表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

198/209

第198話 黄金時代 下

 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ――気色悪い音が耳に残っている。

 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ――甘美にも似た……酸鼻で陰惨な……単純な音。

 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ――それは私の世界を一変させた音だった。

 私は耳を塞いだ。

 指と指の間から――ぐちゃぐちゃぐちゃという音が聞こえた。

 それは幻聴だったかもしれない、幻聴だったかもしれないが、本当にあった音ではあった。

 あの音を今でも忘れられない。

 忘れることができない。

 その音は人一人を殺した音である。

 殺し、壊し、崩し、犯し、何もかもを終わらせてしまった。

 その音の後に、今でも思い出してしまう映像があった。

 美しいものを愛でるのは当然の反応だ。

 その反対に美しいものを壊そうとするのは……何なのだろう。

 あの王子はその理由を言ったが受け入れることはできなかった。



 皇帝こと当時の王子は好色だった。英雄色を好むと言うが、それを体現したような人物だった。買えるような安い女だけではなく、貴族の人妻や女傑、果ては血の繋がる親族にまで食指が動いていた。悪徳ともいえる好色はあったが、食指はありとあらゆる欲に向かっていた。飽いている時は怠惰の化身のようだが、興味を示しているときは子供のように貪欲だった。私は食事を作ろうとしたとき凝視していたが、それは今まで料理をしたことがなかったからだ。その後、暇なときは料理をつくってふるまった。最初は不味かったが、繰り返すにつれて美味くなった。美味くなった途端に作るのを止めた。極めたと考えたのだろう。本当は極めてないのだが、ある程度得意になると飽きてしまうのだ。

 女色に関しても、飽きてしまえば良かったのだ。

 飽きてしまえば、死ぬことはなかったのだ。

 スピノザは美しかった。内面は男でも、外面は傾国の美女だった。国を傾ける美女は、当然人の心を傾けさせることもできた。魅了だけではない、狂わせることもできるのだ。

 私は色々な女を見てきたが、スピノザ以上に美しい容姿を見たことが無かった。回顧主義と言われても良い、私はそれを真実だと思っている。金剛石ダイアモンドは万人が美しいと思うから価値がある。スピノザの美しさはそれと同じだった。誰が見ても、どんな馬鹿が見ても、どんな賢者が見ても、美しかった。私を同性愛者だと思う人もいるだろうが、その指摘は正しくもあり間違ってもいる。万人が美しいと思うものを見たこと無い者だけがその指摘をするのだろう。

それで良い、理解できない者を説得するほど、私は図々しく生きてこなかった。



 シャラシャンカは放浪しながらバルティカ国へと戻った。その時には人材は山ほど揃っていた。小粒の才から大物まで、相容れない才能が絡み合って一つの巨大な星となっていた。シャラシャンカ隊という単純な名前で呼ばれることが嬉しかった。巨星はシャラシャンカだったが、私達がシャラシャンカそのものだったような――そんな一体感が心地良かったのだ。歴史上の英雄に従っていた者達全てが感じていた心地だろう。

 バルティカ王国に到着して、権力争いの渦を巻き起こしていた頃だ。私は至弱だったが、シャラシャンカ隊の外に出れば強者の領域に入っていた。詩人としても旺盛に働いていた時期だった。詩心は溢れて留まらず、次から次へと傑作と駄作を生み出し、賞賛と批判の嵐を巻き起こしていた。当時バルティカ王国の桂冠詩人だった人に師事をしたが、いつの間にか名声は上回り、桂冠詩人として王家の慶弔の詩を読むことになった。武人揃いのシャラシャンカ隊の中では軟弱だと言われることもあったが、武人ではなく文官として出世したのは複雑な気分だった。

 ある時、シャラシャンカの父が新しい女を後宮に入れた。幼女とも言える容姿、そして鋭利な刃物のような美しさを秘めていた。その鋭利さは野望を抑えきれないからだった。それは殺すに値する因子となった。彼女は毒殺された。肌は白いはずだったが、紫色に変色していた。私は葬式で詩を読むこととなった。後宮に入ったばかりでは異例の葬式だった。文学的に崇高な詩を作るのも大変だが、大衆に気に入られる詩を作るのも同時に大変だった。だが私の中には数多くの詩と経験が入っている。馬鹿げた権力争いに沈んだ女を慰める詩を搾り出すことは容易にできた。

 粛々と準備がすすむ中、不吉な知らせをスピノザの弟が告げた。

にいちゃんが、王子に浚われたって手紙が……」

 爆弾魔と呼ばれることになるスピノザの弟は虚ろな目で言った。手紙は親戚からの物だった。スピノザの親はスピノザを捧げる代わりに、手工業ギルドのギルドマスターの地位を約束されたそうだ。スピノザの親がスピノザを積極的に捨てたかは分からない、だが権力者から強制されれば誰だって自分の保身を図るだろう。

 だからと言って……許すことはできないが……。

 爆弾魔が手紙を握りつぶして、下唇を噛んで血を流した。顎から落ちる血の雫は血涙のように見えた。侮辱は雪がねばならない――眼が底光りして狂気を帯びていた。

「殺す……あの異常者め。にいちゃんが男だと知っているくせに」

 拳が食卓を叩き割り、塩味の揚げ芋と赤葡萄酒の杯をシャラシャンカが掴んだ。一滴もこぼすことが無かったのはさすがの反射神経だった。芋も一息に口に入れて、飲み込み辛そうに食べていた。

「救いに行きましょう。今のシャラシャンカ隊ならばあの馬鹿王子など相手にならない」

「それは勘違いしている」

 私は否定した。

「馬鹿な。シャラシャンカ隊は強くなった」

「相手も強くなっている。そして、私達は戦争中だ」

 王国内の権力争い、そして国内の敵対組織との闘争、国外の第三者勢力との調略戦、少数精鋭でありとあらゆる戦争を行っているのだ。ある程度の人数を集めて遠征するのは難しいことだった。

「ロンドはにいちゃんを見捨てるのか」

「私が行く、私ならば誰も困らないだろ」

 葬式の詩を読む役割があるが、そんなことはどうでも良い、人生を賭けて築き上げた地位だが、地位はいつかは無くなるものだ。無くなるものならば、無くなることを恐れることはないのだ。

「お前はここにいろ。お前はシャラシャンカ隊に必要だ」

 シャラシャンカは喉に芋をつまらせながら、頭の中で計算しているようだった。

「スピノザは俺に必要だ。ロンド――お前が行け。道順と馬と船の手配は俺がする。悪いが虎の子の騎兵ではなく、諜報部隊で構成する。練度は足りないが命令に忠実だ。お前が死ねと言えば死ぬ、それを操る勇気がお前にはあるか」

 完全なる単独行動……全ての責任が私の肩に圧し掛かろうとしていた。

「後悔するだろう。だが構わない」

 シャラシャンカは笑った。

「助けてきてくれ。俺にはあいつが必要なんだ」



 国家権力を握ろうとする者は、別の力を積み上げていくものだ。シャラシャンカが闇で動く力を所有していたように、王子も闇で動く力を所持していた。違うところは一から育て上げたかどうかだ。王子はどこかで雇われていたが所属がしなくなった組織を買い取ったようだ。成熟度は一目瞭然だ。王子の方が優秀な組織を有していた。

 情報戦で負けたのは、私のせいだ。脳に浮かぶ限りに対策は行った。行ったが、後から考えると足りなかった。そういうことばかりだ。こういうことが起きると、私は上に立つべき者ではなかったと思う。そうして毎夜苦しんだこともある。寝汗で風邪を引くこともあった。

 海を渡るとき、死闘が起きた。

 シャラシャンカが用意した船ではなく、得た情報を元に別の航路を用意した。そして罠に嵌った。あの時、五十人が死んだ。相手も同数殺したが、私達は百名ほどの集団だった。それは全滅と言って良いほどの損失だ。

 海を渡りきり、再び陸地を走った。今度は道を読まれることは無かった。五十人の死が私を成長させた。だが道中は平坦ではなかった。生き残った者の一人が私を殺そうとした。私はその時、死地に立ったと感じた。周りには味方はいるが、私たち二人を見守っていた。どちらに転んでも良いと踏んでいたのだろう。私は負ける訳には行かない、この者たちはシャラシャンカを支えていく者たちだ。

 お互い剣を構えた。

 鋭い威圧感が首筋に刺さった。

 死を覚悟した者の鋭さだった。

 私は死にたくはなかった。

 生きて、苦しんで、未来を築いて、生きていると感じたかった。

 気付いた頃には空を見上げていた。服が返り血に染まっている。身体には傷一つなかったが、張り詰めていた感覚が切れてしまったようだ。対峙すること一時間、日没と同時に斬り合い、一撃で真っ二つにしたそうだ。

 そこから先は一つの生命のように動いた。自らの肉体が拡張したような気分になり、己の力だけでは発揮できない強大な力を持つことができた。

 なんという全能感だ。

 これが権力というものなのか……そんな感覚に落ちた。



 王都に到着した。闇夜に紛れて潜入して、空き家を占領した。絶えず情報を収集して、隙を狙うことにした。だが情報を集め始めた頃に諦めはあった。スピノザは玩具にされていた。私と同じように弱かったスピノザは武力を向上させる機会に恵まれていなかった。あの時、私達と一緒に歴戦を重ねていれば、玩具にされる前に死ぬことぐらいできただろう。それも叶わなかったのだ。

 スピノザは幽閉されて玩具にされた。玩具にされたが残酷なことに希望を与えられた。手製の銃剣を魔術鍛造した腕と、花火師の実力を見込まれて強力な武器を造らされた。それが光砲だ。完成すれば玩具にするのを止めると言われたが中々それは完成しなかった。スピノザは光砲を何度か花火を撃つ大砲としようとしたそうだ。大人しいままで終わらない、そういうところがスピノザの良い所であり、悪いところでもあった。

 苦労の果てに、私はスピノザに会った。

 椅子に拘束されて、頭蓋骨に穴を開けられていた。脳に小刀を刺され、切り取られていた。

 ぐちゃぐちゃぐちゃ……脳を弄っている音だった。

「脳に痛覚は無い……あと脳ってそこそこ美味い」

 スピノザを開頭をしていたのは若い男だった。後の調べで科学者であり医者でもある帝国の頭脳の一人と言われるマッドという男だった。

「お前何をしている」

「何って?」マッドは小刀を口に入れ、脳を咀嚼した。「お前が来ると分かったんでトドメの一撃だ」

「お前は死ね」

 私は剣を抜き、瞬時に駆け寄った。

「国随一の頭脳を弄くり回せるて楽しかったんだがなっ!」

 マッドは私の剣を避けることができなかった。右手首を飛ばされると、嗚咽と鼻水と唾液を垂れ流しながら、痛みのあまり泣き出した。

「痛い痛い痛い、なんて酷いことするんだぁ! 私は殺さないように脳を弄り回しただけなのにぃ」

 私はマッドの顎を蹴り上げて、剣で脅した。

「腕は良さそうだ。片手で良い、頭を直せ」

「ひいいっ……野蛮人め。野蛮人め」

 マッドは片手を拾い上げると、切断された手首にくっ付けた。

 驚いたことにそれはたちまち直った。

 治癒能力があるようだ。

 それでもマッドは嗚咽を止めようとしなかった。

 マッドは気が狂ったように色々と喋り始めた。

「私は王子に言われて脳を弄っただけなんだ。弄って知識を吐き出させたんだ。素晴らしい意見が次から次へと出てきたよ。それは王子の知識でも出すことのできないものだった。とくにあの光砲は素晴らしかった。あの構想を脳を弄って聞いたときに、王子はそれを絶対に完成させることにしたんだ。でもこの女は言うことを聞かないんだ。最後の一つを教えてくれないんだ。最後の一つを教えてくれれば、陵辱からも、苦痛からも開放されるって言うのに教えてくれないんだよ」

 スピノザは見る見るうちに回復していった。

 治癒能力という偉大な力があるくせに、やっていることは下劣だった。

「ロンド……助けに来てくれたのか」

「ああ、酷いことをされたようだな」

「酷いってもんじゃあない。でも最後に会えて良かった」

「何を馬鹿なことを言って……」

 私はスピノザに肩を貸した。

「シャラシャンカに悪いことをしたな……あの時一緒に行っていれば」

「ああ、本当にな」

 王子が血塗れの剣を握っていた。

 デュランダルと言われる名剣だと、後で知った。

「これが絶望だ」

 王子が言うと、数十の玉が転がってきた。頭部だった。潜入するときに支援してくれた仲間達が、王子の手の物との勝負に負けたようだ。

 私は冷静だった。まだ二十名は死んではいない、まだ活路はある。

「良い部下だ。死ぬことを気にしないものは怖い」

 怖い、たしかに怖いが、私と共に未来をつくる仕事をして欲しかった。

 私たちを生かすのが未来だとしたのだろうか……それが上に立つということなのだろうか。

「脳を弄られ、陵辱を喜ぶ女された者を持ち帰ろうとするのか? そいつは普通に喋っているが、もう廃人手前だ。売女以下だぞ」

「それがどうした。私達の国へ連れて行き、治療する」

「知っているぞ。お前その女に惚れていたな。男だと知っていて」

「だからどうした?」

「その女の処女は奪ったぞ? そして子も作った。残念ながら、おろされたがな」

 スピノザが目を下に向けているが、虚ろな表情だった。

「私男なの。だから子供ができちゃいけないの。だか鉄の棒を入れてかきだしたの……」

「もう良い……言うな」

「あの血塗れの肉塊が……あっ、ぐっ、ぎっ……」

 スピノザは奇声をあげて、私を突き飛ばして、逃げた。

 それが最後の戦いの開始の合図となった。 

 今まで伏せていた私の仲間が、一斉に飛び出して、王子を殺そうとした。王子の剣技は竜巻のように猛威を振るった。

「何故、こんな事をしたんだ」

 十合に渡って攻めあった。

 ここまで粘れたのは、相手のおごりもあるが、私が腕を上げたのもあるだろう。 

「最初はシャラシャンカの大切な頭脳だから奪ったのだ。

 だが途中で最強の兵器を手に入れることにも執着が沸いた。

 だが、本当は違うんだよ」

 閃光が三つ。

「美しかったからだ。スピノザは本当に美しい。そして美しいものを壊すのは本当に楽しかった。あいつのおかげだ。あいつのおかげで私は本気になれる」

「なに?」

「この世は本当に美しいだろ? 権力を持てば、それを壊すこともできるのだ。俺は快感を知ってしまった。スピノザのおかげで知ったのだ。おかげで、俺は遠慮なく権力を奪うことを目指せる」

 私は恐怖した。

 王子は満面の笑みを浮かべていたのだ。

 聖人のような清い笑みだ。

 それが怖かった。

 私は斬られた。内臓が飛び出なかったが、体勢を整えないと反撃もできなかった。

 スピノザが心配だった。

 配下に逃亡の合図をすると、それぞれが生きるために戦い始めた。

 部屋から部屋へ移動していると、スピノザが銃剣を持ち、マッドを追い詰めていた。ぶつぶつ何かを呟きながら、両足、両手、頭を撃った。マッドは悲鳴を上げているが、治癒能力が攻撃よりも上回っているためなかなか死ななかった。

「殺す殺す殺す殺す……」

「スピノザ、逃げるぞ」

「いいや、逃がさない。お前もシャラシャンカの大事な友人だ。お前もここで死ぬ」

 王子が清らかな笑みを浮かべながら、詰め寄ってきた。

「ロンドは逃がせ」

「あっ? 俺に命令しているのか」

「光砲を完成させてやる。その代わりにロンドを逃がせ」

「……断る。その嘘は聞き飽きた」

「完成させるのは、私じゃない、お前だ」

「……命令を聞く必要は無い」

「命令を聞かなければ、お前を呪い殺すだけだ」

 スピノザの身体が淡く輝き始めた。

「私の魂は怒りで燃え上がっている。たとえ魔力が弱くても怨念を込めたものは何よりも強い」

 スピノザの肉体は燃えた。燃料をかけたように燃え上がり、業火のようになった。

 その炎は、私と王子の間で壁となった。

「自殺する気か?」

「自殺? 私は光砲となって永遠に生きる」

「なに?」

「光砲に私の灰を混ぜろ。そうすれば完成させてやる。兵器は私の怨念で完成するのだ」

 叫び声に似た笑い声が聞こえた。

 私は逃げ出した。

 それが最後の機会だったからだ。

「ロンド、シャラシャンカの側にいてあげて」

 最後にその言葉が聞こえた。

 振り向くとスピノザが炎と化していた。



 夏、私は桂冠詩人を辞めさせられ、王子に与えられた傷を治すために入院していた。

 シャラシャンカは数ヶ月に及ぶ遠征から帰ってきていた。

 病院の庭で、私達は会った。

 私が報告すると、

「そうか……」とシャラシャンカは言った。

 庭は湖に面していた。

 湖面に波紋が起きた。

 シャラシャンカは涙を流していた。

「覚悟はしていたが辛いな。俺の一部が無くなったようだ」

 その後、シャラシャンカはバルティカ国の王となり、魔王と呼ばれるまでに成長することになる。

 それまでが私達の黄金時代だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ