第103話 大鷲
胡蝶蘭が好きと言ってから、私の寝室は鉢に植えられた胡蝶蘭の花園が広がっている。鼻腔を美しい香りが通り、肺の中に香水を垂らしたように満ちた。病魔に犯された血肉は腐臭を覆い隠され、僅かに残った矜持を崖の縁で押さえ込んだ。
「別の花も好きなのに」
「誰も分かってくれない」
私は私自身と喋っていた。二重人格と言うわけでは無い、数多くの見舞いの客と喋っていても、私は私以上に良い友人を見つけることができなかった。
だから独り言だ。
両親の良き友人たちは、私が変な子供だと思っている。本当に変なのは見舞いの客だ。一度も見たことの無い子供に、両親に媚を売るためだけに来る。毎日、何度も、見知らぬ人の好奇な目に晒されていれば、自分の内側に篭ってしまうのも無理は無いだろう。
「でも大丈夫」
「友達が出来たから」
眠っている間に、他の花々は片付けられようと壁に寄せられていた。私はベッドからゆっくりと立ち上がり、捨てられようとしている花々を摘み、胡蝶蘭も幾つか使って花の冠を作った。
花は好きなほうだ。
言葉を使えないので、存在が直接心に触れてくる。
ベッドに戻り、枕の感触を楽しみながら、窓の月明かりを瞼を通して感じていた。やがて、コツコツと窓が鳴った。
「開けて、開けて」
最初は不気味だった。雇人から教えてもらった吸血鬼を思い出してしまった。吸血鬼は家の扉を開けてもらえないと中に入ることができない、吸血鬼の力を考えるとおかしな習性だけど深夜の訪問は不気味なものだった。
だけど、月明かりに照らされているのは私と同い年くらいの少女だった。
「待って」
私は扉に近づき、音をたてないようにゆっくりと開いた。
「ありがとう。ハロ」
扉の隙間から風のように入り、ベッドの上にポーンと鳥のように降り立った。見たことが無いほどの身軽さだった。私は手に持っていた花の冠を渡すと、少女は頬を赤らめて嬉しがった。
「ありがとう! えへへっ……」
射干玉のような髪の上に花冠をのせた。本当に吸血鬼なのだろうか。少女は満面の笑みを浮かべて、私との会話を楽しんでいた。病魔に犯されているので、寝て静養しているけど、誰も訪れない夜にふと目を覚ますことがある。
夜の住人である吸血鬼少女が、私に目をつけたのは食料としてでは無かった。
「ハロ。今日は何して遊ぶ?」
私の主人となる少女は、私の親友でもあった。
寝ていた。
幸福な午睡だった。
私は近づいてくる足音で眼を覚まして、ナユキの報告を聞いた。
「大将は亜人達と衝突して、反転してゴブリンの国に攻め入りました」
ナユキは私が話を聞いているか窺いながら話を続けた。
「大将は九頭竜と呼ばれる者を撃退したそうですが、生死は不明だそうです。むしろ生きている可能性が高いので注意せよとのことです。で、戦況なのですが。ゴブリンと亜人達に挟み撃ちをされかけたのですが、本隊は暗渠に入りゲリラ作戦を開始、大将は亜人たちを追っかけながら殺し尽くし、亜人達の先頭に立った時にこう叫んだそうです!」
「俺たちがプレスター軍だ!」
飽きれた。
あの人がしそうなことだ。
「仲間だったはずのゴブリンと亜人たちが一時同士討ちを始めて、一気に戦況は逆転、暗渠に逃げ込んでいた本隊が横っ面をぶん殴り、亜人とゴブリンたちを退けました」
「で、暗渠からゴブリンの城へ侵入?」
「したのですが、抜け道はバレていたそうです。ゲリラ戦で暗渠を有効に使いすぎたため、ゴブリン王も暗渠の有効利用に眼をつけたようですね。見事に遭遇してしまい奇襲は失敗、ゴブリン王は篭城をして、プレスター様たちは攻めあぐねています」
「心配なのは九頭竜か」
Eater……ナユキと一緒に亜人達の半分を倒したが、厄介な相手だった。
そう……厄介な相手……。
「我々もプレスター様と合流をしようか」
真っ先に頷いたのはヴィトだった。私たちは亜人たちを掃討したので、次に心配になるのは魔王軍と執行官が率いる軍だ。陣地を手放すのは不安なので爆破して使えないようにして、すぐにプレスターさまと合流する計画としていた。
私はナユキを連れて、亜人達の本拠地となっていた商人の館を歩いていた。
私が先頭、次にヴィト、最後に書簡を抱えるように持ったナユキがついてきた。
何が起きたか分からなかったが、ナユキが私の横を飛んで、頭から壁に突っ込み、床に白目を剥いて倒れた。
コロロロッ……犬が威嚇する音をヴィトが発した。
「ベルゼブル……」
虫と人間を交配させたような容姿だ。女か男か分からないが、性別を超越した高貴さがあった。悪魔はやはり魅力溢れる者では無いと勤まらないのだろう。
「見つけたぞ……」
ヴィトが私を見てから、ベルゼブルに飛び掛った。細かく、高度な先頭が繰り広げられた。相手の身体を足場にヴィトは格闘術を繰り広げたが、ベルゼブルの身体には傷一つつかなかった。
「お前じゃあ……今の私にも攻撃は通らないようだな」
後ろ足が明後日の方向へ曲がり、仲良くナユキの横まで飛ばされた。
強い……圧倒的に。
「お前だ」
ベルゼブルの様子がおかしい……以前を見たことが無いから勘でしかないが……。
生物として何かが欠けていた。
いや……悪魔だから良いのだろうか?
「お前を探していた」
「私に何の用?」
「プレスター・ジョン……アイツに会ってから、私は不運だ。あの男の女に一言も言い返さなかったから」プレスター様から聞いたけど、レッドが悪魔が吸血鬼にこだわるのはオカシイといった件だろう。「ルシフェルが怒ってしまって……私を聖書から除外したんだよ……そうなってしまうと私は誰からも忘れられてしまう。そうなれば私は私を維持できない」
両目から狂気が迸る。
「それと私に何の因果が?」
「プレスター・ジョンの天敵をお前は知っているだろう?」
て、ん、て、き……なるほど、そういうことか。
「プレスター・ジョンは前の世界で死んだ後のことは知らないようだが、お前はちょっとした有名人だったもんなぁ?」
「悪魔に知られているなんて幸せね」
私は徐々に退いた。
勝てない戦いはしないつもりだった。
「お前の脳に用がある」
ベルゼブルが無造作に近づいてきた。
あまりに単純な近づき方だ。
おもわず攻撃してしまった。
噛み付きで――人肉を食わないように封印していた攻撃だが、悪魔に手加減は出来なかった。ベルゼブルの身体に到達する前に、反発力があり顎を開いて裂こうとしてきた。
「非力、無能、私のために死ねっ!」
ベルゼブルは左手で頭を掴み、右手の人差し指で頭蓋を貫いた。一つ、二つ、三つ、脳が指で貫かれる、四つ、五つ、六つ……穴が周回して蓋を掴み取られた。
脳を鷲掴みされた。
「これだ。この記憶だ」
「いぎっ……いぎっ……」
思わず変な声が漏れてしまった。
「これだ。素晴らしい……ここまで詳細とは……魂すら写し取れるだろう……」
私の記憶が走馬灯のように蘇った。
大切な親友の記憶だ。
その親友は父親を殺して、権力にとり憑かれてしまった。
それでも大切な親友だった。
「ぷ、プレスター様……」
ベルゼブルは脳を離して、私は床に倒れた。
「あとは……プレスターの元へ行き……アイツの娘の姿に受肉するだけだ……」
……受肉?
神……悪魔として存在が保てなくなり、ベルゼブルは肉体を得ようとしているのか。
まさにイエスの悪魔版と言ったところだろう。
「止めろ……」
「ただ受肉するだけでは面白くない。私をこんな窮地に追いやったアイツに絶望を与えないと気がすまない」
ふうふうと息をしながらベルゼブルは姿を消した。
悪魔が復讐に執着している。
よほど自分の存在が消えそうなことに我慢がならなかったのだろう。
「絶望を確実に提供するのが、悪魔だ」
「ま、待て……」
姿を消してから笑い声が響き渡っていた。
私は切り離された頭を持ち、頭に乗せた。服を切り裂いて、傷口に巻き付ける。脳を犯されて怒りが沸騰するようで、全身から力が漲った。
これは屍人の本能……いや、違う。
Eaterとしての本能が私を駆り立てた。
私は空だって飛べる。
食べたもの全てが私の中で生きているのだから。
私の身体は大鷲へと変貌した。
あの方は後悔していた。お父上を殺したことを……。だから私は、この世界で偶然出会ってしまった私は、あの方の分までプレスター様に報いる。
地を這う蝿を、空を行く大鷲が追いかけた。




