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第1話 悪鬼転生

 煮えたぎるような痛みだった。

 地獄の業火ごうかで熱された油をかけられたような、体験したことの無い灼熱しゃくねつの痛みだった。

 これが死なのか?

 俺は不老不死だったのに、何故殺されたんだ……。

 俺は吸血鬼なんだぞ……。

 どうして死んだのか分からない。

 強烈な死の印象が、俺の死の記憶を消し飛ばした。

 覚えているのは、大事な用の後ということだ。

 満足感が油断を生んだのかも知れなかった。


 最後の風景は脳に、網膜に、魂に刻まれていた。

 視界に血しぶきが舞い上がり、血が薄れるほどの綺麗な夕焼け空だった。

 まぶたを閉じても赤かった……すべてが単一の色に染まっていく、それが死だった。


 死が……。

 死って現実だったんだ……。

 それが最後の実感だった。

 俺は最後に死を感じられて幸福だった。


 不死者にとって、死は安息だ。

 死ぬのが怖くて不死者になったが、それでも死は安息だった。


 命の熱い赤は消えて、凍てつくような寒気が這い上がってくる。体の先端からブレーカーを落としていくように力が失せて、生命活動は停電したように終わった。

 終わったはずだった……。

 だが無くなったはずの意識が蘇った。

 訳が分からなかった。

 そこは極夜きょくやのような闇に包まれていて、規則正しい鼓動だけが生命への実感だった。これは何度も聞いた事のある音だ。

 心臓。

 生まれてから死ぬまで絶えることの無い生命活動の要だ。これのお陰で、俺たちは新鮮な血を飲むことができた。動かなくなった血は本当に不味い、心臓は吸血鬼の食料製造工場だった。

 俺はぬるっとした感覚と共に、洞窟を抜けたような明るさに包まれた。



 俺を取り上げたのは美少女だった。

 真珠のような白い肌に、金貨のように輝き価値のある黄金の髪、長い睫毛と二重が美しさを際立たせている。片手に剣を持ち、服装は漆黒で色への渇望を制限していた。

 美少女は死者の腹を裂いて、俺を産ませたようだ。

 その証拠に眼下には母だった死体があり、唇から二つの八重歯を出している。

 吸血鬼の――不死者ノスフェラトゥの証がそこにはあった。

 美少女は俺と母の繋がりの臍の緒を切り、俺の背を叩いて口から異物を吐き出させた。吐ききれなかった異物は、口で吸いだされて、地面へと吐かれた。

 優しい接吻だった。

 俺には縁遠かった神聖さを感じる生の息吹が終わり、清浄な空気が肺に入ってきた。満腹感のような充足が訪れる。それだけで、再び産まれて良かったと思えた。まさか、生を喜ぶ日が来るとは思わなかった。終わりの見えない不死者にとって、日々は地獄だった。それが今、変わったのだ。


 だが、この世界もキナ臭かった。

 赤ん坊の視力は弱いが、撒き散らされた血が荒野に広がっているのが分かった。人間だった物は魂の頚木くびきを外され、積み上げられた屍骸しがいが未来への土台と変貌していた。死者は血を流して抗議するが、命のシミは雨に流される蚊の鳴き声だった。

 コレコソダ。

 コレガ、ニンゲンノ、シワザダ。

 生物至上、人間ほど殺戮が得意で、似合う動物は存在しなかった。

 泣き声をあげながら、俺は笑った。


 美少女は俺を抱きしめて、走って血の湖を駆け抜けた。何十万人殺せば、湖はできるのだろうか。体重の約八%が血液だ。湖の血を計れば、人間の魂を計量できるかも知れなかった。

 パシャ、パシャと血は陳腐な音をたてた。

 革靴が血に濡れ、水面に虫が漂着したように波紋が広がった。

 やがて、歩みは止まった。俺たちは美少女と同じ服装の男たちに囲まれて、剣を突きつけられていた。美少女と男たちは唾を吐きかけるように会話をしていた。言葉を理解できなかったので、何を喋っているのかわからなかった。

 だが、彼女が裏切っているのは分かった。

 美少女は母の腹を裂いた剣で、男たちを切り倒していった。一つ、二つ、三つ、よどみない数え方で命は散逸する。魂は血の水面に映り、星霜のように輝いていた。肉は千切れ、骨は断ち切られ、それでも男たちは動き続けた。

 美少女は素晴らしい戦士だった。

 誇り高かったローマ人でも怖気づくような気合の持ち主だ。死を恐れない闘技は人間たちのなかでは本来存在しないはずだが、美少女の中には存在しているようだ。

 死の恐怖があるから、人間と不死者との闘争は熾烈しれつを極めることになる。男たちの動きにも、斬りつけられても決して怯まない闘争心があった。コロッセオの中の闘技であったならば、必ず歴史上に残された死闘だった。

 だが、生に終わりがあるように、闘いにも終わりがある。

 美少女の剣技は徐々に男たちを圧倒し始めた。肉体が温まっていくと剣技は必殺の動きを見せる。一撃で魂をほふる――殺害することしか考えていない殺人剣は芸術の域に達していた。


 美少女は血でぬかるむ大地に足をとられながら、優雅に殺した。美少女が優勢だ。俺は胸に抱かれながら、死者が増えるのを眺めた。胸の鼓動は服越しにでも伝わり、美少女が緊張感と安堵感を交えながら闘っているのが分かった。決して油断しないが気を張り過ぎない、見かけによらず恐ろしいほどの手練てだれだ。

 美少女が最後の1人を切り伏せた時、俺は死の匂いに耐えられなくなり暴れた。

 美少女は俺を見下ろして、何かを呟いた。

 何と言ったか分からなかったが、それは慰めの言葉だった。

 よく見ると、彼女はとても幼かった。地球で言うと中学生ぐらいの年齢だ。俺を抱く両手も震えていた。目尻から涙が流れ、血の湖に緩やかな波紋が広がった。

 慰めの言葉は嗚咽混じりだ。

 殺した相手に大事な人もいたのだろう。

 俺は赤子だったが、彼女を守らなければ、と思った。

 世界で一番殺しが上手くても、子どもが子どもなのは変わらない、そして俺の命を彼女は救ってくれた。俺は恩返しをしたかった。

 悲しみの涙が枯れるまで、俺は彼女の側にいると誓った。

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