夏にそれは暑いと思います
校舎内は部活動を終えた生徒達達が帰り支度を始めている頃だった。
先程までここで補習を受けていた私にとっては二度目の登校になる。
ただ、先程と違うのは、自分以外に妹と、如何にも目を引く全身鎧が一緒という事である。
すれ違う先輩、後輩、同級生が、何だ何だと全身鎧を見ているのが分かる。
だがそんな視線など気にするな。
目を合わせるな、合わせたら死ぬ。ただひたすら前へ進め。
私のそんな心境をつゆ知らず、妹と全身鎧は楽しそうにキョロキョロとあたりを見回していた。
視線こそ向けられたものの、何とか声を掛けられる事なく屋上に到着した頃には、私は全力疾走した後のような疲れでいっぱいだった。
反対に元気な妹と全身鎧は疲労感などまるでなく、私の高校についてきゃいきゃい話をしている。
妹の社交性にほんの少しだけ羨ましさを感じながら、誰かが屋上へ上がってきた時に見つからないように私達は入ってきたドアの反対側へと移動した。
時刻は16時過ぎ。
眼下の校庭では、まだまだサッカー部や野球部の元気な声が聞こえる。
日が長い為か、運動部はまだまだ活動を続けるらしい。
そんな運動部を見ながら、全身鎧が私に尋ねてきた。
「あれは何をやっているの?」
「あっちはサッカーで、向こうの網の近くにいるのは野球。部活動って言って……同じ事に興味がある人とか、好きな人が集まって、切磋琢磨するグループ行動」
我ながら酷い説明だった。
分かったのか分からないのか、全身鎧は「ふーん」と言いながら手すりに近づいた。
それを見て、怪しまれるから、と慌てて腕を引っ張って止める。
見つかって、屋上で何をしているんだと、先生に来られても困る。
「君は何かやっているの?」
「私はやってないよ」
「何で?」
何で、と言われても、特に興味がなかったからとしか答えられない。
全身鎧はただ不思議に思ったから聞いただけなのだろう。
別に聞かれて困るようなやましい事情はない。
けれど。
「……良く分からない」
何故か後ろめたい気持ちになった。
何でだろう。何でそんな気持ちになるんだろう。
今の質問だけじゃない。そうやって自分の事を聞かれと、いつも後ろめたい気持が浮かんでは、少しして消えた。
「まぁ良いや、おーい、ちょっと寝っ転がってみよーぜー。俺、暑くて疲れたー」
「あー、やっぱり暑かったんだねぇ」
「そりゃそうさ、こんな鎧着ているんだもん。中身はねーけど。ヘルム取っても良いだろ? よっこらせっと」
私が考えている間に全身鎧は兜を取って、がしゃーん、と勢いよく屋上に寝っ転がった。
中身がなくても暑さは感じるらしい。
傍目では鎧を干しているように見える。シュールだ。
「静かに寝転がろう!」
「お姉さんは細かいねぇ。妹さんをごらんよ、全く気にしてないよ?」
「お姉ちゃんお姉ちゃん! 背中あっついね!」
そう言って「ねー」と、2人は笑い合う。
中身は見えないが、声の調子で笑っているのが分かった。
何だか細かい事を考えるのが色々面倒になってきたぞ。
全身鎧の言葉にがしがしと頭をかくと、同じように仰向けに転がった。
妹の言うとおり、太陽に照らされ続けた屋上は熱い。
夕暮れ前の太陽の光が眩しくて目を瞑り、眼鏡を取った。
こうして寝転ぶのは何年振りだろう。
そろそろ大丈夫かと、恐る恐る目を開く。
その、瞬間。
内からの熱に、ぶわり、と体が震えるのを感じた。
息をするのを忘れた。チカチカする。
橙色の絵具を落としたような濃い空の色が目に飛び込んで来た。
視界いっぱいに広がる茜空。広がる。雲。縁取りは金。それはどこまでも、どこまでも――――。
「良いもんデショ?」
全身鎧が楽しそうに笑う。
「…………それなりに」
「いじっぱりぃ」
「やかましいです」
夏の日差しに熱せられた屋上に寝転んだせいで背中は熱いし、直射日光を浴びて暑いし。
ああこれ、日焼けするかなぁとも思ったけれど、でも不思議と心地良かった。
夕焼け空を見上げながら全身鎧に聞かれた事を考える。
高校に入学した時、中学校の頃にやらなかった事や出来なかった事をやりたいと思って、運動部を色々見て回った。
バスケにバレー、ソフトボールにテニス、卓球に陸上。
部活動に励む先輩達がキラキラしていて、格好良くて、とても眩しかった事を覚えている。
その時何に入ろうとしていたんだっけ。良く思い出せないんだけれど、「これだ」と決めて入ろうと思った部活があって、
――――入部届けを手に取った瞬間、怖くなった。
自分は上手くやって行けるだろうか。ずぶの素人が高校から始めて、ちゃんと続けていけるだろうか。
それまで何をやろうとしても失敗する事が怖くて、手を出し掛けて止める、手を出しても諦める、その繰り返しだった。
今回もそうなるんじゃないだろうか。
中途半端で放り出すんじゃないだろうか。
それならいっそ、やらないままの方が――――。
そう思った時にはすでに、入部届けはゴミ箱に入っていた。
「……全身鎧さんは」
「んー?」
「失敗して、こちらの世界に来た時、後悔はしなかったんですか?」
「反省はしたなぁ。元の世界で俺の仕事は滞っているだろうし」
「失敗したから、もうやりませんか?」
「おっ何だ何だ、呼んで欲しいのか? よーし、まかせとけ! 今度はばっちり成功させるからさっ」
「そうじゃなくて」
何て言ったら良いのかな。
自分で聞いていて良く分からなくなってきた。
「また失敗したらどうしよう、とか」
「失敗したって何とかなるさ」
「何ともならなかったら?」
「暗く考えてちゃダメだぜ、お姉さんよ。成功するか、失敗するかの2択しかないわけじゃないだろ。限りなく成功に近いとか、限りなく失敗に近いとかあるじゃん」
「お兄さん、それあんまり意味変わらないよー?」
「はっはっは。細かい事は気にしなーい。ようはやりたいか、やりたくないかだろ。俺は失敗しても、また誰かを召喚するつもりだし、失敗したらその時はその時で何か考える。ちなみに今回は失敗はしたが運は良かった、ラッキー。俺ってツイてる」
全身鎧はびしり、と親指を立てる。
言っている事は甚だ迷惑な事柄ではあるが……そういうものだろうか。
「失敗した時の事なんて考えてても仕方ねぇって。予防策は大事だけど、失敗したらどうなるかなんて、なってみないと分からないんだし。大体お姉さんまだ十代だろ? 子供じゃん。子供なんて失敗してナンボさ、道を踏み外しさえしなければ、挽回は意外と早いもんよ?」
「……ありがとう」
「いえいえ。ついでにホントまた呼ぶから。どっちか。2人でも良し」
「そこは呼ばないで頂きたい」
「えー! あたし呼ばれたいよー!」
全身鎧さんの話を着ていて、もやもやした気持ちが少し晴れて行くのを感じた。
不審者なんて思って申し訳なかったな。いや不審者なのには変わりないんだけど。
でも、悪い人ではないのだと思う。
そのまま3人で少し話をしたり、気が緩んでついついうとうととしている間に時間は過ぎて行った。