金鏝ですればもっと綺麗になる。構造にも意匠にも関係ないところなので、木鏝でも当然良いのだけど、今回することに少しだけ関係してくる。
「今回は墨出しを行います」
使うのは墨じゃないけどね。
「はい! 何ですかそれは」
レッドが元気よく返事をした。学校は鏡男の騒動で休校である。
「この前言った、建物の基礎の形を書く作業です。これを間違えると大変なことが起きます。基礎を叩き壊したり、上部の構造と整合性が無くなったり、構造的に脆弱なったりね。色々おきます」
「じゃあ、慎重にしないといけないね」
「なので、まず始めに――基準線を出しましょう」
「どうやって出すんですか!」
「まず、建物が□だと考えてね。この□の線を捨てコンクリートに出せば、それが基準線だ」
「……難しそう」
「ここに木杭がある」
建物の□から、線を延ばして『井』の線の先端部に木杭を設置している。
「この木杭同士を線で結べば、あら不思議……四角形の完成です」
この木杭はあらかじめ掘る場所を決めるときに作っていたものだ。木杭の天端に線が書かれているので、鉛直と直線を測量するグローマを設置して、グローマの中心から重石をつけた糸を垂らして線と合うようにする。前と後ろの下げ振りを、線を書きたい木杭に合わせれば準備完了だ。後はグローマで見据えながら、捨てコンクリートに直線部分のポイントを書いていくだけだ。しばらくして□の線を描く、ポイント作りが終わった。
「次にポイント同士に糸を張って、コンクリートに線を描いていきます」
「張って線が……」
「張った後に、指で摘まんで上に引っ張って離せば、糸がコンクリートに叩きつけられるでしょ。それで線ができるというわけ」
「ほうほう」
日本の墨出し道具に墨壷というものがある。これは墨糸が巻かれた滑車部分と、墨を入れる墨池部分がくっついている道具だ。糸の先に針がついてあるけど、ここは人に持ってもらってポイントにつけてもらう。そして墨壷を持っているほうも、糸をポイントにつけて、糸を引っ張って線をつける。だいたいは二人でできる作業だけど、実際のところは三人でやって、糸の真ん中辺りを引っ張ってもらって線をつけるほうが精度は高くなる。
だが、そんな立派な道具は持ち合わせていなかった。だいたい、墨が無い。あっても墨出し用の墨にはニカワが混ぜられており、雨に降られても完全に消えないように考慮されている。わざわざ作るのも面倒なので、俺はユーラシア大陸西側で使われていた方法にすることにした。これはラインマーカーと呼ばれるもので、糸を巻く木と、糸の尖端に針をつけたもので、墨ではなくてオーカーを使ってある。オーカーとは塗料のことだ。
俺とユーリがポイントに固定して、レッドが中心の糸を引っ張って離した。パチンと音が鳴り、コンクリートに線が引かれた。
「一発でやれよ」
「うん」
と言うのも、この線はけっこうずれる。だからと言って、何回も線をすると訳が分からなくなるので、慎重に線を引かせた。俺たちは□を描くと、次にコンクリートの外周部の面を描く事にした。これは基準線から金尺で距離を出してポイント出して、ポイント同士に線を引けばいいだけのことだ。
「あれ、ここは?」
レッドが言ったのは、□の部分の四隅のところだ。基準線の外側にポイントしているため、四隅の部分の線は、線から延長して出さなければいけなかった。
「適当?」
「こういうのは慎重に延長するの」
延長してみたら、線が二重になったので、チョークで×を書いて、慎重にラインを引き直した。最後に基準線から一定距離の場所に線を引くことにした。
「これは何?」
「基準から一定の距離で打っておけば、コンクリートを打った後でも、線が消えないから、色々確認するのに便利だろ」
「はー、なるほど」
三人とも終わる頃には、手際が良くなっていたけど、結構大変だった。線出しは午前中で終わったので、次はコンクリートの型枠設置だ。




