第108話 神の器
蝿と鷲の鬼ごっこは苛烈を極めた。蝿が翼を動かし、足で速度を稼ぐも、鷲が何度も突進してきた。神がかる蝿に負傷はさせられないが、路傍に転がる石よりは邪魔だった。
実体無き神々たちが所有する究極の盾――アイギスがある限り蝿は無敵だった。だが、その特権も無くなりかけている。信仰者の少ないスヴェントヴィトと同じ位にまで落ちようとしていた。
この世界の神になるために、時空の壁を破ってきたと言うのに……。
こんなことなら最初から独りっきりで始めるべきだった。特にルシファーと結託したのは失敗だった。まさかこんなクダラナイことで堕ちるとは思わなかった。
あの吸血鬼が失墜のきっかけを作ったが、ルシファーは最初から競争相手を堕する方法を考えていたのだろう。それを察せ無かったのが落ち度なのだろう。
だが、もう良い……。
神になるのは諦めたが、私は私が存在するのを諦めるわけにはいかない。
受肉する。
それも……私が会ったなかで最強の男を殺した女として蘇ろう。
思考を続けていると、鷲が再び蝿を襲ってきた。
嘴は鋭く、蝿の体を抉ろうとしたが――。
「無駄だ」
蝿は肘を打ち降ろして、路面に鷲を叩きつけた。だが鷲は立ち上がり、浮き上がり突進してきた。あまりのしつこさに蝿は苛立ちを隠せなかった。
「いい加減にしろ! ボケナスがぁ!」
両手を組んで、首が千切れるほどに路面に叩きつけた。今度はすぐさま立ち直れなかったようで、地面で泡を吹いて倒れた。
「愚か者死すべし」
だが、これぐらいでは死んでいないだろう。
それでも数時間ぶりに開放されて気分が良くなった。
気分が良くなり歌を口ずさんでしまった。
山裾まで、道は続いている。
森の端に、城が見えるよ。
風に揺られて、戦争に出かけよう。
頭上には、太陽のような魂が舞う。
ラクカラチャ、ラクカラチャ。
たゆたい、揺れて。
ゴキブリよ。ゴキブリよ。
死体の上で。
ゴキブリよ、ゴキブリよ。
地獄の道を。
ゴキブリよ、ゴキブリよ。
悪魔が行くよ。
気分良く替歌を口ずさんでいると、人がゴキブリのように城に群がっていた。
蝿が街に到着すると同時に城壁が半壊した。
「はははっ……面白いことになってんなぁ」
蝿は周囲を見渡して、肉となるべき体を探した。蝿の王という中身を十二分に収めることのできる『器』が必要だった。後を追い続けてきた鷲――ハロハルハラもなかなかの物だったが、アレでは器が足りなかった。
歴史に燦然と輝く器を持つ者。
ギルガメッシュ、アキレウス、アレクサンダー、ハンニバル、カエサル、始皇帝、キリスト、曹操、ムハンマド、アーサー王、チンギス、スレイマン、ロベス・ピエール、ナポレオン……たかだかこれ位の器で良いんだ。
いねーかなー、都合良く……。
燦然とした経歴は無くとも器だけで良い……。
そう『器』だけで良いんだ。
器があれば悪魔が中身になる。
城壁に群がるラクカラチャ/ゴキブリどもの中にそれはいた。
蝿を論破した女の横に、少女が居た。
吸血鬼が担いだ魔族の血統を継ぐ少女だ。
「そーだ。アレだ」
可哀想な少女だ。
「お前が相応しい……だが」
――その前に。
ユニコーンに乗る女を睨んだ。
「死ねっ!」
蝿は塔を蹴り、女に突進した。
運命が坂を転がる玉のように止まらなくなった。
フィオナの傍らで警護しているアイビーが最初に蝿の存在に気付いた。狙いはレッドだ。アイビーはレッドを突き飛ばすように跳んで突き飛ばした。バロンは蝿の突進を避け、レッドは地面に落ちて、蝿の突撃を避けた。
「ベルゼブル……」
「避けたか……良い勘だ。だが、だが……だがだがだがだがっ!」
周りの兵士たちが一斉に蝿に襲い掛かったが、武器は通らず米を選別するように手際良く捌かれた。この場所にベルゼブルに数秒でも対峙できる戦士は皆無だった。
「お前が死ねば。プレスターが悲しむだろうなぁ!」
蝿は再びレッドに襲ってきた。
ここが分かれ道だった。
レッドはアイビーに触れて、彼女を吸収した。両手を前に出して、肌が淡く輝き、彼女の体の周囲を球体状の光の膜が覆った。蝿は驚きながら、手を伸ばして、力と力が衝突しあった。蝿は跳んで逃げて、レッドを睨みつけた。
「レッド……そうか……お前……絶滅危惧種か。これはこれは、そう言う事か。光の力を持つ者を確保しておいて、私たちは逃していたのか。自分の本当の名前すら忘れて、私たちが名付けた分類を名前にしていたのか」
「……」
「分が悪いな」
その時、蝿はフィオナを睨んだ。
レッドはフィオナを助けようと、掌から光線を出した。蝿のアイギスを貫き、脇腹を貫いたが、蝿は止まらずフィオナを捕まえた。
「……光の巫女よ。殺せないのは残念だが。大事なものは貰うよ……」
「いやっ! 助けて!」
哄笑と共に蝿は城壁の上に跳んだ。
蝿は空を見上げて、存分に最後を味わった。
光の巫女の攻撃を受けたほどに、アイギスも弱くなっていた。
高次元から低次元の存在になるのは哀しいが、悲しんでいる時間は無かった。
「止めて」
蝿は少女の頭を鷲掴みにして、残酷な笑みを浮かべていた。
「いつまで……」
少女は蝿の言うことが分かっていなかった。
「そうしているつもりだ?」
「何を……」
「何故悲しんでいる。それは演技なのか?」
「えっ……」
「聞いた話だが……もしかして覚えていないのか?」
蝿は少女が何も覚えていないのを勘付いていたが、邪悪な快感を味わいたかった。
「お前は何処から来た」
「私は……」
「あまりの衝撃で忘れてしまったんだな」
「何を……」
「おい、Eater。いつまでも少女の皮を被って生きているんじゃあない」
フィオナの眼が点になった。
今まで襲い続けられていたEaterと言われたからだ。
「お前は執行官によって選ばれたEaterだ。本当は執行官がお前を利用して、半島内で崇められた魔族の血を利用するつもりだった。だが、高貴な魔族を襲ってすぐに偶然あの吸血鬼が現れた。執行官も予想外だっただろう。盗賊に扮した執行官は吸血鬼に殺された。それに、お前は、少女を食ったために、家族を殺された悲しみで記憶が錯乱してしまった。それは今も続いていて、お前は私の言葉に驚いている」
「嘘だ……」
「お前の、フィオナの妹は齧られていただろう? それはお前が食ったんじゃあないか? 美味かったか? どうした。答えろよ。化物」
「お前の話なんて信じない……」
「物分りの悪いガキだな。なら剥がしてみるか」
フィオナは蝿の力から逃れようと身を捻った。
蝿はわざと放して、背中を踏みつけた。
「オジさん……助けて」
「あの吸血鬼のことか? お前、良く考えて発言しろよ。アイツはフィオナを買っているんだ。フィオナを食い殺した化物の正体を知ったら……どう思うだろうな」
フィオナは声を出さずに泣いていた。
「実体験に勝る経験は無い。さて、剥ぎ取ってお前の正体を見せてやろう」
首筋に爪が入り、下から上へと皮膚が剥がされた。




