第192話 魔王7
瞼が細かく痙攣、口の中が乾ききり、酸化した冷や汗が流れ、死の緊張のあまり足が震えた。
太股を殴りつけて震えを止めた。
大海のように膨大な生命力が尽きようとしている。
ああ、怖い。
死にたくない、死にたくない、まだ死ねない。
右肩の痛みが極限まで高まり、命の危険信号を脳へ送り込んできた。
なにか、なにか無いか。
さあ、どうしようか、右腕。
俺は肩を斬られているから、繊細な動きができません。
剣は持てるのか。
剣は持てますが、魔王の剣技に対抗できないと思われます。
使えないな。
すみません、サー。
おい、左腕、お前はどうだ。
自殺したい気分です。
黙れ。
黙ります、サー。
次、左足。
私はまだまだ動きたいです。
よし、何か良い意見はないか。
足の速さではこちらに勝機はありません。
それは意見ではない。
すみません、サー。
お前の蹴りで形成を逆転できるか?
それは無理です、サー、相手の速さから考えて蹴りは動作が大き過ぎます。
なるほど、ならお前はどうしたら良いと思う?
右足の意見に同意です。
まだ聞いてないが。
聞いてみてください。
おい、右足、お前の意見を言え。
逃げましょう。
却下だ。
逃げるんだよー。
却下だ。
逃げないと負けます、サー。
足の速さで負ける。ここでやらないと死ぬだけだ。犬死だけはあり得ない。
……。
意見は無いのか?
意見を言って良いですか、サー。
どうした左腕。
自殺願望を成就したいのです、サー。
「何をぼーっとしているんだ」
暴風低気圧のような無慈悲な剣圧が襲ってきた。
正面から遅い来る煌きを斜め後ろに流した。
だが剣圧は俺の身体も吹き飛ばした。
右の手の指が自由自在に動かせないので完全に力を受け流せなかった。
「両足をもっと踏ん張った方が良いんじゃあないか」
「余計な気遣いだ」
打ち込まれるたびに流したが、身体はふらふらと飛ばされた。
足元が移動するたびに、何かに足を取られそうになる。
それが戦いの決定打にならないように祈りながら守勢に回った。
一度左手を地面につけて受身を取り、起死回生の瞬間を待った。
「憐れだな。強者が死ぬ瞬間というのは」
「お前のことか?」
「いつまで虚勢を張れるかな」
「虚勢かどうかはやってみれば分かるさ」
無銘刀を右手で緩く垂らして、相手の懐に入る隙を待った。
巨大化した身体では、懐に大きな隙がある――そのはずだ。
刀先を相手の鳩尾あたりに狙いをつけた。
両足を踏ん張り、突撃した。
「懐に入る気か、温いぞ!」
大上段から切り下げてきた。
渦巻くような音がして、激しい剣圧が押しつぶしてきた。
凶悪なデュランダルの斬撃――無銘刀の剣先で突いた。
デュランダルは剣の横を滑り込み、俺の右手まで迫ってきた。
俺は手を離した。
最大の武器である剣を手放すとは思わなかったのだろう。
シャラシャンカは驚愕の表情を浮かべていた。
勢いのまま右腕をまげて、鳩尾目掛けて肘鉄を叩き込んだ。
鋼のような腹筋を通して、横隔膜の動きが一瞬止まり、呼吸困難の前兆が発生した。
シャラシャンカの両腕が俺に向かって襲ってきた。
左腕は右肘を叩き上げて弾いた。
右腕が襲ってきた。
俺は左手を広げて、掌を握った。
俺の掌の中に納まっていた種が開放されて猛威を振るった。シャラシャンカが生命を与えた植物が俺の左手から血を吸い上げて一気に成長した。俺の左手を突き破り、シャラシャンカの右腕にも絡んだ。吸血植物と化した新生物は、生命を与えた存在に猛反撃をくわえていた。
「なにぃ!」
シャラシャンカは右腕に絡みつく植物を引き離そうとしたが、俺の血を吸って成長した吸血植物は怒張して引っ張り返した。
「驚かされたが、自ら逃げ場を無くすとは愚かだ」
お互いに相手の片腕を封じていた。
「力比べでは負けん」
「愚かはお前だ。俺が最も脅威にしていたのは力ではなく、速度だ」
たしかに力は脅威だった。
だが、速度を封じただけで上出来だった。
シャラシャンカの左手が俺の背中に向けて振り下ろしてきた。
俺は瞬時に息を吸い、息を吐き、肋へ向けて殴りつけた。
最初の感覚は金属のようだった。
だが俺の拳の勢いは落ちなかった。
肋骨を折って、内臓に突き刺した。
内臓に刺さった骨を推し進めるように、さらに内臓深くまで拳がめり込んだ。
「がっはっ」
シャラシャンカの口から声にならない呻きが聞こえた。
効いている。
完全に効いている。
さらに三発殴り、肋に損傷を与えた。
シャラシャンカは逃げようとしたが、俺が左腕に力をこめて引っ張り返した。
俺達二人は腕をつながれたままでその場で回転した。
遠心力でも植物は切れずに、お互いに攻撃の態勢が取れなかった。
シャラシャンカが力任せで引っ張るのをやめれば、止まった瞬間に急所目掛けて殴り続けるまでだった。
「諦めな」
「舐めるな、吸血鬼!」
シャラシャンカの左手が地面に突き刺さっていたデュランダルを掴んだ。
引っ張り力が無くなった――後方に転がった勢いで受身を取って立ち上がると、シャラシャンカは自らの右腕を切り飛ばしていた。
好機だ。
俺は無銘刀を探して、拾い上げた。
すでにシャラシャンカは逃げ出しており、俺は後を追いかけた。
シャラシャンカの大量に流れ出る血があたりに散らばり、カンブリア大爆発のように不気味な生命があふれ出た。
「俺は、俺は」
「待て」
足元がふらついた。
だが好機だ。
今なら殺せる。
「俺は覇王だ! 血反吐を啜ろうと負けるわけにはいかんのだ!」
「良いから待て」俺は笑っていただろう。「俺がお前を殺すのだ」




