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第122話 魔女の頚木

魔女の過去話は『令嬢の旦那様は魔王だった』というので書いてました。短くするつもりが思ったより長くなったのと、別に本編とは関係ないので外伝と言うことで……。上記の物語はシリーズに入れていますが、読まなくても本編にほとんど影響はありません。

 聖書を片手に森を彷徨った。略奪された村から火事場泥棒をして飢えをしのぎ、食べられそうな実を食べて嘔吐した。内臓が痙攣して、前からも後ろからも体液が漏れた。指先に輝く光を駆使して、獣たちは蹴散らしたけど、子供に生きる術は無かった。

 気づいた時には、皮と骨ばかりになり、生きているのか死んでいるのか分からなくなった。魂があるとしたら、どうやって死んでいるか生きているか判別するのだろう。鏡だろうか。鏡に魂は映るだろうか。分からない。死んだことが無いから分からなかった。

 水の匂いがする。

 這った。

 道路のわだちに溜まる泥水に喉が鳴った。

 生唾すら出てこない、飲めば死に近づくと思っても飲みたかった。

 這い、膝を汚し、赤い唇を近づけようとした。

 空が青かった。気付いたら、仰向けにされていて、唇に湿った感触があった。

「ゆっくりとね。リタ……」

 落ち着いた大人の女性の声だった。

「うん」

 竹の水筒から水が落ちて、口に染み込み、爽快感が全身を巡った。視界が徐々に回復して、大人の女性が眼に飛び込んできた。ツギハギの服のような皮膚だった。顔の皮膚は若々しいけど、右の手が皺だらけで、両目の色は青で、髪の毛は金色、左手の産毛は黒だった。一瞬で飛び込んできた情報は思考を混乱させた。

「運が良かったわね。運が無いと、人生は落とし穴だらけだから」

「ありがとうございます」――掠れて音にならなかった。

「駄目。喋っちゃ」

 リタと呼ばれた少女は、私より少しだけ年上な気がした。髪の毛が光線を通しているから黄金のように輝いている。視力が戻るにつれて、その色は黒髪だと分かった。美しい少女だった。子供ながらに高貴な雰囲気で全身に纏っていた。

 リタは私を救ってくれた命の恩人だった。



 私が運ばれたのは、丘の上の孤児院だった。地方の豪商が建てた館のようで大きく、広くて、あまった部屋が幾つもあった。孤児院を経営しているのは、ツギハギだらけの女性――名前は教えてくれなかった。

「名前に意味は無いわね。好きなように言って」

 別々の肉体が融合したように縫合跡も無く、光りの反射具合では大きな傷を何度も負ったことがあるのが分かった。時々花を眺めて、萎れかけた花に力を注ぎこんでいた。その花は水も太陽も必要なく、花瓶の中で永久を保っていた。

 先に孤児院に入っていた子供たちは彼女のことを『魔女』と呼んでいた。

合成獣キメイラかもね」

 子供たちの中には物知りの子が多かった。どこかで勉強をして来たのだろうか、私とは違って頭の良い子ばかりだった。この孤児院にいるのは、私が捕まってきた所から開放されてきた子供たちばかりだった。私は近くの村の孤児と言うことにしていたので、子どもたちの輪の中に入れないでいた。それで良かった。子供たちは小さい力を伸ばそうと遊んでいた。火、水、風、土……それを僅かに動かすような非力な子供たちだった。私は木陰で聖書を読み耽り、学校で学ぶような勉強を僅かにした。

「何故、聖書を読んでいるの?」

 魔女が話しかけてきた。木陰で孤独に聖書を読んでいた時だった。

「多くの人が信じているから、理由を知りたくて」

「何か分かった?」

「一部分だけ真実が含まれているかも……」

「そうなの?」

「あくまでも一部分だけど、これを信じれば真実の一部に辿り着くなら悪くないかな……」

「なるほどね。そういう考えなんだ」

 魔女は笑っていた。もしかしたら私の考えは間違っているのかも知れなかった。



 私は他人を信用することが怖くなっていた。唯一の救いはリタがいたことだ。人間の高貴さとは年齢に関係なく、相対的に宿るものなのだろう。リタは私にとって闇の中の灯と同じで、怪しげな孤児院での闇を照らしてくれた。

「綺麗な赤髪ね」

 黒髪を指で弄びながら、唇を尖らせながら言った。

「そんなこと言ってくれる人はリタだけだよ」

「そうなの?」

 裏が無い言い方で、透き通るような人格だった。誰もが成りたいと思って成れない、他人に依存され尽くす損な性格だった。きっと私も依存尽くしただろう。それに対する報いは何もできなかった。


 魔女は発狂していた。

 彼女は彼女のためだけに生きている。縫合跡の無い融合は、色んな人体を犠牲にしており、それは内臓……心臓や脳にまで及んだのだろう。なんで分かるかと言うと、それを見たからだ。魔女は若い身体を掻き集めて、良い所を融合させて新しい人間を作り出した。彼女の彼女たる由来は何処にあるのだろうか。心臓は無い、脳も無い、そこに宿るのは魂だろうか、それとも怨念だったのだろうか。

 私が助かったのは、力が無いと思われていたからだ。朝起きたら、布団の中に死体が溢れていた。両手が血と臓腑で濡れている。そうだ。私は周りの子供たちが騒いでいたので起きて、壁が弾け飛んだのにあたり気絶した。凄惨な雰囲気に気を失った訳では無い、私は私の心を凍りつかせるすべが既に身についていた。

 歩け……。

 音を立てずに……。

 死体を確認しながら、耳を澄ませながら、私は逃げ道を探した。むせるような血の匂いが充満して、排泄物の漂う香りも鼻についた。嘔吐感は無かった。拾われた時より元気になった身体は自由に動いてくれた。這うように動いて、窓から見られないように、廊下の奥から気付かれないように慎重に動いた。死体を何度も確認して探したのはリタだった。申し訳ないが、リタ以外の子は良く知らなかった。顔を確認するたびに、天国に行けることを祈ってあげた。本当に天国があれば良いのだろうけど……。

 足音が聞こえてきた。

 私は咄嗟に両手についた血を身体中に塗った。逃げる時間は無かった。私は音を立てずに寝て、足音が過ぎるのを待った。足が死体を踏みつける音がする。生きているかどうか確かめているのだろう。肉が潰れる音がして、骨が木が折れるような音をたてた。

「はははっ……」

 笑っている。何が楽しいか分からなかった。

 足音が通り過ぎて行った。

「ここか」

 誰かの声がした後に、子供たちの悲鳴が轟いた。隣の部屋が爆発するような音を建てて、音が洪水のように溢れ出た。壁を骨が穿ち、私の体の回りで散じた。

「みぃつけぇた」

 水が飛び散る音だった。

 私は両目を閉じて祈り、玄関へ向けて歩いた。音をたてたら終わりだ。焦ろうとする肉体を心で抑えつけて、ひたすら逃げ道を探した。

 暫く歩いていると、足音が近づいてきた。

 駄目だ……そう思ったとき、バラバラ死体の塊があった。心を凍りつかせて、死体の山に入って隠れた。そして私は心が乱れた。そこに居たのは、リタの右腕だった。そんな……あんなに優しかったのに死んでしまうなんて……。久し振りに心が乱れた。人間は大事な人ができると強くなるけど、同時に弱くなるようだ。落ち着け、落ち着けと思う度に、足音が近づいてきた。

 足音が死体の山の前で止まった。何かの気配に誘われてきたのだろう。

 魔女……のはずだった。だけど身体は小さくなり、声も容姿も一変していた。

「どこにいるの?」

 その声はリタのものだった。

 そして、その頭部もリタのものだった。

「誰も居ないの?」

 血塗られた髪が輝いていた。リタは髪の毛の色を自由に変えることができた。それは光りの能力に繋がる物かと思われていたけど、隠していた私の力に比べたら微々たる物だった。

「私よ。リタだよ」

 足音は去り、魔女は居なくなった。

 それから私は死体の体温が冷めるまで時を待った。

 動けなかったと言っても良いだろう。それから魔女が館に居ないのを確認して、全員の死体を埋葬してあげた。時間はかかったけど、そうするしか報いることができないと思ったからだ。



 その後、再び放浪した。放浪して、アイビーを使いながら泥棒をして、ふとしたことから捕まった。捕まって、磔にされて死ぬところだった。それでも良いと思ったけど、私は詩を呟いていた。死に様だけは美しくあろうと思ったからだ。

 それを聴いていた吸血鬼に助けられた。

 なぜ、ついて行こうと思ったのか……。

 それは一目惚れというしかないのだけど……。

 彼に必要とされている気がしたから……、と言うのも真実だった。そして、私が彼を必要としていた。なんとなく強い繋がりを感じた。そして、此処まで来た。

 ……安らげる場所が此処にあるのだろうか。

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