第18話 血涙
山椒の木が生えていたので根と葉を採取した。日本や中国などで香辛料などの食用として使われていた。だが、今回は用途が違う。俺は日本の猟師を真似て、毒の撒き餌を作ることにした。旅の道すがらに、胡桃の樹と蓬を見つけて、材料が揃ったのでさっそく作ることにした。
鉢とすり粉木が無いので、代用として大きな石と木の棒を見つけた。山椒の根と葉、胡桃の実と蓬の葉を石の上に置いて、棒を使って砕きながら混ぜた。汁がつなぎとなり、何個か団子ができたので葉っぱで包んで、鞄の中に入れた。
山の沢を探して実験をすることにした。俺は石の上に飛び乗り、団子を指で崩しながら撒いた。初めて作ったので成果に期待しながら待っていると、沢の水面に魚が浮き上がってきた。
「大成功」
「すごーい」
「もっと褒めて」
「カッコイー」
……さあ、悪ふざけは止めて魚を獲ろうか。
これで子どもでも手掴みができる。俺は靴を脱いで、ズボンも脱ごうとしていると、先を越された。レッドは浮いた魚をとるために、すでに服を全部脱いでいて、沢に飛び込んだ。波紋が広がる度に、手の中に魚が吸込まれていくようだった。
レッドは上がってくると、眉をしかめていた。
「蛭が……」
「あーあ」
魚は取れたけど、蛭に吸われまくっている。不用意に取ろうとしたので、手首を掴んで止めた。宿から盗んだ塩と水を混ぜて、蛭にかけると柔肌を吸うのを止めた。蛭は塩水に弱い。俺は蛭を掴んだ。
握り潰したくなった。
その腹の中に処女の血があると考えると、下等生物に羨望すら抱いた。俺は食欲が納まるのを待って、沢へ向けて捨てた。吸血鬼と蛭のご対面は短い間で終わった。
俺の様子を見てレッドが聞いた。
「美味しそうだった?」
「ああ……」俺はレッドを見た。「本当に食べてやりたいよ」
「いいよー」
レッドが俺に首筋を見せてきた。
本当に脅かしかいが無い……俺を信用しきっているんだな。
だが、それは間違っているかも知れない。
俺は吸血鬼の衝動を抑えつけられているのは、奇跡だと思っている。
楽しそうにレッドは笑っていた。
「お前な、人前で真っ裸になるなよ」
「一人しかいないじゃん」
「それでもだ。女たるもの気軽に真っ裸になるものじゃないよ」
「そーなの?」
「そうだよ」
俺は魚の内臓を捨てて枝にさして、焼き魚にした。他の獲れた魚は開いて、一夜干しにした。それを持って、村の人と物々交換をして、大量のチーズと久し振りの人間の母乳を手に入れた。母乳をゴクゴク飲んでいると力がわいてきたが、レッドの視線が気になった。
「……美味しいの?」
「あっ」
レッドは水筒に口をつけて飲んで、両目をつぶった。
「なんだ、こりゃ」
「美味しくは無いぞ。ただ必要なだけで」
「まじー」
「赤ん坊の頃にお前も飲んだだろーに」
俺は水筒の飲み口を服で拭いた。レッドは抗議して、口をつけようとしたので一気に飲んで終わりにした。
「……よしっ! 大人になったら私がプーちゃんにお乳あげるから」
「やめてくれ。死ぬほど恥ずかしいから」
あと、プーちゃんは止めろ。
仕事していない人みたいだろ……その通りだった。
「だって、飲まないと死ぬんでしょ」
「死なないよ」
またまた語弊があるけど、死はある。死んでも転生するから不死と呼んでいるだけだ。だが吸血鬼には他の不死者には無い恐ろしい死がある。それが餓死だ。
吸血鬼の餓死は正確に言うと死とは言えない。エネルギーに無くなったまま、朽ちていき、粒子になっても意識がある状態になってしまう。吸血鬼が血の霧に変化できるが、それが逆にアダになってしまう。粒子の状態が宇宙の終わりまで続く、だから俺たちは血を吸っていた。血を吸わなければ、星の数ほどに分裂して、偏在して存在してしまう。それは吸血鬼になってしまったものが恐れる最大のものだった。だが暴力で殺されるのも嫌だ。呪われたまま生まれ直すからだ。それは俺が証明した。なら、俺たちに救いはあるのか? それは誰にも分かっていない、救いのある死は生きている者たちに伝わらないからだ。天国の証明ができないように、俺たちの救いも証明できる者はいなかった。
「死なないから」
「えー、だったら乳製品ばっかり食べていればいいのに」
「でも必要なの」
「わかんないよー」
今は分からなくていいです。
俺たちはほとんど問題なく歩いていたが、ある障害が目の前に立ちはだかった。それは俺が克服したと思っていた、吸血鬼の特性だった。目の前には大河が広がっている。
俺は安易に翼を生やして、飛び越えようとしてしまった。
「よし、いくぞー」
「おー」
だが、大河を渡ろうとした瞬間に、全身が焼け付くような痛みが襲った。
マジで死ぬかと思った。
空中でとっさにレッドを抱きかかえて、何とか滑空して、川原に転がった。腕の力を弱めると、レッドは無傷で何かを喋っていた。
完全なる俺の判断間違いだった。
吸血鬼の特徴は色々とあり、特に十字架に弱いとされているが、その弱点は吸血鬼になる前の信仰などによるとされている。そして流水などの川に弱いとされる理由は、罪を洗い流すから――などと言われている。他の吸血鬼はどうか分からないが、俺の場合は違う。大河は人類の文明を築いた礎だ。肥沃な土地を生み、植物と動物を増やした偉大なる自然だ。俺には生物の源でもある大河に対する畏怖があった。生物を超越してしまった吸血鬼は、大河にとっては最大の敵である。
俺の身体は燃えるようで、口から涎が垂れてしまった。せっかく、溜めていった力が抜けていくようで、俺の体は血液を欲していた。鼻に届く処女の匂いは、俺の喉と心臓を高鳴らせる。目の前にいる少女は、燃えるような髪をしているが、ゆくゆくは美しくなる原石だった。
「血を……」
「あっ……」
俺は少女の肩を掴んで押し倒して、首の匂いを嗅いだ。今すぐに首筋に牙をたてることができる。そうすれば俺の力は回復するだろう。だが、少女から恐怖の匂いは発せられていなかった。俺は首を舐めて鼓動を確かめてから、顎、耳まで舐め上げて、髪を掴んで少女の眼を見た。
何の恐怖も浮かんでいなかった。
無垢の両目が、俺の食欲を殺いだ。
「大丈夫だよ……私は食われても、恨まないから」
それどころか抱きしめられてしまった。
「助けてくれてありがとう」
俺は仰向けに倒れた。
「……もう大丈夫だ」
だが、少しも動けなかった。レッドは鞄からチーズを探し出して、俺の唇に押し付けたが、動かなかった。
死ぬ……そして、またどこかで生まれなおす。
嫌だ……それだけは嫌だ。
永劫回帰の無間地獄だけは、嫌だ。
レッドはチーズを自分の口に入れて噛み砕いて、俺の唇にキスしてきた。唇の間から、ナッツの風味が侵入してきて、口の中でジワッと広がった。その後も、牛乳を口で含んで、口移しをしてくれた。しばらくすると、俺の死は遠ざかって行った。
「助かった……」
「感謝してよね」
レッドは両目を赤くしていて、涙が俺の口へと消えた。
それは悲しみの味だった。
涙も血が由来だと聞く、だから感情が伝わったのかも知れなかった。
「悪かった」
「へーきだよ」
俺たちは満天を眺めながら野宿をして、体力が回復するのを待った。だが、朝を迎えても、俺の力は完全に復活しなかった。それは、数日経っても回復しなかった。




