魔力の源は光合成
倒れた時に頭に出来たタンコブをタオルで冷やしながら、私はテーブルを挟んで全身鎧と向き合って座っていた。
頭の兜は元の位置に戻されている。
しかし、気まずい。恐らく相手は何とも思っていないのだろうけれど、気まずい。
年季の入った人見知りスキルを持っている私にとっては、見ず知らずの相手と向かい合って座るのは、今すぐ走って部屋に戻りたい衝動にかられるくらいには辛い。
何より相手は不審者だ。
透明人間の不審者だ。
これが落ち着いていられるだろうか。
「もー、お姉ちゃん、そんなに怖がらなくたって大丈夫だよー」
オレンジジュースの入ったコップをお盆にのせた私の可愛い妹は、それを全身鎧と私の目の前に置いた。
「おっ、ありがとー!」
「いえいえー。ほらねお姉ちゃん、このお兄さん、全然怖くないよ!」
「怖いとか怖くないとかそれ以前の問題な気がしますよ、妹よ」
中学一年生になった四つ年下の私の妹は実に頼もしい。
思えば小学校の頃からいつもこんな感じだった。
夏祭りの時の肝試しで、姉として良い所を見せてやろうとはりきって挑んだ結果、私の方が大泣きしながら妹に手を引かれて戻ってきたという思い出がある。
自分と皆の記憶から消し去りたいくらいには、今もご近所さんの話のネタになっている。
「それで、その、自称異世界から来た全身鎧さんは何でうちで寛いでいるんでしょうか?」
「いやー異世界から来たら君達の家の風呂場にいてさー。ここはどこだってきょろきょろしていたら君の妹さんに会って、不審者-!ってフライパンで殴られてねー」
あ、一応不審者だとは思っていたのか。
「その衝撃でヘルムが取れて、中身がない事に自分も妹さんもパニックだったんだけど、何やかんやで落ちついて、こうやってお世話になっております。多分、本当は君か妹さんを呼ぶつもりで自分がこっちの世界に来ちゃったんだろうなぁ、いやーびっくりしたわぁ」
「何やかんやで端折った部分が一番大事だと思うんですが、ちょっと待って何か聞き捨てならない言葉を聞いたよ、呼ぶつもりって何!?」
全身鎧は私を見て不思議そうに首を傾げた。
「え、普通、呼ぶでしょ?」
「呼ばないよ!? 人の都合考えようよ! そういうのは格闘技のプロとかアスリートとかマジシャン呼ぼうよ! 一般人役に立たないよ!」
「異世界召喚は憧れるよねぇロマンだよねぇ」
「おっ分かってるねー!」
どうしよう、お母さん。
私の拙い話術スキルでは、話が通じているようで通じないです。どうしよう。
全身鎧と妹は何やら楽しげに頷きあっていた。
「ロマンもへったくれもないよ!? 人生掛かってるんだよ!?」
「お姉ちゃん、あたし、今の世の中に期待が持てない……」
「中学一年生で達観しないで!! 大丈夫だよ、世の中明るくなるよ! 頑張ればきっと良い未来に辿りつけるよ! ほらっ夢だったじゃない、自分でお花屋さんになるの!」
「廃棄率とか考えたら頭が痛くなってきて……」
「そういう難しい話はもうちょっと大人になってから考えても良いんじゃないかな! 夢に対する挫折を味わうのは早いと思うんだ!」
「お姉ちゃんだって中学の頃はそこそこ勉強が出来ていたのに、今じゃ補習組じゃない。今の成績じゃ弁護士になれないよ?」
「ぐはっ」
可愛い妹からのクリティカルヒットに私はがくりと両手を畳につけて項垂れた。
そ、そりゃあ、ドラマで見た弁護士に憧れて、中学校の卒業文集に『将来なりたいもの:弁護士』とか書いたりはした。
けれど現実は厳しいもので、高校に入ってから勉強について行けなくなりつつある。
この成績では大学に入るのは無理だろう自分で思うレベルだ。
いや、そんな事は今はどうでも良い。それより、全身鎧の事だ。
要約すると、この全身鎧は異世界に私か妹を呼ぶつもりで、それが失敗して自分がこちらの世界へ来てしまった、という事らしい。
……信じる信じない以前に、突拍子がなさすぎて、理解力が追いつかない。
いっそ幽霊でした、とか言われる方がまだ信じられる気がする。
「お母さん帰ってきたら何て言うだろう……」
「お姉ちゃんの彼氏って事にすれば泊めてもらえるかも?」
「ソレハゼッタイニシンジテモラエナイデス……」
自慢ではありませんがこの世に生を受けて十七年、キャッキャウフフの甘酸っぱい経験など一度もありませんとも。ええ、一度も。
地味だし、ぱっとしないし、人見知りだし、眼鏡のくせにそんなに勉強出来ないし……言っていて悲しいくらいの低スペック。得意な事と言えば漢字の読み書きくらいだ。
ちなみに私と違って妹は勉強も出来るしそれなりにもてる方で、小学校の頃に妹宛てのラブレターを何度か預かった覚えがあったっけ。
う、羨ましくなんか……! 羨ましくなんかないんだから……!
「そこはホラ、よーし頑張っちゃうぞー! とか言ってみていいんじゃね? 大事なのはハート、心の持ちようだよ! 俺を見ろよ、中身がなくてもこうやって強く生きてるんだぜ?」
びしっと全身鎧は親指で自分の胸を指してふんぞり返った。
残念ながら鎧の中身はカラッポだが。
「ちなみに女性の好みは?」
「胸の大きな年上のグラマラスお姉さま」
「百八十度違うじゃないですかコンチクショウ、やっぱり胸か!」
「まぁ、その平野、では俺としても残念ではあるが」
「失礼!」
両手で顔を覆ってテーブルに突っ伏す。
何なんだこの、全身鎧は。本当に何なんだ。仮に全身鎧が言っている事が正しかったとして、こんなのに私か妹が召喚されていたらあちらの世界で毎日頭の痛い思いをしなければいけないのかもしれない。
ならばある意味、勝手がわかるこちらの世界だった事を喜ぶべきか。
……そう言えば、来たは良いけれどどうやって帰るんだろうこの人。
「全身鎧さんは元の世界に帰らないんですか?」
「帰りたいは帰りたいんだが、こちらに来るのに魔力……力を使い果たしてしまってなぁ。チャージしないと帰還魔法が使えない」
「チャージ……」
「どうやったら貯められるの?」
「日が落ちる前の光をしっかり浴びる」
光合成か。
「何で日が落ちる前の光なの?」
「昼と夜が混ざる瞬間に生まれる光が、一番魔力として使いやすいんだ」
「朝日は?」
「眠いんで」
自己都合だよ! 朝日でも良いような雰囲気だけど、本人にその気がないよ!
しかし夕方か……庭でと思ったんだけど、お隣さんの目がある。ニ階からなんて丸見えだ。
あの家は何をやっているんだろうと思われても困るし、後でご近所さん同士の話をお母さんが聞いた時に説明するのが面倒だ。
全身鎧を置いておいてもあまり人目に付かず、日当たりのよい場所……。
そう考えていたら、ふと浮かんできた場所があった。
「学校の屋上とか……?」
「あっそれいいかも!」
妹がパンッと手を叩いて頷く。
全身鎧がそれを見て真似をし、ガン、と金属がぶつかる音がする。
「でも連れて行けるかどうか……」
うーん、部活動、というのは――私が帰宅部だから――厳しいけれど、文化祭の準備ですと言えば何とかなるか……?
うちのクラスはお化け屋敷やるって言ってたし、ちょっと西洋風だけど何とかなるでしょう。世の中グローバルだ。
でもどうせなら早朝とか、目立たない時間帯まで潜んで貰ってからの方が……。
「のんびりで良いよ~。俺、もうちょっとこの世界堪能したいし。ほら、この箱の中で戦っている場所とか行ってみたい! 鎧無しで剣を振るうなんて、この人達ちょう格好良い! 会いたい! 会って戦いたい!」
よし行こう。今行こう。
テレビを指さし、キラキラと輝く笑顔を浮かべていそうな全身鎧を見ながら、私は堅く堅く心に誓った。