第114話 隻腕
「殺す」
失語症から回復した男の子が最初に発した言葉だった。
愛し育ててくれた魔女に、増悪の極地である殺意をぶつけようとしていた。
俺はそれを可哀想だと思った。
俺は年上の女に一人前の男に育てられた。
祖――それがアイシャだ。
少年は途中で捨てられ、強すぎた愛を憎しみへと変えた。
少年にとって魔女は運命の女性だっただろう。
それはこれから死ぬまで変わらないことだ。
それが殺すべき相手であっても、運命であることに代わりは無かった。
俺は殺意を行使する手段を少年に教えていた。
数日ごとに剣の稽古をつけて、徐々に成長するのを楽しみにしていた。
殺意が殺意を呼ぶのだろうか、一人の暗殺者が少年と二人っきりで居る時にやってきた。
暗殺者は人間で、生業も暗殺業だった。
何故、暗殺を生業にしたかと言うと、それは暗殺者の愛した女のせいだった。
金のかかる女だった。
だが世間の噂に上るほどの美しさで、誰もが自分の物にしようとしていた。
自分の美しさを高めるために周囲の高級なもので固めて、お膳立てされたように美しさを際立たせていた。女の生家は貧乏だったそうだが、子を産める年齢になると贈り物で家は埋め尽くされて、幼少期の貧困は遠ざかってしまった。
暗殺者と女は幼馴染であり、年を重ねるごとに遠ざかる幼馴染に岡惚れしていた。
豊潤な水脈のように溢れる思慕は全身を犯して、何をしても脳内で女のことを想っていた。気持ちを打ち消そうと何人かの女を抱いてみて、顔は違うが身体に大差が無いことを知った。
それを知っても打ち消せなかった。
自分が恋焦がれるものは特別なものだと知っていたからだ。
脳を支配する感情を打ち消すのに、激しい運動がうってつけだった。
それが剣技。
農民だったが、剣は冴えに冴えた。
鍬を剣に変え、素振りをする度に煩悩を断ち切った。
それでも煩悩は再生し続けた。
不老不死の化物のように起き上がり続けた。
女の家は日に日に裕福になった。
暗殺者の眼に止まったのは、求婚者の中に有名な剣豪がいたことだ。
アレと俺に何の区別があるのだろうか。
剣の腕なら自信がある。
有名な剣豪は剣を使って、多くの仕事をこなして金を稼いでいた。
だから贈り物が出来る。
だから気を引くことが出来る。
だが、俺には両親がいて、将来農家を継がなければならなかった。
鬱屈した思いが俺を支配して、悲劇を招き寄せる形になった。
その剣豪が腕試しに、俺の通っている剣術道場へと来たのだ。
次々に打ち倒され、道場主も負けてしまった。
このまま帰す訳にはいかなかった。
俺が真剣を持ち、お互いに構えたまま牽制しあった。
先に動いた方が負けると思った。
だが、決着は先に動いた方が勝ちとなった。
頭蓋を切断、脳が崩れ落ちた。
俺は人殺しとなった。
家には戻らなかったが、唯一心残りだったのは幼馴染の女だ。
会いに行き、昔のように小声で家の外から呼んだ。
彼女は話を聞いていたのだろう。
鞄に荷物を詰め込み、旅装で窓から外へ出てきた。
足を踏み外し、俺が受け止めなければ死んでいただろう。
「お願い。私も連れて行って」
それを言われた時、暗殺者の自主性は死んだ。
女は両親が楽して金儲けをするために、自分の意思ではなく求婚者たちから贈り物を貰い続けたそうだ。
本当は両想いだった二人は逃亡した。
旅は長かった。
転々と旅をして、冒険者ギルドから仕事を貰い、何とか糊口を凌いでいた。
辛かったのは、女の魅力が減少していくことだった。
財産を使って着飾った女は異常なまで美しくなっていたが、貧しい旅を続けていて徐々に魅力を減じさせていた。
それでも十分だったが、人間は一度得たものを失うのは嫌なのだ。
女自身に罪は無かった。
彼女は彼が欲しかった。
それを得た。
暗殺者も女が欲しかった。
だが、女はさらに美しくなる余地を残しているのを知ってしまった。
彼が高額な報酬を求めて、暗殺者の道を選んだ。
善人、悪人関係なく、殺意を持つ者の代弁をした。
愛する女は新しい仕事を知らずに、徐々に裕福になる生活を喜んだ。
数年後には役人を買収して罪を消してもらい、新天地で定住をすることになった。
随分と幸せだった。
それは永劫に続くかと思えたが、物事は全て終わるものだ。
とある組織から暗殺を頼まれた。
標的はプレスター・ジョンという吸血鬼だった。
つまり、俺。
調べれば調べるほどに、殺すのは不可能な相手だと確信したそうだ。
何年か前に吸血鬼狩りの玄人たちが向っても簡単に跳ね除けた吸血鬼。
暗殺者は殺しに特化していた故に、殺すのは不可能と確信したそうだ。
だから断った。
だが依頼者は諦めなかった。
ちょっとした脅しのつもりだったのだろう。
暗殺者の妻を捕まえて人質にしたのだ。
それは駄目だった。
それだけは、してはいけなかった。
依頼に従う選択肢はなく、愛する女を助けに行く考えしかなかった。
命よりも大切な女を浚われたのだ。
許せるわけがなかった。
暗殺者は依頼者を殺しに行った。
暗殺剣は冴え、何十人も殺傷した。
愛する女は自害していた。
身体には犯された跡があり、目元には涙の跡があった。
その場に居たものは完全に殺害した。
正気に戻ったのは女を綺麗にして埋葬してからだ。
その時、失われた自主性も蘇った。
死ぬしかない。
だが、死ぬに死ねなかった。
どうしても自害する勇気がなかった。
だから来た。
覚えている名前で、自分を確実に殺してくれる男の名を。
俺は稽古用の剣を持ち正眼に構えた。
暗殺者は自分の身体で剣を隠して、ゆったりとした構えをした。
「眼を見開け。これが殺し合いだ」
俺は地獄の蓋を開くように、殺意を露にした。
暗殺者の顔が驚愕で歪んだ。
汗が流れて、雨のように落ちる。
少年は腰砕けになり、ぺたんと座った。
剣先から殺意を垂れ流し、殺意が蛇のように暗殺者に食らいついた。
俺に対峙できるだけで十分だ。
暗殺者が先に動いた。
無から有になり、剣を振り上げながら斬りつけてきた。
遅い……それでは俺の心の臓に死は到達しない。
俺は稽古用の剣で右肩へ打ち下ろした。
肉が音をたてながら裂け、骨が砕けながら散った。
風車のように腕が飛び、それでも暗殺者は左手のみで斬りつけてきた。
素晴らしい――人間にしては最高の部類だ。
俺は左腕を抑え、切断された腕に指を減り込ませて握った。
痛みで噛み締めているが、眼に殺意があった。
だが、眼光に生への欲が感じられなかった。
それが気に食わなかった。
俺は顎を殴りつけて、打ち倒した。
「ふざけるな。俺を自殺の手段に使うつもりか? 馬鹿にされたものだな」
暗殺者はフラフラになりながら剣を構えようとした。
「どうせ死ぬなら、俺がお前の命を使ってやろうか? もっと良い死ぬ場所を見つけてやろう」
暗殺者は剣を落として、気絶して倒れた。




