8-3
ソファに体を投げ出した瞬間に、ポケットからレコーダーがするりと落ちる。
床に落ちたそれは、衝撃で一時停止が解けたのだろう。
静まり返ったリビングに、彼女の声が零れ出した。
【殺しちゃったの・・・。
乱暴されて、怖くて、逃げたくて、助けて欲しくて・・・それで・・・。
暴走させて、氷が消えた時には、もう、冷たくなってた・・・】
カイは手を伸ばして、床に落ちたレコーダーを拾い上げる。
冷たいそれを額に当てて、彼は大きく息を吐く。
【でもね、何も感じないんだ。
相手が死んじゃうかも知れない、って思ってる間は怖くて止めて欲しくて・・・。
だけど死んじゃったんだって分かった瞬間に、そういう気持ちがすぅっと、消えるの。
・・・そういうふうに、組みかえられたんだって、わたし。
人を殺してパニックになったら、使いものにならないから・・・】
彼女が昨夜、暴漢達を変死させたことは少佐には伝えずにおいた。
おそらく少佐は勘付いているだろうけれど、それをカイに確認する素振りはなかった。
クルミの居場所を探すつもりでいても、捕えようとは思っていないのだろう。
それは、彼女の伝言を途中で止めても咎められなかったことから、大体想像出来た。
【弱い薬で、中途半端に壊れちゃった。
いっそのこと、わたしがわたしじゃなくなってれば良かったんだよね・・・】
“彼女”の声が、かすかに震えるのが分かる。
「クルミ・・・」
個室で再生した時には気付けなかったクルミの姿に、彼は言葉を失った。
あの時は、彼女が自分の手をすり抜けたことに愕然として、頭が真っ白になって。
【眠る前も、わたし、人をたくさん殺した。
わたしを処分しようとした、軍人さん達・・・氷ヶ原は、その時の・・・。
次に目が覚めた時には、薬の効果が切れてるはずだって、お父さん達は言ったの。
でも、ダメだったみたい・・・わたし、人には戻れなかった・・・】
そこまで言って、“彼女”は言葉を切った。
わずかな時間、沈黙が訪れる。
カイはそっと目を開けて、天井を見つめた。
【・・・わたし、目が覚めたら独りぼっちなんだと思ってた。
だからあの家で、カイさんと一緒にいられて嬉しかったんだぁ・・・。
いろんなこと、忘れちゃうくらい楽しくて・・・だから・・・】
“彼女”の声が、硬くなる。
【このまま迷惑、かけてちゃダメなんだよね・・・。
いろいろしてもらったのに、こんなふうにして、ごめんなさい。
少佐にも、伝えて下さい・・・わたしが、謝ってたって・・・。
・・・ゴハン食べる約束、破っちゃった・・・。
でも、今度はカイさんがちゃんと来てくれて、コレ、見つけてくれてるといいな・・・】
カイは、その声がこれから突き付ける言葉を思い出して、きつく目を閉じた。
【今まで、ありがと・・・。
1人でも、ゴハンはちゃんと食べてね、カイさん・・・】
“彼女”は、そう言ったきり黙り込んだ。
「この状況で、飯の話なんかするなよ・・・」
ゆるゆると息を吐き出しながら、ぽつりと零す。
レコーダーは、空気の音を再生し続けている。
「なんなんだよ、ほんとに・・・急にそんなこと言われても困るんだよ・・・」
悪態をついた彼は、沈黙を再生しているレコーダーを睨みつけた。
何かに怒りを感じていなければ、打ちひしがれてしまいそうだった。
そして、その感情に任せてスイッチを切ろうとした、その刹那。
【・・・わたし・・・】
“彼女”が、ぽつりと言葉を発した。
「・・・っ?!」
カイは驚いて、目を見開く。
・・・続きがあったのか・・・?!
少佐の個室で再生した時には、気づかなかった。
あそこでメッセージが終わったとばかり思っていたのだ。
彼は息を詰めて、その声に耳を澄ませる。
【嬉しかったの・・・カイさんが、守るって、言ってくれて・・・。
独りぼっちじゃなくていいんだ、って、嬉しかったんだ】
別れを告げた時とは別人なのかと思うほどの、弱々しい声。
カイはレコーダーを耳に当てて、その声をしっかり聞き届けようと目を閉じる。
すると、“彼女”がそこで囁いているかのような感覚に陥った。
【でも、ごめんね・・・。
やっぱりわたし、ハルミちゃんの代わりには、なれないや・・・】
そう言って、小さな声で自嘲気味に笑った“彼女”に、カイは呆然としてしまう。
「代わり・・・」
そしてクルミに、“死んだ父から、今度こそちゃんと守れと言われている気がする”といったようなことを、話したことを思い出す。
「そうか・・・だからか・・・」
いくら触れても恥ずかしがらないクルミの姿を思い浮かべて、カイは呟いた。
好きだと囁いてみたところで、それがどんな意味を持つのかを、きちんと伝えていなかったのだ。
だから自分が触れても、彼女にとってそれは“兄と妹”だったのかも知れない。
そんなことに今さら気づいた自分に、彼は自嘲を浮かべる。
【いろいろ、黙っててごめんね・・・でも、あの、えっと・・・】
“彼女”が口ごもる気配に、カイは頬を緩めた。
目を閉じたままでいると、クルミがしどろもどろになっている様子が、脳裏に浮かんだ。
【嫌いに、ならないで・・・】
飛び出した言葉に、思わず目を見開く。
カイは息を詰めて、口元を押さえた。
いつかも似たような台詞が、彼女の口から聞いたことがあったのを思い出して。
【わたしのこと、好きじゃなくなってもいいから・・・。
それだけ・・・最後まで聞いてくれて、ありがと・・・さよなら、カイさん】
ぷつ、と音が途切れる。
レコーダーの再生が止まり、それ以降、彼の耳が“彼女”声を拾うことはなかった。
体を起こしたカイは、レコーダーを見つめる。
「・・・今さら嫌いになんて、なれるかよ・・・」
独りごちた口元には、不敵な笑みが浮かんだ。
翌日、カイは第8部隊の部隊室に入るなり言い放った。
「クルミの居場所をつきとめたい。
彼女が、行方をくらませた」
その発言に素っ頓狂な声を上げたのは、もちろんコウだ。
「はぁぁぁ?!」
思い切り、不満そうに口元を歪める。
厳つい顔つきも相まって、その表情は凶悪犯だと勘違いを受けそうだ。
ウェッジが、オオカミの前に差し出された子犬のように、びくりと体を震わせる。
そんな彼の咆哮にも動じず、カイは口角を上げた。
「上からの任務じゃないから、もちろん礼はする。
奢るから、好きなだけ飲めばいい。特別休暇の申請も受け付ける。
・・・それから・・・そうだな。
昇進したい奴は推薦状を書くし、異動したい奴は少佐に進言する」
次々と言葉を紡いだ彼を見て、それぞれが目を点にする。
彼が一体何の話をしているのか、さっぱり理解出来ないようだ。
カイは、一同の反応が芳しくないことに苦笑を浮かべ、椅子を引いた。
「・・・頼む」
「あーい」
片手を上げて応えたラッシュが、部隊室を出て行く。
その背中を見送って書類に視線を戻したカイに、ソルが声をかけた。
「あのー・・・」
「ん?」
部隊室からはそれぞれが出て行って、彼らの他にはタスクしか残っていない。
カイに声をかけたソルを、タスクがちらりと一瞥したけれど、それだけだ。
彼は彼で、絶賛仕事中だった。
「どうした、お前にも指示しただろ?」
行かないのか、とばかりに顎でドアを指したカイに、ソルが頬を掻いて視線を彷徨わせる。
「いやぁ、あのー・・・っすね・・・」
ソルは軍人の割に日頃から口調が軽すぎる・・・と、いうのがカイの印象だ。
仕事ぶりがなかなか良いだけに、決して口には出さないけれど。
口ごもった彼に向かって、カイは訝しげに眉根を寄せる。
今は、細かいことに振り回されたくなかった。
「手短に、分かりやすく」
その声の低さに肩を震わせたソルは、はぁー、と息を吐いてから口を開く。
「その・・・オレ、迷子ちゃんが走ってくの見たんですよねぇ」
「いつだ」
「花火大会の夜っす」
「・・・あぁ・・・」
間髪入れずのやり取りに、カイがため息混じりに頷いた。
タスクが、キーボードを叩く音が絶え間なく響く。
「それならもう、」
「や、まだ続きがあるんすけど」
「は?」
言葉を遮られ、いくらか苛立ったのを隠さないカイに、ソルは息を詰めてやり過ごす。
「なんか、逃げるみたいに走ってたから気になって。
走ってきた方見てみたら、統治官がいたんですよね。
で、倒れてる男が2人いて・・・近づいた統治官はそいつら放置で・・・」
「なるほど・・・。
それって路地裏だよな・・・彼は何をしてたんだ?」
「さぁ・・・。
気づかれそうだったんで、伏せてました」
2人のやり取りに興味が湧いたのか、タスクが画面から視線を上げた。
「・・・ソル君、一体どこで何してたの?」
「屋根を伝って、こないだ引っかけたお姉さんの部屋に、夜這いに行く途中で・・・って。
オレ、ちゃんと休みでしたからね!罰則つかないっすよね?!」
にまにまと笑みを浮かべたソルは、カイに睨みつけられて竦み上がる。
第8部隊長が基本的に部下に甘くないのを、彼らはよく知っていた。
「屋根移動は禁止しただろ、罰則だ。
お前の休暇申請は却下してやる。せいぜいキリキリ働け」
「えぇぇぇ?!」
「残念だったねぇ。
屋根移動してたら、そのうち不審者に間違われて撃たれるかもよ~」
悲鳴を上げたソルを見て、タスクがくすくす笑う。
そんな2人を交互に見ていたカイは、渋い顔をする。
・・・統治官は、クルミが襲われるのを知ってた・・・?
・・・いや、彼女に執着してるなら、何かあったとしても黙って見ているか・・・?
・・・駄目だ、今すぐには何とも・・・。
「ソル、話は分かった。助かったよ、ありがとう」
カイは感じた違和感を飲みこんで、ソルに言う。
するとソルは、両手を叩いた。
「じゃあ罰則、」
「それはまた別の話だろ。
いいから、統治官の監視」
しょぼくれたソルが出て行って、ドアが閉まる。
それに合わせたようにカイがため息をついたのを聞いて、タスクが口を開く。
「・・・苦労するね、部隊長」
「いえ、そんなこともないですけど・・・」
曖昧な言葉を返した彼に、タスクは頬を緩めた。
その視線は、パソコンの画面に映る映像と、カイの間を行ったり来たりしている。
「それにしても、統治部が少佐の養育権をはく奪しようとしてるって・・・なんでまた。
虐待があるわけでもなく、経済力に問題があるわけでもないのに」
「そうとられないように、必要以上に構わないようにしていたそうですが。
そうしたら、それが今度は“放任”だと・・・虐待の一歩手前だと書面がきました」
「うーん・・・難癖付けるの、上手だよねぇ・・・本当に。
別に一緒に暮らさなくても、養育が成り立つ年齢だと思うけどなぁ」
タスクの言葉にため息混じりに相槌を打ったカイは、息を吐いてから口を開いた。
「捜索届けなんて出したら、一発で養育者失格の烙印を押されかねませんし・・・。
とにかく今日か明日中に、何とか手掛かりだけでも・・・」
「うん。そうだね。
・・・にしても・・・養育権のことと、クルミちゃんの家出がうまい具合に重なったな。
おかしい、よね、やっぱり・・・。
となると、統治部が絡んでる可能性もあるよねぇ・・・てか、統治官か・・・」
「すみません、面倒事を・・・。
今回だけ、部隊長の権限で振り回させて下さい」
画面を見ながら独り言のように呟いたタスクに、カイははっきりと言い放つ。
するとタスクは、すまなそうに目を伏せた彼に、ゆるゆると首を振った。
「気にしないで。たぶん皆も思ってるんだろうけど・・・。
クルミちゃんが来てから、カイ君、いいカオしてたよね。
・・・だからさ、出来ることはしたいなって」
「タスクさん・・・」
家族を失ってからの自分は、皆から心配されるほどだったのか・・・と、カイは内心でため息混じりに呟いた。
タスクは、キーボードを叩きながら口角を上げる。
その様子を見つめ、カイは静かに言う。
「よろしくお願いします」
「ん、任せといて」
穏やかな笑みに、カイもつられて頬を緩める。
ほんの一時、絡まったものがどうにかなりそうな、そんな気持ちになって。
その時だ。
ドアが開いて、リクが顔を覗かせた。
「お疲れさまです」
「あ、お疲れさま」
小首を傾げて中に入ってきたリクに、タスクがやんわりと声をかける。
相変わらず、視線は画面から剥がれないままだ。
「皆出払ってるんですね、珍しい」
荷物を置いて冷蔵庫を開けた彼を、カイが一瞥する。
「クルミが、いなくなった。
今、手分けして情報を集めてるところだ」
そのひと言に、冷蔵庫の奥へと手を伸ばしていたリクが、ぴくりと震えた。
「なん、ですって・・・?!」
驚愕に強張った顔で振り返り、リクが立ち上がる。
そして、半ば呆然と尋ねた。
「どういうことですか・・・?
彼女に、何があったんです・・・?」
「そのままだ。
昨日の夕方から、姿が見えない」
「姿が、見えない・・・」
言われたことをそのままに呟いたリクを見つめて、カイが訝しげに声をかける。
「リク・・・?」
カイの声色が変わったことに気づいて、タスクは視線を上げた。
その先には立ち尽くすリクがいて、なんだか顔色が優れない。
瞳がゆらゆらと揺れて、どこに焦点があっているのかが、よく分からない。
タスクは、どちらに声をかけるべきか考えて、結局、画面に視線を戻した。
リクが口を開く気配を、感じ取ったからだ。
「カイさん・・・」
重い声が、タスクのキーボードを叩く音に埋もれそうになる。
カイは眉根を寄せて、リクの声を拾おうとしていた。
「なんだよ、そんな顔して・・・」
それほどまでにクルミの行方不明がショックなのか、と別な意味でショックを受ける。
けれどそんなことは、おくびにも出さなかったカイの言葉に、リクは小さく首を振った。
額に手をやり、大きく深呼吸する。
「俺のせいです・・・」
「リク?」
零れた言葉の意味が、カイにはよく分からなかった。
うわ言のように言葉を紡ぎ始めたリクの腕を掴み、揺する。
彼の瞳はどこか遠くの一点を見つめて、静かに揺れていた。
「・・・クルミが・・・」
「おい、リク」
腕を掴んで思い切り揺さぶったカイに、リクの視線が向けられる。
「・・・お前、どうしたんだ」
それまでよりも強い口調で訊かれリクは、苦しそうに顔を歪めた。
「すみません・・・彼女がいなくなったのは、俺のせいです・・・」
タスクのキーボードを打つ手が、ぴたりと止まった。