第一章 名探偵登場?
導入編。探偵一会登場です。今回は事件なし。次話から本番です。
「あの探偵が羨ましい」
そんな会話が人里のなかで交わされるほど、その頃の幻想郷は話題に困窮していた。
◇◇◇
件の探偵はすたすたと人里の往来を歩いていた。流れる人混みに逆らうように。博麗の巫女が弾幕を避けるのと同じ程度の精度で、ふらふらと不思議と誰にもぶつからない。
目立たない風貌である。この村の屈強な男達と比べれば、大柄とも言えない。いかにも行動よりも思索を優先する見た目である。しかし、その表情が周りの目を引いていた。あの探偵さん、また何か見つけたみたい。
より正確に言うと、彼はそれを追っていた。そのキラキラ輝く目と、ニヤリと上がった口角からは、彼の興奮が伺える。
◇◇◇
人里から歩いて数分の森の中。妖怪の山から流れ込む川のほとりに一人の妖怪少女が座り、乾いた口を綺麗な水で潤していた。
『閉じた恋の瞳』こと、古明地こいし。
彼女は珍しい妖怪である。種別的には『覚り妖怪』にカテゴライズされる。彼女自身の説明の前に覚り妖怪について少し説明をしよう。
覚り妖怪は『心理を読む』ことを武器とする妖怪である。他の妖怪と比べると、直接の戦闘能力はやや低い。その不足分を精神攻撃で補い、結果として、人間にとっても、妖怪にとっても、余りある危険度を誇る。
しかし古明地こいしはイレギュラーな存在だった。彼女は『覚る』ことを恐れた。能力故に覚り妖怪は必ずと言って良いほど嫌われる。彼女はそれが嫌だった。嫌われるのも、その負の感情を覚るのも。自分の能力に追い詰められ、彼女は覚り妖怪としては有り得ない決断をした。
第三の眼を閉じたのだ。
第三の眼は覚り妖怪の象徴である。人間同様の身体から管のようなもので直接繋がっている拳大の奇妙な球体。通常ならばギョロリとまばたき一つしない第三の眼は彼女の場合は閉じていた。覚り妖怪はこの器官で心理を読み取るのである。当然読めなくなっている。そればかりではない。眼と共に心すら閉じたこいしは、その姉さとりすら心が読めなくなっていた。
◇◇◇
私の、どこに行ってしまったのかさえ、全く分からなくなってしまっていた心が、またこの胸に帰ってこようとしていた。あの地霊騒ぎの後のことである。山の上の神社での弾幕ごっこ、博麗霊夢と霧雨魔理沙……。不思議な人達だった。なにも考えなくてもいい、つらくなければいい。そんな私の考え、常識を彼女たちはあっさり崩した。そんなの、つまらないじゃないか、と。
あの時以来、私の閉じた第三の眼は緩んだり、堅く閉じたりを繰り返していた。ついさっきも堅かったのに、彼女たちを思い出すと、また眼は緩む。
答えは出ない。まだ出ない。何も考えず、ふらふらしていたのが嘘のようだ。私はまた悩む……。悩むということすら、久しぶりであった。
その時だ。
がさり、と。雑草を踏み分けて、人間が後ろに立っていた。振り向いた私と目が合う。
誰だろう?
「どなた? 地上の人間さん」
その人は私の顔を見て、一瞬『参ったな』という顔をしたが、
「僕はこういうものです」と、彼は笑顔で名刺を取り出した。
―――
私立探偵
合歓垣 一会
ペットの世話から殺人事件まで、困ったことなら何でもどうぞ
―――
……変なの。
「探偵さん?」
「そうです、名探偵一会とは僕のこと」
「知らないなあ」
探偵さん(一会さん?)は少しショックを受けた顔をしたが、すぐに表情を戻した。
「ふむ。それより。ここらに変な奴、来ませんでした? 古明地こいしさん」
変な奴なら私の目の前にいますけど、と答えそうになった。でも、あれ?
「私、名乗ったっけ?」
「分かりますよ、あなたが昨日家に帰らなかったことも分かります、紅魔館に泊まったんですかね」
私は唖然とした。
「『なんでわかったの?』『心が読めるの?』『いや、私の心は読めないはず』『この人は何者?』……どうでしょう」
彼がにこっと笑った。
思わず顔をしかめたのが自分でも分かった。背中に嫌な汗が流れる。この人は私のどこまで見通してるんだろう。お姉ちゃんですら見通せない、私の心理を、この人は……? 私が息つく間もなく、
「いやいや、今のは簡単な推理ですよ」と彼は言った。
推理……今のが? 本当に?
「……」
「どうやら信用されてない。種明かしした方がいいですかね。後ろから辿っていきましょう。僕は四つ思考を読みました」
一息つくと、急に几帳面そうな早口で話し始めた。指を一本立てると、
「一つ目、『なんでわかったの?』これは表情から。次の『心が読めるの?』これはあなたが覚り妖怪であることから予測しました。『私の心は読めないはず』この時あなたが無意識に閉じた第三の目に触っていたからです。あなたの事情は霊夢と魔理沙から聞いてました。だから名前も分かったわけです。そして『この人は何者?』これはそれまでの思考の流れからごく自然に……。以上です」
「うん……」
「わずか一滴の水から、理論家は大西洋やナイアガラの滝について推理できる。同様に、人の一生も大きな一本の鎖であり、たった一個の環から本質を探り出すことが可能だ……かの名探偵シャーロック・ホームズはこう言ってます。そしてこれは事実。今やってみせたように」
また呆然とした。さっきとは違う、恐怖のない純粋な驚き。
「じゃ、じゃあ、紅魔館に泊まったって言うのは?」
「信用してもらえたと?」
「少しね」
彼はとても嬉しそうな顔をした。
「好奇心旺盛でいいことです。ちょっと隣良いですか」
ちょっと間隔を空けて私の隣に座ると、やや興奮したような口調で喋った。
「いえね、僕があんなに丁寧に種明かししても全然ピンとこない人もいるんですよ! それに比べてあなたは! おや? 口元濡れてますよ、失礼、動かないで。よし拭けた。こんな綺麗な川の水でも拭き取らないと肌が荒れてしまいます。ハンカチは気にしないで。どうせ捜査用にいつも五枚位、ほら、持っているので」
いそいそと5枚のハンカチをしまうと、また笑顔で、
「それで、何だったっけ?」
「紅魔館の話よ」
そうだった、と手を打って、彼は空を指差した。虹だ。
「あれが根拠一。そしてあなたの帽子に付いてる赤い糸。それが根拠二」
「糸?」
お気に入りの帽子を見る。あった、てっぺん付近に糸が一本。器用そうな細長い指でつまみ上げた彼は、推理の根拠を冷静な顔で語った。
「まず、虹です。今は午前九時ですから昨晩から今朝に雨が降ったんですね。なのにあなたの服は濡れてない。野宿とかはしてないんです」
「家に帰ったのかもしれないわよ?」
「それにしては皺がついてるし、スカートには乾いた泥はねの後がある。乾いた、というのが重要です。今さっき付いたなら、雨上がりの湿気の強い今朝に乾くわけがない。家なら着替えが出来ますから、あなたは家に帰っていない」
「紅魔館だっていうのは?」
糸をつまんだ指を振って、
「この、赤い糸は特殊な品です。ただの赤でなく血のような紅。こんなに鮮やかな染色は人里の職人は作りません。使いどころもないですし。多分あの紅魔館のものでしょう。さらに補強しておくと、あなたの靴。ピカピカに磨いてあります。館の妖精メイドの仕事でしょうかね。
以上から、あなたは昨日家に帰らず、紅魔館に一泊したんだと推理しました」
ここまでを言い切ると、私の顔を、何か期待するような、挑戦的な目で見つめた。具体的に言うとドヤ顔だった。
「凄い!凄いよ。私びっくりしちゃった!」
だが、大正解だ。私は昨日フラン(紅魔館の吸血鬼。地霊騒ぎの前にとある偶然で知り合った)と話をしていて、気がつくと午後十一時。雨も降っていたから紅魔館で泊まった。今日の朝七時に起きて(なんと紅魔館の人たちは規則正しい朝型生活をしている。吸血鬼の館なのに)、軽く紅茶もご馳走になった。そして散歩ついでに帰ろう、とここまで来たのだった。
心からの賞賛と拍手を送ると、彼は安心したような、満足げな、そして少し照れたような笑顔をみせた。
「そうでしょう。いつだって名探偵におまかせあれってね」
探偵さんは拍手喝采を浴びるかのように両腕を広げた。
「それで……そもそも何の用でここに来たの?」
いつの間にか私は彼に興味津々だった。霊夢や魔理沙以来だ、こんなに人間に関心を持ったのは。だが、私の言葉を聞いた探偵さんの満足げな笑顔が凍りつく。
「まずい、足跡だった!」
「足跡?」
「人里で事件があって、朝早いのに――と言っても今日は朝市ですが――駆り立てられた訳です。現場から足跡が伸びていたので追ってたんですが……」
「見失っちゃった?」
彼は黙って肩をすくめた。
なるほど、それで変な奴を探してたのか。でも、私は誰も見ていない。そう伝えると、
「そうですか……」
と目をつむって考え始めた。
邪魔してはいけない気がしたので、なんとなく、石を拾って目の前の川に投げ込む。向こう岸との間にあるおっきな岩にぶつかった。もう一度。ぼちゃん、と石が水を跳ね飛ばして沈んだ。
ちらっと彼を見ると、まだ考えている。観察してみることにした。
目に付くのは今はつむっている輝く目だ。それ以外に目立つ顔つきじゃない。口元に浮かぶ優しそうな微笑みは今はなく、口を引き結んで、眉をひそめ、悩んでいる。背もそんなに高くない。ただやせていて、足が長くスタイルは良い。その身体を包む暖かそうなコートは明らかに外界の物だろう。コートの先からはジーンズが見える。頑丈な素材のようだが、膝に修繕した跡があった。
そのまま視線を落とすと、黒い革靴が……と、その時彼が目を開き、こちらに勢いよく振り向いたので、私は慌てて靴から目を離した。
彼は私の挙動に全く気付いた様子はなく、再び自信に満ちた微笑みを浮かべて私に言った。
「古明地さん、ちょっと僕を手伝ってはくれないかい?」
手伝い!私に出来るかな?彼にはとても興味があるからこの後能力でこっそりついて行くつもりだったのだけど。
「私が?手伝い?」
「言うならば助手ですかね」
「私で良いのかな?」
すると彼は急に真面目な顔で言った。
「むしろ君でなければいけない。君が必要だ」
(必、要……)
驚いて黙った私を見て、はっと彼は我に返ったように、失礼しました、と言った。しかし、私はそんなことはどうでも良かった。
……必要。私が。
初めて言われたかもしれない。お姉ちゃんに言われたかもだけども、昔過ぎて覚えていない。迫害され、全ての妖怪、人間から目の敵にされてきた私達は、一度だって好意的に見られることなどなかった。地霊殿に来てからは迫害こそ無いけど、覚り妖怪はまだ嫌われている。そんな私が……必要……か。
目を上げると、鋭い知性に溢れた彼の目にぶつかった。この人は私のことが怖くないのか。
「私は妖怪よ?」
「大いに結構。危険じゃないのは話していて分かりましたし」
「実は騙して食べようとしてるかも」
「僕を騙せそうな奴なんか、この幻想郷に一人くらいしかいませんよ」
「誰?」
「秘密です」
教えてくれないのか。私の知っている賢い人……八雲紫辺りかな……。なんか想像できる気がする。相性は最悪だろう、多分。
「ほんとに私で良いのね?」
「言ったことはそうそう変えません。あなたが必要だ」
気付かれないように第三の眼に触れる。緩んでいた。初対面の人間に対してなのに。……よし。決めた!
「分かった、行こう! ……えっと……」
「一会で良いです。もしくは名探偵さんとでも呼んで下さると嬉しい」
「よろしく一会!」
「……はい」
なんかがっかりしてるけど知らない。
「で、一会。どんな事件なの?」
やると決めたからには、ちゃんとやろう。第三の眼を閉じる前からその考えは変わらない。私はやる気になったら出来る子なのだ。
気になるのは事件の内容だ。これほどの推理力があるならきっと取り扱う事件も巨悪を相手にするような物に違いない。ワクワクしてきた。
「食い逃げです」
「……えっ?」
「だから、食い逃げ事件なんです」
小さい。話の落差に足を取られ、ずっこけそうになった。
私の不満げな顔に気付いたようで、一会は弁解するように言った。
「ただの食い逃げじゃないですよ勿論。正確に言えば盗難事件。最中が盗まれたんです」
やっぱり小さい事件だ……。
「その最中はただの最中じゃありません。なんと……一つ二千円もします」
そう。高級品なんだね。
「そうです。六個入りの一箱を盗まれたから一万二千円の損害です」
ふーん。
「なんか興味なくしてませんか」
「だってすごい単純な事件じゃない」
「そうですか」
「そうよ。誰かが忍びこんで持って行っただけでしょう? 簡単だよ」
「それが店主の目と鼻の先で行われたとしても?」
「どういうこと?」
「午前七時に店を空けてから盗まれたことに気付いた九時までの間に、店番は交代すらしてないんです」
「……でも、ここは幻想郷だよ。能力とか妖術とか使えば簡単に出来るよ」
私にだって出来るだろう。
「幻想郷で強力な能力を持っている人たちは総じて権力、財力があります。ちょっと言い換えると、お金持ちです。わざわざ盗まず買えばいい」
「じゃあ普通の人間がやったの?」
「その可能性は極めて高い」
「ということは……」
「そう。これは……」
不可能犯罪、ということになります。
彼はそう言いながら、楽しそうに笑った。
土日に更新すると思います。
ではまた。
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