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第117話 脂肪

 良質で頑丈な鉄で補強された船が波に遊ばれている。船には五十名ほどしかいないが、バルティカ王国にとっては重過ぎる命が乗っていた。

 親父殿こと――魔王が乗船していた。

 若き頃に勇名を馳せた勇猛さは無くなり、怠惰を貪り脂肪を蓄えていた。婚約者だったシルヴィアが魔王の暗殺を狙った時は、若い頃の精悍な身体を保っていたが、ここ数年で風船のように膨らんでしまった。日常が空気のように体の中に入り、空虚な中身を有した肥満体と化してしまった。

 脂肪が眼を細くさせて視界を悪くさせたが、その眼は半島と戦いを見つめ続けていた。

 どうやら興味を示したようだ。

 ここ数年は帝国に対してだけ興味を示していたが飽きが来ていた。

 それは宮殿の中に一緒にいても伝わる物があった。

 王の気分と言うのは伝染するものなのだろう。

 だが半島の戦争がそれを一変させた。

 俺がプレスターと話しに行こうとすると、

「俺も行こう」と親父殿が言った。

 そうして――巨体を揺らしながら俺の横で海釣りを楽しんでいる。

 遊び好きなのは親父殿の良い所だった。

「親父殿は何をする気で?」

「ダルシャンは女に生きたが――分かるか?」

「何が言いたいか分かりませんが」

「生きがいと言う物だ。俺は魔王と呼ばれてから生きがいを失っていた。だが、あの吸血鬼は俺を熱くさせるものがある。期待が本物か確かめに来たのだ」

 親父殿は何でもできる。戦闘も政治も難なくこなした。一時期女遊びが激しかったこともあるが、親父殿を慰めることのできる女は存在しなかった。魔王の子供たち――俺の兄弟たちの母が異なるのは、親父殿が愛する女に唯一の安らぎを見つけるためで、何十人もの女を試してみたからだ。

 結論――唯一の安らぎとは愛では無かったようだ。

 生物にとって本当に必要なのは魂を熱くさせる者だ。

 親父殿の魂には愛情も恋情も友情も――熱を与えてくれなかった。

「生物が生きるためには熱が必要だ」

「食事の後は熱くなりますが」

「それと同じだ。生物は精神的な熱量も必要としているのだ」

「……熱量」

「熱が無く俺はつまらなかった。死にたくもなった。俺は死ぬのは怖くないが、死ぬのは面倒だった。国があるから死ぬわけにはいかないのもあるが……。だが久し振りに熱源が見つかった」

 それがプレスター・ジョン――東方王という事だろう。

 親父殿の釣竿がしなった。瞬時に引き上げると、足元に大魚が転がった。肥満体だが恐ろしいほど素早かった。魚の口から針を外そうとする動作は遅いが、いざとなると俺と徒手空拳で闘っても負けはしないだろう。王の座についているため武勇を誇ることは無いが、子供の頃に見た武術の訓練は思い出しても鳥肌が立つ物があった。格闘、剣術、槍術、棒術、弓術、馬術――全てをとっても誰にも負けはしなかった。そして、類まれな頭脳の冴えがある。俺たち子供たちは親父の良いところを分割して複製したようなものだった。

 それが誇りでもあり、憤りでもあった。

 屈折した思いが俺の武芸を光らせたのだろう。

 俺が瀕死の重傷を負い、甲冑の力によって復活した後、親父殿に言われた。

「親孝行をしたのはお前だけだ」

「俺は何も」

「甲冑の力を俺以上に発揮している。俺を僅かでも超えたのはお前だけだ」

 甲冑の力を発揮した――武力で親父殿と相対したことが無いが、俺はまだまだ勝てないそうだ。それは仕方が無い。おそらく試す機会も無いだろう。

 親父殿は魚の首をへし折りながら、厨房へと向った。

 調理でもするのだろう。

「おい、魚人。いるんだろう」

「はい?」――傍らにいるビィが返事をした。

「海だ」

 船の周りには偵察に来た魚人たちの影があった。

 だが返事は無かった。

 水蛇と人魚たちのせいで制海権を握られてしまったが、半島での戦争が終わると海辺の運送業を重視しているようだ。魚人たちは実力行使をしてこなかった。

「さすが、甲冑鬼だ」

「甲冑鬼だと」

 水飛沫と共に、俺の前に六臂ろっぴの男が降り立った。両足も会わせれば八本足と言うことだ――蛸の魚人。手には短刀が握られているが、俺の身体に届く前に俺の殺意に射抜かれるだろう。

「お前はプレスターの仲間では無いのか?」

「魚人族は一枚岩ではありません」

 魚人族は女のほうに権力が偏っている。魚人族の頭であるミグルという女、それに女たちが自らを鍛え上げて権力を握っているので、男の蛸魚人は虐げられているという形だろうか。

「何が望みだ」

「バルティカ王国の制海権の維持に一役買えるかと」

「ほう……」

 制海権の維持が急務なのは極秘事項だった。

 魚人のわりに耳の早い男だ。

「何が望みだ?」

「ミグルを生きたまま欲しいのです」

 一人の女のために全体を危険に曝すのか?

 俺と似たところのある男だった。

「あの女が欲しいのか?」

「はい。あの女だけは許せない、だが世界で一番美しい女だと思っています。そう思ってしまう俺自身も許せん。だから――陵辱の限りを尽くして、尊厳も美貌も蹂躙するのが望みです。そうすれば俺は救われるでしょう」

「面白い。考慮はするが、その前に実力を見せて貰わないとな」

「これを」

 蛸魚人が持っていたのは瓶だった。

「船を爆破しようとした魚人を殺しました」

「それでは足りん。だが感謝しよう」

 爆破されたらされたで構わなかった。

 戦争のきっかけは多くあっても困らない。ただ、これはプレスターの考えたことでは無いだろう。おそらく誰かの独断専行。となると、ミグルという女の仕業かもしれなかった。

「置いていただけるので」

「ああ、試しに使ってやる」

「ミゲルと申します」

 ミゲル――ミグルとは血縁で繋がっているのかも知れなかった。

「ダルシャンだ」

 その時、浜辺に旗を掲げた男が現れた。


 小船を出して、俺とビィと輿を担ぐ男たち、そして魔王が浜辺に行った。

 旗を持った男はプレスターだ。

 片手には大きな樽のような物を担いでおり、隣には赤髪の女がいた。

 俺の輿担ぎが小さな棺を担いできた。

 死んでから純潔王と呼ばれているフィオナと言う少女の遺体だった。

「やあ」

「やあ」

 プレスターは樽を置いた。

「兄の遺体は?」

「樽の中だ。塩漬けにしている」

 魔王第二子の遺体を、少女の遺体と交換だった。

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