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8-7








「まったくもう・・・良い子にしておいで、って言ったはずだけど。

 ねぇ、チトセちゃん」

穏やかな口調の統治官を、クルミは威嚇するように睨みつける。

思い切り、痛いくらいにカイの手を握って。


「それ、やめて」

低い声で短く言い放った彼女の腰に、カイが手を添える。

「そんなこと言われてもね。

 今さら、他の誰かになれるとでも思っているの?」

「・・・っ」

クルミが息を詰めた。


怒りとも悔しさともいえない感情が、渦を巻く。

奥歯を噛みしめ、長めの瞬きをしてそれをやり過ごした彼女は、ゆるゆると首を振りながら息を吐き出した。


「・・・いい。

 何とでも言えばいいよ」

温度のない言葉を放った彼女は、隣に佇んでいた彼を見上げた。

その視線を受け取ったカイは、口元だけで笑みを浮かべて微笑む。

クルミは、“約束する”と囁いた彼の言葉を思い出していた。

お互いを繋ぎ合わせる何かがあることを感じて、2人は頷くでも笑むでもなく、ただ、刹那の間、視線を交わし合う。


「それで、カイ君」

矛先が自分に向けられたことを感じて、カイは表情を引き締める。

「やってくれたね」

統治官の視線が、クルミに向けるそれとは違って、鋭利な刃物のように鋭く攻撃的になった。


カイの胸の内には、嫌な予感があった。

統治官が現れた時に、血の気が一気に引いて、軽い眩暈を覚えた。

しっかりしろ、と自分に言い聞かせて、クルミの腰を引き寄せた。

彼女を守るために来たのに、自分がそれを放棄したら、外の連中に申し開きが出来ない。

そう、自分を奮い立たせる。


「・・・部下は」

口の中が乾いている。

けれど、確かめなくてはいけないことだった。

カイの言葉に、統治官の口元が歪むようにして綻ぶ。

答えが返ってくるまでの一瞬が、やけに長く感じられた。

「眠ってもらってるよ?」

「どういう意味だ」

もったいぶった口調に、カイが間髪入れずに問う。

すると統治官は、明らかに面倒くさそうに手を振った。

「勘違いしないでくれるかな。ガスを使って、眠ってもらってるだけだよ。

 ・・・しかし第8の連中を上手く使ったね、カイ君。

 第6感の彼と、危険を嗅覚で感じ取ることの出来る子犬君・・・勿体ない。

 こんなところで使っちゃって・・・彼ら、懲罰の対象になってしまうだろうねぇ」


そこまで聞いて、カイは咄嗟に、片方の耳にしていたイヤフォンに触れた。

クルミのいた部屋を開けてから、タスクからは何の通信も入らない。

それを不審には思わなかった。

自分からも、彼に声をかけることもなかったからだ。

けれど、もしや・・・と、嫌な予感が背を走る。


統治官が、カイの不安を言い当てた。

「パソコン経由で、ちょこまか動いていた彼の所には今頃私の部下が、ね。

 ・・・ああ、心配しないで。

 身柄は確保していると思うけど、傷つけてはいないはずだよ。

 ・・・彼が抵抗さえ、していなければね」

「・・・あんた・・・!」

余裕綽々、といったふうに小首を傾げた統治官を、カイが睨みつける。

けれど彼は自分に向けられた視線を、意に介することもなく、鼻で笑った。

「勘違いしないでくれるかな。

 掟破りはそちら。

 私を監視して後をつけたのも、ここへ無断で立ち入ってきたのも、君たちの方だ。

 ・・・さて・・・」

統治官の双眸が、クルミを捉える。

品定めをするように、そっと、細められた。

その眼差しに晒されたクルミは、無意識に体を強張らせる。


「今、君に残されている選択肢は、2つだ。

 これからもここにいるか、無理にでもここから出ていくか。

 ・・・賢い君のことだから、もう、選んだらどうなるかくらい想像出来るよね?」

ぶるり、と彼女の体が震えた。

這うように近づいてきた声に、背中が冷たくなる。

統治官の眼差しに、彼女は自分の心臓が鷲掴みにされたような心地になった。

自然と呼吸が浅くなるのに任せて、肩で息をしながら、クルミは考えを巡らせていた。

選んだ結果、一体何が起こるのかを。


「・・・ごめんなさい、」

ややあって絞り出した声は、統治官には届かずに落ちていく。

けれど、隣に立ち尽くすカイの耳には、しっかりと聞こえていた。

「やっぱり、みんなに迷惑ばっかりかけちゃうね・・・」

囁きに、カイの表情が凍りつく。

「・・・クルミ、」

「でも」

遮って、クルミは言葉を投げた。

怪訝そうに眉根を寄せた統治官に向かって、投げつけた。

「カイさんと一緒に行く。

 もう、協力はしない」


凍てついていたカイの表情が解けて、統治官の目つきが険しくなる。

言い放ったクルミは、ただ、静かに自分の内で鳴り続ける鼓動の音を聴いていた。


「それは困るよ、クルミ。

 大体、君、私に秘密を握られているってことを忘れてない?」

低く唸るような声で言った統治官に、クルミは頷きを返す。

どういうわけか、言い切ってしまった今、彼女の中に統治官に対する恐れはなくなっていた。

独りきりで彼に対峙しているのではないと、体が覚えたのだろうか。

不思議な気分のまま、クルミは口を開く。

「分かってる。

 でもわたし、カイさんがいてくれるなら、世界が敵になっても生きていける。

 ・・・独りきりで生きてくよりも、ずっとまし」

考えもせず、気持ちのままに発した自分の台詞に、勇気づけられる。

その口から零れ落ちた一語一句に、力が宿ったような気すらして。

クルミは、その瞳に何かを灯して、統治官を見据えた。

「あんたがしたことは、恐喝と監禁だ」 

カイが隣で、声を低くして言う。

「・・・俺達のしたことと、どちらの方が重いかなんて、頭の良いあんたは解ってるよな」

彼の言葉に、統治官は鼻を鳴らす。

口を開いた彼の目に宿っているものを見つけて、クルミは嫌な予感がした。


「どちらが重いか?

 ・・・こうなったらそんなの、どちらでも構わないよ」

不敵な笑みを浮かべ、統治官がため息混じりに呟いた。

「少しくらい消息不明の人間が出たとしても、どうにでもなる。

 クルミを襲った、2人組のようにね」

そう言って突き出された彼の手に握られていたものが目に入った瞬間、カイは繋いでいた手を振りほどいた。

そして、自らも銃を構えて息を詰める。

クルミは、一瞬の出来事に呆気に取られたものの、次の瞬間、顔を強張らせて硬直した。

眠りにつく前の、明確な悪意を向けられた場面がフラッシュバックする。


無数の軍人に取り囲まれて、動くなと命じられた。

一歩でも動けば、声を発すれば、足元に銃弾が打ち付けられた。

怖くて仕方なかった。

何も見ないようにと、固く目を閉じた。

そして吹きつける風の音に紛れて、カチャ、という音が耳に響いた瞬間、恐怖が爆発した。

目を開けて飛び込んできたのは、人も機械もいっしょくたに凍てついた、一面の氷原。

軍人たちの表情は、恐怖に歪んでいた・・・。


がくがくと笑う膝に力を入れて、クルミは立ち尽くしていた。

統治官への恐怖には打ち勝てても、彼女の意識は、まだ過去の恐怖を忘れてはいなかったのだ。


統治官の銃口は自分に、カイのそれは彼へと向けられている。

ふいに、統治官が笑みを浮かべた。

「世界が敵になっても、ねぇ・・・」

くくく、と喉の奥で笑う。

「じゃあ、彼がいなくなってしまったら君は狂って、氷ヶ原でも作り出すのかな。

 それとも、この街を氷漬けにでもするの?」

統治官の腕が、方向を変えた。

銃口の先には、カイがいる。

クルミに、戦慄が走った。

「や・・・っ」

思わず悲鳴に似た声が上がり、カイの頬に汗が伝う。

統治官の笑みを縁取った目に宿る狂気に、飲まれないようにと歯を食いしばる。

「たった1人の人間を支えにしている君は、きっと暴走するんだろうね」

クルミは、口角を上げた統治官の引き金にかけた指が、ぴくりと動くのを見た。

その瞬間、彼女は咄嗟に動いていた。

何かを考えていたわけではない。

頭の中は真っ白で、ただ、本能的に体が動いたのだ。


統治官とカイの間に滑り込んで、彼を突き飛ばす。

すると、ほぼ同時に彼女とカイの間に、氷の壁が現れた。

音もなく、よろめいたカイが瞬きをしていた、ほんの一瞬の間に。




我に返ったカイの視界に飛び込んできたのは、所々が白く濁って、スモークガラスのように向こう側を隠している、凍てついた壁。

そして、飛沫。

赤い、点。

それは、真っ白な空間に鮮やかに映えていた。


刹那、濁った頭の中に、血だらけで倒れる彼女の姿が浮かぶ。

「くる、み・・・?」

暴れる鼓動が、彼の声を震わせる。

自分の声がどこか遠くに聞こえて、カイは思い切り手を振り上げた。

「クルミ!」

こぶしを打ちつけながら、叫ぶ。

「クルミ?!

 ・・・クルミ!!」

返事はない。

その代わりに、とん、と彼女の体が壁にもたれかかってきた。

はっきりとは見えないけれど、おそらく、腕を押さえて立っている。

・・・生きている。

そう感じ取ったカイは、叫ぶのを止めて、壁の向こうの気配に意識を集中させた。


まだ、どうなるかは分からないのだ。

統治官と彼女が、1対1で対峙しているのだから。





「そんな使い方も出来るんだ」

残された彼女を撃つつもりはないのか、銃を構えていた腕をゆっくりと下ろした統治官が、感心したように呟く。

クルミは、カイが無事であることを壁の向こうに感じ取って、大きく息を吐いた。

その途端に腕が、じくじくと痛む。

「・・・わたしも知らなかったけどね」

何かを喋っていないと、負けてしまいそうだった。

痛みにも、恐怖にも。

カイが自分の名を叫んでいることには、気づいている。

けれど、一度でも目の前の狂気から意識を遠ざけてしまえば、二度と立ち向かえないような気がしてならない。

カイの呼び掛けには応えずに、クルミはそっと壁に背を預けた。

きっとそれだけで、彼は解ってくれると信じて。


腕を生温いものが伝うのを感じて、顔をしかめる。

痛い。

腕も頭も、体中が痛い。

けれど、そんなことは言っていられない。

クルミは乾いた口を開いて、囁く。

「強く、ならないと」

自分に言い聞かせる。

「こんなの全然、痛くない」

指先に辿りついた血を振り払うように、手を握り込む。


そして、統治官の手の中の銃を見据えた。

銃でも何でも、持ってくればいい・・・そんな気持ちで。


刹那、統治官が短い悲鳴を上げた。

引き攣った顔で、握っていた銃を放り投げる。

カラン、と床に転がった銃の引き金の部分には、氷の塊が纏わりついていた。

どうして彼が、恐怖に引き攣った顔をしているのかは、彼女には分からない。

けれどきっと、オルタルの能力が自分に牙を向く瞬間など、一度も考えずにいたのだろう・・・というくらいには、ぼんやり想像出来た。


彼女は思う。

自分は傷つける側だと高を括った人間は、傷つけられる瞬間の恐怖を、きっと知らないのだ。

だから躊躇いもなく、平気で傷つける。

眠りにつく前に自分を取り囲んだ軍人たちも、そんな顔をしていた。

初めて味わう、オルタルの恐怖に晒された時の彼らの顔を、忘れはしないだろう。



クルミは何を思うでもなく、転がった銃を見つめる。

そして、漠然と感じ取っていた。

自分の能力は、制御出来るのだと。

「わたし、今ならあなたのこと殺せると思う。

 迷わないよ、きっと。

 カイさんを失うくらいなら、あなた1人くらい、どうってこと、ない」







氷の壁が消えて、背を預けていたクルミの体が後ろへと傾く。

カイは咄嗟に、驚いて息を飲んだ彼女を抱き留めた。

柔らかいはずの彼女の体は緊張に固まっていて、覗き込んだその顔には、脂汗が浮いている。

「カイさん・・・怪我、ないよね?」

「・・・ああ。

 え、おい・・・っ?!」

カイの顔を見た途端に、クルミの足から力が抜けていく。

ずるずると体が崩れ落ちて、床にへたり込んでしまった彼女と一緒に、慌てた彼も膝をついた。

そして、視線を走らせて目を険しくする。

「とにかく止血しよう」

統治官へ視線を走らせたカイは、一瞬の躊躇いのあとに、そう言った。

呆然と、凍りついた銃を見つめて立ち尽くす彼が、次の手を打つとは思えなかったのだ。

あんなに大口叩いてたくせに、というのは、カイの心の声である。


痛みに顔をしかめたクルミを宥めながら、カイの手が大判のハンカチを結ぶ。

あの至近距離で撃たれたにも関わらず、銃弾が掠っただけで済んだとはいえ、傷は傷だ。

血は止まるかも知れないけれど、消毒も何もしていない。

しばらく高熱が続くかも知れない、とカイは胸の内で呟いた。

そして、座り込むクルミを抱き上げる。

「・・・響くかも知れないけど、我慢出来るか?」

そう囁いた声に、こくりと頷いた彼女は、震える息を吐き出した。

それが、カイを傷つけられずに済んだ安堵からくるのか、自分が傷つける側に立ったことを自覚した恐怖からくるのか、分からないけれど。

「だいじょぶ」

自分の中に渦巻くものを無視することに決めたクルミは、小さな声で囁いた。

その時だ。

にわかに、向こうの方が騒がしくなった。






「もうっ、おじさま急いで下さいってば!

 わたくしのクルたんに何かあったら、しばき倒しますからね!」

「分かってるよ、でも、私ももう年だからねダリア・・・」

「ならば私が先行しましょう」

「それはもっと駄目です!論外です!

 抜け駆けなんて許しません!」

「うん分かった私が走れば2人は仲良く出来るんだね・・・あぁ、腰が痛い・・・!」



「大佐と、少佐の声だ」

「・・・もう1人の、おじさんは?」

顔を上げていたカイが、クルミに視線を落とす。

彼女の方も、一度は次の危険がやってきたのかと体を強張らせたものの、緊張を解いた。

「いや、知らない声だ」

「・・・でも一緒ってことは、軍のひとだよね・・・?」

「さあ・・・」

よく知る声が2つ駆け寄ってくる気配に、カイが息をつく。

どちらかというとそれは、クルミを早く病院に連れて行きたいのに今度は何だ、という気持ちからだった。

そして、呆然としていた統治官が我に返って口を開く。

「・・・まさか」

彼の顔が青ざめて、よろめきながら壁に背をついた。

するとほとんど同時に、声を響かせていた3人が現れる。


「ああ、どうもどうも。

 いやいやいや、あー、これって間に合ったのかな?

 いたたたた・・・」

やってきた壮年の男性は、現場に辿りつくなり身を屈めて腰を叩く。




その姿は、とてもじゃないけれど威厳も何もない普通の人だった。

・・・というのは、後日クルミの語った印象である。







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