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第119話 時計

 風に潮が混じり、粘着質の香気を漂わせている。殺意に色があったら、大気は極彩色で一寸先も見えなかっただろう。殺意の圧が彼我の肉体を弾こうとしていた。ダルシャンの輿の担ぎ手たちは後退り、呼吸が乱れて汗が滝のように流れた。ぽつぽつと浜辺に落ち、無言の殺意の殴り合いに華を添えていた。ビィも口をぱくぱくと開け、心臓を落ち着けようと胸に手をあてていた。平然としているのはダルシャンとレッドだけだった。

 俺と魔王は殺意を飛ばし合っていた。密度の高い殺意の圧に常人なら思わず手を出してしまっていただろう。お互いにそれが狙いでもある。

「何故、貴様の承諾を得なければならない?」

「問うか」

 巨人よりも小さいが、俺よりも大きかった。圧力は肉体から出ているわけではなく、肉体だけを見るものには身長の高い肥満体は滑稽に見えるだろう。

「貴様の指図は受けん」

 鼻で笑われた。

「まあ、それも良いだろう」お互いに腕を後ろに回して睨み合う。「全てを一から作るのだろうな。それはとても愉快なことだ。最高に楽しいだろう。富も、物資も、食料も、娯楽も何も無いところから立つのは面白いだろうな」

「志はある」

 樹が折れるような音がした。

「志だと……?」

 それは骨と筋肉が軋む音だった。

「何の為に国盗りをしたのだ?」

「安住の地を作るためだ。お前らが成し遂げなかった世界を作る……」

「それは誰の為にだ」

「それは」俺は己のためにと言う言葉を飲み込んだ。「皆の」

「愚か者がっ!」

 思わず後退りしてしまうほどの圧力だった。

 醜く太った男は猛獣に変化したように荘厳な雰囲気を纏った。

「自らの欲を他人の為と抜かすとは……。何故俺は国の第一人者になったか教えてやろう。俺は俺の欲を満たすために魔王となった。勇者を屈服させて、恥辱を味わわせたい。賢者を侮辱して、脳を抉りたい。富豪にどん底を味わわせて、強奪し尽くしたい。平民に地獄を教え、絞りつくしたい。貧者に現実を教えて、すり潰してやりたい」

 魔王は高揚して、言葉の快楽に酔っていた。

「自分が誰にも負けないと認めてもらいたい。誰もが俺に敵わないと思わせたい。俺が最強で、俺と肩を並べる者は居て欲しくない。誰もが俺を畏怖して、心服して、誰もが俺に恐怖すれば良い。そしてその恐怖の痕跡が、俺が死んだ後も続けば良い……俺の生命が歴史に刻み込まれて、俺は永久不滅の恐怖となるのだ。どうだ? それは気持ちの良いことではないか?」

 魔王はレッドを睨みつけた。

「あの女はお前の女か?」

「ああ」

「俺が貰い受けよう」

 骨が鳴った。

 思わず手に力がこもっていた。

「俺は今まで抵抗して来た部族は蹂躙した。部族長の妻も母も娘も全て犯した。俺は欲のままに女を抱き……犯し、はめて、なぶり、咥え、しゃぶり、食らい、咽び、泣かし、叫び、孕ませ、殺した。それで俺の子種が宿れば、俺の残滓が世界に放たれることになる。俺は世界に俺を刻むことができるのだ。お前の女も俺が食らってやろうか」

 思わず殺すところだった。

 俺は歯を剥きだしにして、吸血鬼の牙を露出させた。

「それがお前の正体か? やはり吸血鬼なのだな」

「お前は死にたいようだな。」

 流石にダルシャンも身構えた。

「お前に俺が殺せるのか」

「出来ないとでも?」

「一対一なら可能だろうな。だが、俺には馬鹿息子が一人いる」

 ダルシャンが「俺だ」――と言った。

「なら、しようか」

 魔王が満面の笑みを浮かべた。

「お前はやはり王ではないな……所詮鬼……殺人生物だ」

「はいっ!」

 レッドが手をパチンと叩いた。

「止めっ!」

「親父殿もその辺にしてくれんか」

 二人が呆れていた。


 魔王こと親父殿は船に戻って行った。

 怒り心頭の俺は浜辺に蹴りを入れて、海に砂礫を撒き散らした。

「ああっ! 腹立つ」

「すまんねー。親父殿が」

「ああ、死んどけって言っとけ」

「しかしなぁ。年長者のお前に言うことじゃあないが。あんな挑発に怒っているようじゃあ駄目だぜ」

 分かっとるわっ!

「まあ、話がずれたが、俺たちは帝国を攻めるから静観してくれ」

「やーだよ。そんな先のことまで決められません」

「見返りとしては国として承認するのと、貿易を開始することだな」

「ふーん」

 どうすっかなー。

 承認してやるってのが子分みたいで嫌なんだよなー。

「まあ、話だけは聞いておくよ」

「実際の話、俺と親父殿はお前が敵に回って欲しいんだよ」

「それは光栄だな」

 俺と殺し合いたいのか。

 武人の誉れだ。

「だから静観しないでも、戦いに遅れんなよ」

 ダルシャンは話を終えると、ビィをチラリと見た。

「で、だ。お前らに贈り物」

 ビィが小さな箱を持ってレッドに渡した。

「何これ?」

「結婚祝い」

「中身は?」

 レッドが箱を開けてみた。

「懐中時計……」

 金鎖に繋がれた懐中時計が二つ入っていた。

「うわー。私の中でダルシャンの好感度が微増」

「そいつは良かった」

 多分、マイナスのままだけどな。

「何か罠があるかもしれないからつけるなよ」

「それはない」

 ダルシャンの返事に俺は首を振った。

「大丈夫ですよ」

 ビィが言った。

「良いぞ。つけて」

「信用ねぇなぁ」

 ダルシャンがカラカラと笑った。

 レッドが嬉しそうにつけて、俺にもかけてくれた。

 その後、雑談を重ねた。ベルゼブルの話になり、ダルシャンが口を濁したが、そこから別の話になった。

「そういえば、魔女はどうした?」

「ああ、あいつのことを知っているのか」

「いいや、ベルゼブルが死んだのを確認するために調べていたから、お前たちより知っていることは殆ど無い。ただ……」

 ダルシャンは迷ったようだが、口にした。

「吸血鬼が魔女を狙っていると聞いたぞ」

「吸血鬼……」

 祖……アイシャか?

「気をつけることだな。関係ない争いに巻き込まれるかもしれないぞ」

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