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第101話 実験

 排泄物、消毒臭、赤血球、我を包んだのは不快な臭いだった。嗅覚の次に聴覚が異常を感じた。

 ああ、五月蝿うるさい……誰が泣いているのだろう。その泣き声は洞窟の中で反響しているようだった。ハウリングのような不快音が心臓を凍てつかせた。

 その声の主は我で、そこは洞窟ではなく便器のなかだった。産み落とされた赤子は、張られた水に無数の波紋を作って、口を波で何度も覆われかけた。

 あっぷあっぷと空気を求め続けたが、その空気は臭くて、心底不快だった。

 我は糞を捨てる便器の中に産み落とされた。便所を産科医と勘違いしたのは、未発達な肉体をした女で、我の父親は禿げた――太った――貧乏な――買春を唯一の趣味にした老人だった。

 個人の性質に罪は無い、行動に罪はある。

 罪はあるが――罰せられないのが問題だ。

 もしも未発達な胎内で孕んだのが罰ならば、我は罰の化身なのだろう。

 我はくそのような理由で、糞のように産まれて、そして糞のように拾われた。そう……我は拾われた記憶がある。それが……どの我の記憶か分からないが、恐怖が遺伝子に刺青のように施されていた。

 一生消えない傷が赤血球に乗り全身を巡っている。

 最大の傷は我を助けてくれた女につけられた。鋭利な刃物の感覚で全身に寒気がした。臭い便器に手を突っ込み、我を取り上げたのは人間の天敵である吸血鬼だった。

 吸血鬼は泣き声に誘われて、便所から我を拾い上げた――そうだ。吸血鬼は我を洗って清めてくれて、外套に包んで、振り子のように振りながら運んだ。


 もう一つの記憶がある。

 試験管の中にいる記憶だ。何度も何度も無限の如く実験が繰り返されて、手を加え続けられて我は誕生し続けた。無限数の誕生を繰り返して、隣の兄弟が排水溝に捨てられるのを何度も見ていた。

 生命の代わりに、ゴボゴボと泡沫うたかたが生まれた。

 我は試験管と言う胎内で永劫回帰の夢を見ていた。その夢は永久に目覚めない悪夢のようで、我は永久に誕生せずに、この悪夢のような日常が振り子運動のように続くように思えた。もしかしたら我は存在せず、誰かの悪夢の中で生まれた人格かとさえ思えた。もしかたら、今も悪夢は続いているのかも知れない。

 脳内の思考だけが楽園だった。

 そこは本当に冷たい場所だった。

 動物の体を潤す水は良いものではなく、兄弟を汚水へと流し込んだ悪と思っていた。兄弟は原初の液体のような混沌とした場所で死んだ。そこは生の混沌ではなく、死の混沌だった。

 兄弟は放たれた精液のように捨てられた。

 我が何故選ばれて、育てられたかは分からない――我を取り上げた吸血鬼にしか答えは無かっただろう。

 我は数千の死、数万の死、数億の死の上に我は産まれた。


 もう一つの記憶がある。

 我は泣き叫ぶ女だった――摩天楼の中で生きる女で、夜は街頭に立ち身体を売る女だった。売春婦――世界最古の職業の女だ。すみませーん。お暇ですかー。これからどこへ行くんですかー。私を買いませんかー。お安くしますよー。クソが、貧乏人が……え、と、せ、と、ら……。

 その精神は問題があったが、肉体は健康そのものだった。

 その日、女を買ったのは美しき吸血鬼だった。肌が漂白されたように白く、美貌だけが人生の背骨の男だった。辿り着いた先は性を売買する建物ではなく、廃墟の地下室だった。昔の市立図書館の地下室、古本の時を超えた臭いに包まれて、我は椅子に番線で縛られて、柔肌から血を流していた。

 男が我の頭頂部に小刀をあてた。

 皮膚を裂かれ、赤い玉が浮き上がり、床に転々と落ちた。雨漏りのような音は、女の命の残りを数えているようだった。

「……ああっ……」

「泣くんじゃあない、おぼこじゃあ無いんだから」

 女吸血鬼が我に向けて笑いかけていた。我は連結した九体の記憶を共有している、その記憶のどれもに女吸血鬼の記憶があった。

 それが――お前の娘だ。プレスター・ジョン。

 男は小刀で皮膚を開き、次に頭蓋をくるりと円を描いて、コツコツと打撃を与えて、円を描いた頭蓋を持った。そして手を脳へ突っ込んで、満員電車に押し入るように脳を犯した。

 そこに痛みは無かった。

 脳には痛覚がない――触られていると言う感覚だけがあった。

 そして何かが手から解き放たれた。

 それが我だ。そこから我の記憶は、女と交じり合った。そこから我は女となり、禁断の果実を齧ったように我は鮮明になった。


 我は考える脳を手に入れて、この実験が何をしているか分かった。それは屍人ゾンビの進化版を作ることだった。のちに自らの父親を殺すことになる女吸血鬼は、父親の祖である女を研究していた。

 アイシャ――吸血鬼の中でも屈指の実力を持つ女の死肉を操る強力な能力を模倣しようとしたのだ。だが強い力は逆襲される可能性がある。だから屍人を改良して、自分だけにしか操れない、最強の兵隊を作ろうとしたのだ。

 我は優越感に浸っていた。選ばれた我は九体のみ、死肉を操るだけではなく、生き物を取り入れることで魂を取り入れることができた。

 食った物すべてが我の中で生き続けている。

 永劫回帰の地獄で、手に入れたのは素晴らしい能力だった。そして九体の兄弟は脳に微粒機械ナノマシンを注入されて記憶と思考を連結して、最強の生物兵器となった。

 最強……のはずだった。

 だが我は実験の初期段階だった。

 最強のEaterを作るための過程だった。


「我に力はあるが、周りにいる連中よりも未完成品だ」

 俺は煙草を吸いながら話を聞いていた。俺はEaterという存在は知らなかったので、俺が死んだ後か、直前くらいの話だろう。

 俺は紫煙で身体を燻した。

「我は人間を超えて、人間の想像力を模倣することにした。だから九頭竜くとぅるだ」

 ピンと煙草を捨てた。

「最強のEaterとは?」

「魂を取り入れることに特化した――お前の娘の恋人だ」

 恋人?

 そんなの居たかな?

 まあ、思い出せんが……。

 聞くことは聞いたので、殺し合いを再開するか。

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